私の日記

このホームページをご覧下さる皆様へ
以下の私の日記では、賢者や聖人の言葉を読んで記憶し知っているので
自己流に解釈して解説しておりますが、私自身は賢者達を理解していませ
ん。その賢者の知覚もなく高次の目も開いておりません。従って以下は盲
人の誤解による解説であることを始めにお断りさせていただきます。

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私は魂の表面意識  三体整合
肉体が実際にあると言う意識がある限りは私と貴方があります  自己関心は自我の姿 
私は大自然の結果  「見るものは見られるものである」
誰が生きているのか?  人生で一番大切なこと、それは自分を愛すること 
ハートに在る真の私は根源的恐怖によって守られている  脳を礼拝する、そして私を礼拝する
恐怖を見ているのは恐怖である  人の心は鏡なり 
神の人生劇場  AIと人間の違いとは? 
汝の敵を愛せよ  被創造物と創造主創造者
私とは 

偽りの自由意志を用いて八正道を実践しなければならない 

 夫れ人の心は天照御祖神の御分霊にして我の心にあらざれば天の心を育てよ・・黒住宗忠 純粋精神によって手も足も身体も動いているのです 
AIは痛みを感じない・・AIには肉体がないから 生きて演じておられるサムシンググレート 
自我を良くしようとしているのは自我である   今此処あるがまま
私達は自我に対する何の支配権も持っておりません  私とは誰の私でしょうか? 
 私は何のために生きているのか?生きている目的は何か? その問題に対するどんな活動も恐怖・自我である 
 体験者、観察者、観照者・・三つの異なる視点  あるがままをあるがままに見ることがあるがままの変革を齎す
汝、生まれ変わらなければ神の国入ること能わず・・聖書  あなたがたの眼は、あまりにも多くのヴェールで覆われている。
 あなたが神と共にいなかった時間はあったか? 自己観察せよ 
汝自身を知れ  自己を想起しなさい 
私達は自我に対する何の支配権も持っておりません  生きるためには目覚めなければならない
離れよう、離そう 私達は自由ではない
真理の種子   私たちの内面から「私」として現れ出でるもの、それは自我です。自我が現れ出でる源、それが真我です。

世俗の暮らしをする人にとっては、一切は夢のようであるというそのような教えは良くありません。・・ラーマクリシュナ

複合している私 
 

この世には偶然ということは何一つ存在していない・・日月神示

質問しているのは誰ですか?それは記憶であってあなたではありません・・ヒューレン博士

 
神のみが行為者であって、他のものは全て非行為者です・・ラーマクリシュナ 

なによりも先にまず、 あなたが自分に愛を与えるのだ 自分自身を愛したときに、あなたはあらゆるいのちと繋がる・・・ホ・オポノポノ

潜在意識が鍵を握っている 

澄み切った気づきの空間・・・アシュターヴァクラ・ギーターより抜粋 

確固たる無執着であなた自身を欲望から解き放ちなさいそして幸福を見いだしなさい・・アシュターヴァクラ・ギーター。 

神が生きておられる、生きているのは神である

 

実際、私達が見ているのは自分自身なのです。私達は決してジャッジしたり決して批判したりしてはなりません。様々なステートの現れにいる人間を見るとき、実際に私達が見ているのは自分自身なのです。全ては私の内にあるのです・・エレブナ 

