鏡に移して見なさい!!・・黒住宗忠



私の感想

黒住宗忠は教えておられます。

鏡に映っている私からではなくて鏡それ自体から見なさい!!

鏡から見なさい!!
悟った方、高次意識に触れられた方々はみなさんそう仰います。

黒住宗忠は私達とは天照大御神の御分心であり、わたしもあなたも皆、
鏡=神の子であると仰います。

それは彼らは私達と違って思考ではない高次の意識が目覚めている
からです。

高次の意識とは神道で言う「私達の本体=鏡」のことであります。

私達の現況では、私達は鏡のことや、鏡の意識の事はなにも理解
出来ません。私達は全くその鏡という高次の意識の事も、その
高次の意識が存在していることも全く知らないし経験がないので
「自分が知らないことは存在していない」として否定しています。

しかし私達が知らないからその高次の意識がないというわけでは
ありません。私達が知覚できないからといって否定しても、その
高次の意識・鏡があるから私達はこうして生きていられるのです。
私達は傲慢にも食べたことがないからといって、そういうものを
否定しているのです。

鏡に映っている私やあなたとは、私やあなたではありません!
記憶です。と
私達自身は鏡なのです。意識なのです。と仰います。
ただその意識(鏡)に思考が去来しているのですと。

鏡に映っているものとは鏡そのものではありません。
鏡に映っているものとは、
鏡に映っているものであり鏡ではありません。

あなたは鏡なのです。
鏡に映っているものではありません。
私やあなたは鏡という純粋な意識なのです。と
ただ、その鏡(一霊四魂)が未発達で汚れているのですと。

私達は鏡であり、鏡に映っている記憶・私ではありません
鏡に映っているわたしやあなたとは鏡自体ではありません。
・・・と、その高次の意識の方々は仰るのです。

では、その鏡に映っている私を見ているのは誰でしょうか?

クリシュナムルティーはその鏡に映っている私を対象として見ているものは
その鏡ではなくて、鏡に映っている記憶が、記憶自身を分離して
対象化し、自分である記憶を見ているのだと教えておられます。

そこで黒住宗忠は
このわたしやあなたという鏡に映っている記憶のことを
記憶から見るのではなくて
鏡である私自身である意識に意識を移して私自身を見なさいと、
未発達で坩堝状態であっても私たちの意識を鏡に移して、
その透明なる意識・鏡からわたしやあなたを見るのですと
教えておられます!!


「立ち向かう人の心は鏡なり己の姿を移してや見ん
なのです

これは自分自身・鏡として
わたしやあなたという鏡に自分の意識を移して
鏡に映っている自我・私・記憶を
鏡として見なさいということであります。

自我・私・記憶のことを自我・私・記憶から対象と
して見るのではなくて

鏡に映っている自我・私・記憶を
わたし自身が鏡として見なさい!!
即ち
自分自身である意識を自分自身である鏡に戻して
そして見なさい。‥という事であります。

その自分自身である透明な鏡から
鏡に映っている自我・私・記憶を見なさい。
と教えておられるのあります。

とりもなおさず、鏡とは天照大御神の御分心であり、天照らす御祖の神
とは無限の愛と無限の感謝でありますから、その無限の愛と感謝の心で
もって鏡に映る万物一切を見なさい!!
と言うことなのでありましょう。
ただ黒住宗忠が言うように、私達のその心は成長しておらず未発達であ
ると言うこと、そして記憶と一体化して汚れてしまっているということ
でありましょう。


内も外も、万物一切を愛し、万物一切に感謝しなさいという
ことでありましょう。

それをエレブナでは、異なる表現で
サイコノエティック体に意識を向けて
そこから鏡に映る「記憶・自我・エゴ」を
自己観察しなさい
と言っておられます。

エレブナでは私達である現在のパーソナリティーとは即ち、この
サイコノエティック体(一霊四魂の四魂)の状態のことであり、
このサイコノエティック体(一霊四魂の四魂)の成長状態が、
そのまま現在のパーソナリティーの私の意識段階、即ち現在意識の私
表面意識の私の意識段階なのです。
と言われております。