何であれこの身体がすること、この身体が通り抜ける体験は、 その身体が存在を顕したときに既に決定されているのである・・ラマナ・マハリシ

 自己実現の前であっても人は多様性、多重性の能力を現すようになります・・エレブナ
脳と心  思考は現象界を知ることが出来ると思っている 
如何なる自己もすべてを包み込み自己でなければ本物ではない  自己想起が真我実現を齎す 
宇宙は私達の内側にあります   心は記憶で一杯なのです
思考が起こったら思考から離れなさい   否定的接近とは否定する事で肯定すること
思考の努力が全くない状態から心の全的な変化が生じます  他者を愛しているというふりをしてはいけない 
恐怖に対して心を開きなさい  一切衆生悉有仏性
思考は物質である  神に命令するとはあなたは何様か 
対象化された宇宙が知覚されている限りは真我は実現していない   アートマンはブラフマン
魂と魄を一つにして離れないように出来るか  この世は幻である 
生の始めに暗く、死の終わりに冥し  おのれと創造物は一体であること 
生きているのは誰か  私は誰か 
心は主人なり形象は家来なり 思考なく見よ
事物を変えようと心を砕かないようにしなさい  質問してはいけない 
あなたが生きているのは愛することを学ぶこと  虚偽を虚偽と見よ 
思考を思考と見ること  観察者を只々見なさい 
観察者は観察されるものである  思考が止まるとき全ての動きは止まります 
この私は私の責任、あの私も私の責任  思考なく見よ 
哀しみや苦しみの中に私は在る  明け暮れ、ただ我を離れる事ばかりを修行せよ 
思いをその起源まで遡って行きなさい  創造神ブラフマンから草の葉に至るまで 
そもそも意識があるのは気づきがあるためである  衆生劫つきて大火に焼かれとみるときも 
苦しみとは我エゴの表現である  「立ち向かう人の心は鏡なり己の姿を移してやみん」 
虚偽を虚偽と見ることの中に真理はある  私が生み出した人格の私は私に責任がある 
私とは観照者  思考や感情を完全に受け入れることは真の悟りと同じなのだ 
表面意識の五分の一が私達の意識  全ては私達の内側にあります
あなたは自分の背後から観察することが出来ます  神は全て人の中にいます 
話せば話すほど真理から遠ざかるばかりだ  全ては私達の内側にあるのです 
行為者はいない行為が起こっているだけだ  鏡に移してみなさい 
真の芸術は主観の表現ではない  吾と汝
意識の種々相 神と私が在るのではない 
悟った人は呆けることがあるのか   ただひたすら心を以て心を養えなさい
人間と神を分かつことは出来ない 思考者はいない
自己を否定することは自己を肯定すること   生きる為には目覚めなければならない
過去世について・・エレブナ  拡がりなさい何処までも拡がりなさい 
自我の終焉・クリシュナムルティー  見ているのは誰ですか・ヒューレン博士 
人は殺したり殺されることはない  「立ち向かう人の心は鏡なり己の姿を移してやみん」 
現在意識は超意識と繋がっているが潜在意識によって動いている  現在の私はエレメンタルの総計です 
如何なる自己も全てを包み込み自己でなければ本物ではない  思考なく見ることとは 
世界、人類、宇宙はあなたの中にあります  人類の苦悩を見るとき慈悲心が生まれる 
神は愛なり  人の心を養い育てよ 
あなた方の目はあまりにも多くのヴェールで被われている  世界と私は一体であり、分離することは出来ません 
思考の隙間を観よ  自己を想起せよ
口から出でるものが人を穢す  純粋に聴いているとき私は空っぽである 
蘭の花に感謝!!  人類は単一の人間である 
神のみが行為者です  思考とは動きです 
一霊四魂  鏡を自分の内側に持ちなさい 
その想いは誰に起こっているのか?  愛している!ありがとうございます!・・ホ・オポノポノ 
分離がないとき私達は植物人間となる???!!逆説  あのお方が見ている全てになっておられるのです
瞬間瞬間関係の鏡の中で心の中を観察し学び尽くすこと  汝自身を知れ 
遠く離れている人を助けることが出来る様になります  大地を愛し大地の全ての子ども達を愛すること 
思考の過程のみがあって、その思考を制御できる思考者はいない 隣人とは実際には自分自身なのですから 
思考者はいない思考が有るだけだ  我思う故に我あり 
 元来この身は一物なき無中から顕れ来たったものなり  私は何も分かっていない
この私はロボットである  口に入るもの、これ人を汚さず、口より出でるもの人を汚すなり 
 観察者は観察されるものである 言語機能は思考の中へ・臨終に際して 
傲慢な哲学者である私  観察者と観察されるもの 
心は三種類ある  全て一切をお任せ 
意識に目覚めている人は呆けにならない  熟睡とは何だろうか
脳は条件付けられている  肉体のサイコノエティック体 
思考に感謝する  有り難い!有り難い!ああ有り難い 
何も聞こえず、何も見えない  意志が有る限り自由はない 
殺すものは殺されるもの、敵も味方も同じ神、同じ命  仲間達よ!神と人間を分かつことは出来ない 
三つの私  恐怖に対してどのようにするのか? 
自分の段階に合った教えを  人の心は天照御祖神の御分心 
行為者はいない行為があるだけだ  霊的唯物論 
自我の終焉  知覚の扉を開く 
私達の表面意識はまだ顕れていない  トリプルAAAの教え 
神の演技  神に繋がる私が身に纏っている身体を拡げよう 
既知なる私と未知なる私  ヒューレン博士とクリシュナムルティー 
私の中に肉体がある  あるがままをあるがままに見るための四つのステップ 
問題を解決しようとすることは思考の働き  煽り運転されたときあなたはどうするのか 
人の心は天照大御神の御分心  起こっている事に記憶が反応している 
自己想起の重要性  自己責任 
ホ・オポノポノで唱える言葉の意味  私達
知覚と認識  嬉しい楽しい有り難い 
記憶である思考の性質  知覚の仕組み 
思考と心は異なる  立ち向かう人の心は鏡なり 
肉体を動かしているのは誰か  脳の働きと操作について 
バレエスタジオの鏡  ゲームの登場人物
霊・魂・体  意識の座
プログラム  愛とは何か? 
記憶とは  自己意識とは 
虚偽を虚偽として見ること  反応しているのは記憶である 
純粋理性批判  棘を抜くには棘を用いる 
マインドを使用しよう  自己観察しているのは誰か 
愛していますと誰が言っているのか  愛していますと誰に言っているのか 
身に纏う三重の衣とは  私は神の演技 
何故愛しているよと唱えるのか  妻や夫に出会うために 
プログラム  思考と心の違い 
潜在意識の重要性  極限状況の中で 
「我と汝」の関係性  真理の概念的理解とは誤解 
表面意識とは  知覚の扉 
本来の私は思考していない  愛することが人生の目的 
私が癒やされるときあなたは癒やされる  愛していますと唱えること 
愛とは何だろうか  愛は個人レッスン 
自分を愛そう  私は人類 
言語と想念  合わせ鏡 
誰が見ているのか  汝の敵を愛せよ 
行為に異なる二つの反応  全託とは? 
夢  質問を止めよ 
虚偽を見ているのは誰か  虚偽の考察 
自我であることの証明  正しい瞑想の結果とは 
真理の言葉  ホ・オポノポノの四つの言葉 
ヒューレン博士  記憶が見ている世界 
肉体に入った私  思考なく見るとは愛すること 
寝ている間に意識がないのは何故か  神の演技 
願いが叶うこと  思考は記憶から 
顕在意識は思考しない  顕在意識と現在意識 
言霊の力  年頭のご挨拶 
愛すれば愛が与えられる  意志 
意識と思考の段階  生きることが出来るためには
記憶を見ているのは誰か  意識構造の図解 
私を愛しなさい  臨終の際肉体を離れるもの 
脳内現実  篩分けてはならない 
人格と同一化するな  人格とは 
ただ愛しなさいと  世界を見ているのは記憶だ 
私は起こっている事に参加していない  考えているものは誰か 
知ることが出来るものは真理ではない  過去の清算 
記憶は誰の責任か  ホ・オポノポノを参考にした意識概要図 
三界は唯心の所現  私は記憶が見ているように見ている 
この私は幻想  生きている目的とは 
心に沸き起こる想念   思い違い
許すことが出来ない私  私だと思っているのは誰か 
正しい修行  虚偽を虚偽と観ること 
真言の力  潜在意識に感謝 
薬物依存症  神の宮に入った私 
見ているのは誰?  自由意志に対して自由意志を 
私には起こっている行為に責任がある  恐怖の観察者 
愛について  人格の私 
ワークと責任  私達は鏡 
私は主体ではない  全託と言うこと 
記憶について  潜在意識と私 
誰が知覚しているのか  カルマについての私見 
私達は記憶が見ているように見ている  ホ・オポノポノによる解説図 
日々の祈り  受容
カルマ  隣人
シェイクスピア  ヒューレン博士 
死ぬのは誰か  ホ・オポノポノ 
脳は意識ではない  責任 
私は思考ではない意識だ  起こっている出来事に参加できない 
葛藤を見ているのは誰か 思考と心は異なる 
熟睡  私は誰か 
世界教師の言葉  私を愛する 
礼拝しましょう  鏡を被うもの 
熟睡の状態  行為の識別 
思考は物質だ 私は知らない
自分を愛する  光は闇を顕わにする 
帰依  個は全体である 
現段階の私達の情況   
私達が知覚する出来事とは  呼吸とマインド 
濁った水  殺人者 
バレエ花伝書  無視されカットなる 
私を包んでいる私  義母の臨終 
あなたの私  現在のパーソナリティーの重要性 
脳の重要性  裏読み 
海を見に行った塩人形  自己否定 
祈りの言葉  正しく見る 
現在の私には高次センターと繋がれる  指一本動かせない 
尽十方界真実人体  幾重にも重なる実存の私 
異なる目が必要  分離二元性 
意識の座  肉体の死後生き続ける私
坩堝  肉体と結合した私 
25パーセント  大生命の奇跡 
カルマを受ける私  見ることの四つのプロセス 
彼岸と此岸  自己観察のやり方 
思考の観察者  正しい行為と正しい思考
この私は私ではないことの理解は重要  行為の種々相 
自己実現  観察者 
脳は条件付けられている  25パーセント
鏡の意識  私は私ではない 
合わせ鏡  どう見えているのか・・テロの源流 
心が私を詐称している  「愛燦燦」美空ひばり 
マインド私という観念  実体のない私 
記事を書いている私とは  私とは生きられている 
感謝  自己観察の重要性 
知覚しているのは誰か?  この私は幻想 
「見るものは見られるものである」の考察  ミルダッドの書 
生命の樹 刈り取りできるまでは 
正しい自己観察  虚偽を虚偽とみること 
「友人Z氏」  招待状は私が書いた 
行為していないという自己欺瞞  五つのコーシャの意識 
生きているのは誰でしょうか   目を覆っている私
統覚機能   身心脱落
  心臓の結節 
i耳を傾けよう   
普遍的霊魂  観念がないとき 
ありがとうございます 成長の道 
神は吾がうちにありについて  あるスーフィー詩人の言葉 
自我との出会い  自己実現 
私は世界  諸体の整列・透明化 
思考なく見ること  如何なる人にも同じ魂が在る 
「見ること」と呼吸の関係  人類の複合構造 
般若心経  脳は私のものか 
彷徨える霊魂 自我・観察者・観照者
自由意志について  気づき 
聖なるマーヤ  眠る私
私とは何か  超努力 
私には私は創り出せない 五つのコーシャ(鞘)
思考なく見ることは可能か  演じられている私
思考者と行為者  良きことと良くないことが起こる 
経験者  心の特徴 
見ることは起こること  憑依
観察者  流産 
私という観念  自我・私の特徴 
自己の受容 深遠なる言葉
脱皮  自由意志はあるのか 
意識と諸体の関係 霊的解剖学 
誤解 見ることは不可能ではない
自己関心  フラワリング・開花 
私達は根源の芸術作品だ  意識の座 
私さん  霊魂は私のものではない 
質問  統覚機能 
誰が自己観察しているのか  意識と思考との違い 
私の反応を凝視する  自我(エゴ)と真我 
意識は私のものではない  一分一秒の狂いなく 
慈悲心 誰に対して語られているのか
傾聴すること  悟る私到達する私はいない
私は生起している  第一人称の私 
どこにこの私・自我は位置しているのか ラーマクリシュナ 
知覚作用  虚偽の中に真理を見る
無明が私  正しい観念 
私自我は神の演技か  意識は誰のもの 
熟睡  思考と呼吸
内部と外部  自己否定 
既知からの自由 友人 
行為していると実感している私 見ることは離れること 
性同一性障害  視点
自己欺瞞 人はどうやって本物のマスターを知るのですか 
起こっている思考、それが私だ  肉体に入るもの、去るもの 
全受容 とは観照である 選択がある限り自由はない 
全託するということ  肉体は叡智の結晶 
不二一元論  肉体に入るもの 
共振  素粒子 
内部 脳が見ている
生きているのは誰か  熟睡への考察
大叡智が起こしていること テレパシー
四つの意識  私とは錯覚 
本音と建前 立ち向かう人の心は己自身 
人類の脳はネットワークで繋がっている  することは何もない 
思考の働き  生とは全体性 
人類とは同一規格の脳  思考が私だ 
聖なるものは対象化されない  脳に生起しているもの 
私に自尊心が創れるのか  死んだらどうなるのか?
思考の限界  意識の座 
私は機械だ 私は貴方だ
タイムラグ 心の活元運動 
意識は誰のもの  思考は起こっている? 
三種の神器  思考から起こっているもの 
私の奥に  目のない私
自我と真我は異なっているのか  どの身体に入ったのか 
無限遠点  意識の進化 
この目は正しく見ているのか 私とは誰のものか 
思考があるだけで思考する私はいない  私とは全託していない 
私はどこから来たのか?  思考する私を実感しているのは誰か
自我を良くしようとする私とは誰か  誰も何もしていない 
脳が思考を生み出している  脳は私のものか 
思考なくして見よ  思考者はいない思考があるだけだ 
私という観念の主体は統覚機能  意識は条件付けられている
私とは虚構である  じっと耳を傾ける
狡猾 複合の私
貴方だけが生きておられる  見ることを妨害しているもの
思考は注意散漫だ  私は起こっている 
現在のパーソナリティー  かくの如くにあらしめているもの
ノンレム睡眠の重要性  自我と真我の区別とは 
脳は私の所有ではない  脳に入ったのは?
Kは誰に語りかけているのか?  自己矛盾 
個別的霊魂とは統覚機能のこと 私はまだ生まれていない 
人類共通の反応  何一つ私のものではない 
脳は繋がっている 雲が晴れるとき青空が顕れる 
姿を変えたブラフマン 行為の実感がある限り自我だ
心によって心を見れば真我はそれ自体で輝きだす  私が信じていること
観察ではなく、観照 人にはなにができるのか
脳が意識と行為を生み出しているもの 現在のパーソナリティーは何故作られたか? 
私達は三重の私に覆われている  心は条件付けられている
行為は起きていると誤解している 知識とは誤解だ
私達は個別的霊魂だ  謹んで2013年のご挨拶申しあげます
私が考えている?? 何故私は眠りに陥るのか
受け入れること・受容  自我を見ているのは自我だ 
すべては根源  雑念を取り払おうとしているのは雑念だ
私の自我??  個別的霊魂 
二次想念からのエレメンタル  意識が思考と同一化してしまっている
複数の私 心の本質 
私達は自分自身に関与しているのか 自我とは単独ではない 
気づきは不可能ではない  何故、進歩と安定を求めるのか? 
心の可能性  どの私
心の中にこそ解放が起こる 関係性 
誰も何もしていない 練習
個人は継続されている  自己否定
鏡に去来するもの  行為していると実感しているのは誰 
虚偽の中に真理を見よ 権威を崇拝してはならない
何故個別的魂は行為していると錯覚するのか 個別的霊魂とは
ヴェーダンタ哲学  母なる根源は愛そのものだ
未知なる私 意識的自己は自然の一部だ
受動意識仮説 理解は起こる
脳と心と魂の関係とは これで良かったのだ
自己想起 熟睡について
あなたは世界だ 三つの意味合い
外部と同一化してはいけない すべてはあなた
私のものは何もない 遠離・離れること
思考が思考者である 自我の終焉
私のからだ?!!!  なろうとすることは在ることを否定することだ
自我を見ているのはその自我だ クリシュナムルティー「わたしは真理である」 
自我の定義 あなたは記憶ではない
実現しようとすること 如何に生きるべきか
意識の中には時間はないことだろう キリストと十字架
真理は知識ではない 「私」は目を見ている
全ては貴方  不二一元への試考
在るわたし ハートで語りかける教え
選択があるとき自由はない 私を愛しているなら
間違っている観念を抱かないこと 識別とは、敵と味方を判断しない
認識主体は対象ではない   見る事が出来るのはどの私か
現在意識との関係  思考と心は異なる
俗義と勝義  なぜ苦しみを認識できるのか
観察者は起こる、やってきている  愛燦々と降り注ぎ
心が個別の私を生み出している 浄化された心とは純粋精神である
検証作業 他人を見ている目は自分の目の段階
沈黙は続いている 受容と拒絶
選択をしているのは誰か  第四の意識
三時の意識  バルド界
 行為は為される 行為する、行為が起こるも見る事の中では同じである
本来のマインドとは 豊撓について
私は私  雑念
「思考なくして見ること」について 賢者は眠らない(熟睡とは)
幾重ものサングラス 脳と神経と思考
関係性を成り立たせているもの  現在の私意識の役割
私は私を愛している 熟睡とその意識
どの思考?  思考の重要性
真実の言葉には創造の力がある お琴の話し
自我が自我を愛すること 否定的接近の道は困難な道である
純粋主体 誰の私
正しい観念と間違っている観念   
 
統括機能 行為していない私とは
現在のパーソナリティーの位置について シャンカラの私
蛹から脱皮して蝶として誕生し飛び立つ 仏陀と八正道
或る教えから 神が行為している、とを実感するのは
想像せよ 二つとも受け入れる
ラーマクリシュナの大明知 あるがままを見る為には
現在の私とはどのレベルの私か それは真我と呼ばれている
知覚の階梯 識別の道は極めて困難だ
信頼 現在のパーソナリティーに自由意志はあるのか?
私という根本観念 内省と反省
現在意識が無意識を観ること
耳を傾ける
果たして自分のものなどあるのか 私・自我とは人類同じだ
観察から観照へのプロセス 受容するということ
プログラムが反応している 偽我・自我・観照者とは
私は最初からいなかった 私が考えているのか、それとも考えがただ起こっているだけか?
偽我と自我は全く別物 すべては観念の戯れだ
純粋なるエゴ 私が苦しむ人だ
自我を受け入れ抱きしめよう 良くなろうと努力しているものは私ではない
日常生活こそ重要だ どの私のことを私と言っているだろうか
朝、布団から目が醒めたのは誰? 錯覚しているのは人格ではなくて自己だ
知的理解とは誤解だ マインドって何?
軽蔑 思考とマインドの相違
お彼岸 救済ということ
体外離脱 自己観察とは起こる事だ、する事ではない
バーナデット・ロバーツ 自我を見る事が出来ることこそが恩寵である
成長 記憶の本性
私は観察者ではないのか 進歩すること?良くなること?
獄舎を飾り立てることを止めよ 真我探求を止めよ、神の探求を止めなさい
ハートの空間・喜び わたしという錯覚
推論:三つの私、三つの系統の流れ 完全完璧、問題はないと
正しい思い、正しい行い、八正道 肉体精神機構は進化しているその概観図
行為者はいないと言えるのか 意識の座に出現している肉体精神機構・DNAプログラムとその記憶(自我)の働き
複数の人格・記憶は継続していない 瞑想
共振電磁場 一緒に苦しみ悲しみ共に痛むこと
結果 雑念
全託し観照すること Beingとbecoming実在と錯覚
悟りとは 体系的宇宙観の虚偽(考える私は誰か)
見守る者(観照者)の反映が自我だ 他の教えのことをレベルが低いとか非難するな
記憶を分離しないで味わうこと オープンマインド
玉響(たまゆら)の目について 正しき思考、正しき行為・八正道
荒野に呼ぱわる者の声がする 観察者と観照者の違い
無限遠点 熟睡の、夢見の、日中の意識とは
マインドに意識の焦点をあててはいけない 私もどきとは同一化してはいけない
絶対安心 自我の終焉を願っている私とは誰か
霊・魂・体 思考は悲しみだ
思考も思考する人も行為も行為する人もただ起きている 脳を経由しているもの、経由していないもの
観察者・観照者・ただひとつなるわたし 私とは結果である
観念の崩壊 自己関心と自己忘却
全受容 進歩し、進化し、開悟する者とは私か
自己解体のプロセスとは何か 選択することは出来るのか
あるがままをあるがままに見よう 個と全体との区別はあるのか
マトリックスの動き スワミ・スリ・ユクステワの解説図への概観図
真我という想念以外の想念を抱くな 自由を求めて
善は善だけを見ている プログラムとしての自我
信じることの大切さ スワミ・スリ・ユクステワの「基本的概念」の解説図紹介
色即是空 鍵は私の中にある
凝視している主体がないとき凝視がある 自己観察のためには
自由への道 無為についての考察(無為とは救済である)
瞑想では松果体に集中すべきか 月と鏡の関係想像図
魂(第一想念)と松果体との関連想像図 何故、真我実現しようとするのか
不死鳥(フェニックス)として蘇れ 人類は今まで一度も神を求めたことはない
時間-それは嘘 身体感覚の消失
利他という方向性 転生しているのは私だろうか
二元の私と非二元の私 魂の弁証法
私は未だ誕生していない 私の名前はマトリックス
主体には客体は存在しない 行為しているものは誰か
自我と超自我 恩寵とは自らの限界に気がつくこと
時間は敵 拡大(遠心・浸透)の道と凝集(求心)の道
ただ一つであるもの 転生するもの、しないもの(波動領域を超越して)解説図付き
気づきは気づきを意識していない 果たして思考はやってきているのか、私が思考しているのか
霊的野心を抱いているのは誰か 正しい錯覚
不安に「不安」というレッテルを付けるな 脳に使用されているから脳を使用するへ
動かず・動けず・動こうとせず ラマナ・マハリシの至高の言葉
「何も求めず・為さず・成ろうとせず」も、ただ起こる 求めるものは遠ざかる
五感は私のものではない 時間と空間はマトリックスではないのか
似て非なるもの 見ることが出来る「目」は開いているのか
目を見ることが出来るのか マトリックスをマトリックスと見ることが解放をもたらす
私は移動していない 魂という語彙について
凄さを再認識(ワンネスについて) 自分を限定されている、と考えることを止めよ
波は海が在るから有る(海が波を支えている) 上からの道(拡大)と上への道
自己観察の段階的考察(一求道者の個人的試案) 内部は私ではない
意識の存在的考察(一求道者の個人的試安) 虚偽を虚偽と見ることの中に真理はある
努力をしているものは誰か 真我が覚醒してから自我(エゴ)は終焉することが可能になる
波動との不一致 魂の境位・意識・波動のレベル状態は結果である
誰が誕生したのか 私たちは世界を苦しみから救うべきではないでしょうか
聖なる御方の出現 マトリックスとは
開花のプロセス 私ではないもの 第二弾
愛は神である、愛が神である 自我(エゴ)の根源に至れば(ラマナ・マハリシより抜粋)
「起きる」と「起こす」 開花し大地に戻ることは必ず起こる
「私は誰か」と尋ねているのは誰か 真我という蓮の花は泥の中から開花する
真の神聖なる地とは 「信心銘」(禅宗の三祖、僧鑑智禅師)
親が子に語る真我のワークとは あるがままで在ろう、何処にも行かず、何にも成らず
偽見とは マインドを超えて行くにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ (ワードの方はこちら)
私ではないもの 死者に死者を葬らせよ
沈黙の言葉(ラマナ・マハリシから) 叱責・教師からの恩寵
エゴの消滅を願っているのはエゴだ 観察者なしで見ること
マインドと同一化しないということ マインドをマインドと見ることよってマインドは沈黙する
何処にも行かない・何にも成らない・ただ在る 闘わぬ愛の聖者
何も起きてはいない 「正見」と二元分離で「見ていること」とは全く違うことだ
自己留意について あるがままをあるがままに見ることが真理である
私の会社の親しい友人へ 良くなろう、自分を変えようとすることは良きこと・愛の否定だ
我見・他見・離見の見・非見の見について 真我覚醒と真我実現の相違について
花は美しい、私は花だ マインドという根本無明について
「在る」ただ「在る」 頭脳の変換と手術は内なる「気づき」によってのみ行われる
死の賛歌を歌おう、愛の賛歌を歌うために 既知なるものの中にこそ未知なるものはある
頭脳の変換・手術はどのようにしておこなわれるのか 頭脳の変換が悟りかーそれは真我からやってくる
既知なるものは未知なるものになることは出来ない 知識を求めることは自我(エゴ)の働きだ
知覚される対象としての神とは神ではない 第1想念を拒絶しよう、ただただ聴こう、ただただ在ろう
自己責任を果たそうではないか 虚偽を虚偽と見ることの中にこそ、真我は訪れる
火急の緊急の一大事とは 人類は神を求めたことがあるのか
真の私と私でないものを同一視することを止めよう 世界が現れるのは身体を自分と錯覚しているからだ
第一想念とは※ 意識の座とはなにか (観念想像図)
非二元性への旅立ち 世界を対象と見るときそれはマインドが意識を覆っているのだ
人見て法を説け 行為は外部からやってくる、それは起きる、だから「在りなさい」
自力門と他力門は同じ真我への道だ 五感の拡張・拡大について
真我は何処に宿っているか 私ではないものとは何か・偽我とは何か
「私は悟った」は自己矛盾だ、偽我は真我ではない 私は非対象であり、対象ではない、純粋主体だ
夢の中で「夢から醒めた夢」を見ている 宇宙のエルダーブラザー達は待っている
内側が変われば外側は好転する 眼の覆いが取れるとき(マインドにきづいたときが「意識」であり、意識の全体性を見ることが「気づき」だ)
盲人とは神以外に何かが見える人 転生するもの、しないもの(予想概観図)
もし貴方が自分の霊的指導者だったら やってくる自由意志と自己の行為に自己同一化するな
個人の人格とハイヤーセルフ(真我ではない)関連想像図 マインド、意識そして「気づき」この三つの意識状態
自我とは何か      ◆その自我の関連想像図 否定的接近は真我探求のスタート地点へと導く※
気づきがあればこそ、マインドは有ることができる※ 聖なる学びはビジネスが絡んではいけない※
私ではないものに気づこう※ 奇蹟を顕しても人々を虜にしない※
歴史教育について 新しい葡萄酒は新しい革袋に
反応は条件付けられている 思考者は自我、 行為者・出来事は根源・源泉、 観客は観照者
神の御名は“わたし” 気づきが気づくと言うこと
主体は客体である 既に悟っている、悟ろうとすることはマインドの働きだ・輪廻は夢だ、虚偽だ
親が子に語る人生を生きるとは
物念は残留思念とは違うのか 人格・ワサナを抱きしめよう
分離して見ていることは邪悪だ 観照者は真我と意識を繋ぐもの
盲人の手引き マインドは肉体の中にあるのか
静寂な鏡とは 私達は本当に求めているのか
自らが自らの光たれ 私は在るという感覚に焦点を合わせよう
不活性酸素が病気の元か 直感力(言語によらない知覚・理解コミュニケーションの段階)
体験・知覚・認識に私は関与していない わたしの心に(内と外に)起こることは全て決まっていること か
受胎と誕生のシステム、アートマンとブラフマン 実は何も起こっていない、全ては起こっている自由意志は存在しない
三段階の私  エレブナの次元解説図 ビジネスは愛ではない
それはそれで良いのではないか 焦ることはない 輪廻は腐敗だ、進化は退化だ
親が子に語るマインドとは何でしょう 真我の特徴(バーナデット・ロバーツの体験から)
鏡を割れ 肉体のことは肉体に任せよう
私達を乞食にさせてはならない 脳を媒体にして、私と言う個人・人格の観念はマインドによって作られた、それは私ではない
真の神の探求とは 正しい観念は有効だ
マインド・意識・気づきの段階 100の私でないもの
マインドの特徴 気づきは必ず愛を伴う
自我の終焉は真我の覚醒の後に訪れる 生きるためには死ななければならない
自分を認識の対象に見るとき、自分に気づいていない 外部は内部であり、内部は外部からやってきたものだ  概観予想図
体外離脱 エゴを愛す
言葉は不適切な伝達方法だ 親から子に語る瞑想とは
クリシュナムルティーについて 金銭の授受
意識の重層性 観察することの力について(見ること・気づきの及ぼすちから)
気づきの段階 良くなることは良きことの否定である
第3の目で グルについて
家族関係について(我と汝、汝の出現) 富める者は
悟りエゴ 自己想起とは肯定的接近ではない、私ではないものを私ではないと見ることだ、否定的接近だ
悟りにお金は必要か 表現のオリジナリティーについて(それぞれの覚者の独自の表現する方法や言葉の違いの奥の共通項をみる)
存在・意識のレベル(戻ることのない私の実存レベル・周波数を上げること) 一人でも多くの人に真実を伝えることは可能か(言語・想念・情報・知識の伝達の限界)
何もしない、何も出来ない 自分のものなど何もない
私達を乞食にしてはならない 神を外に求めてはならない
ワサナとは 闇の中にこそ光はある
何故、転生する直前の記憶がないのか 何故、霊界では進歩しないのか(何故分離してみているのか・肉体の錬金術的創造作用)
観照者とは 分離は幻想である
恩寵の為の前提条件(恩寵は内部からくるという、その為に何をすべきか)
内界は外部からやってきたものだ(外界は内部の投影だ)
肉体と同一視してしまっている(玉響は真我の乗り物だ)
見もの、見られるもの、見ることは同一の過程である
恐怖から目を逸らすな(蓮の花は泥沼から咲く) 虚偽を虚偽と見ること、虚偽の中に真理を見ること、真理を真理と見ること
個人とは
行為はマインドと肉体に起こる 恐怖は自己から逃避することから生じるか
観照者の発見はグルの恩寵による(観照者が真我へと続く) 「わたしは誰か」は観照者からの炎だ
父と子と聖霊「三位一体」について 真我は待っている(真我を真剣に愛そう)
死ななければ生きることは出来ない
愛の火が燃え広がるとき、夜明けが来る
車ごと瞬間移動で透明化 私は私ではない
虚偽を虚偽と見たとき、それに真理が顕現する 気づいているものが居る限り、それは偽物だ
愛は行うものではない「存在・観照者」の状態だ グルや神や人間にレッテルを貼るのを止めよう