どうしても許せない私
久し振りで、懐かしい先輩を訪ねて心の悩みを相談してみました。
私:実は私の親のことで相談に来たのですが、親は地方にいて一人暮らしなので
優しくしてあげなくては、とつねづね思っているのですが・・親の顔を見ると無性に
腹が立って、心の底から怒りがこみ上げてきてしまうのです。どうしたらよいので
しょうか?
先輩:それはどうしようも無いことです。
あなたにはそれを変えることが出来ませんよ。
私:え?!、でも、私はその自分を変えて、もっと親に親切に接したい。と思っているの
ですよ。
先輩:あなたの親もそしてあなたも、こうして親子として生まれてきているのは、学ぶた
め、過去を清算するためではないでしょうか?この起こっていること、出来事とは
あなたにとってもあなたの親にとっても「起こっている出来事」であり、そして人格の
あなたというのも、この起こっている出来事の一部なのです・・。
ですからその起こっていることは、現在のあなたという人格もそうである以上は
この情況、この起こっている結果を変えることもできず、それに参加することも出来
ないのです。
あなたの知覚は起こっている結果(過去)を知覚しているのですから・・。たとえて言えば
映画を観ているあなたは、映画の映像を変えたり、ストーリーを変更できないわけです。
あなたに出来ることは映画を観ているあなたの態度を変えることであり、それを選択
できるわけです。起こっている記憶の私と同一化しないことを選択できます。
私:では先生は、この私の親に対する、どうしようもなく沸いてくる私の「憎悪」は、過去からの
因縁によるもので、この映画の映像のようにスクリーンに映っている、この人格の私には
どうしようも出来ないことだと仰っているのですか?
先輩:それはそのとおりです、あなたにはどうすることも出来ません、
しかし、魂と繋がっているあなたには出来ます!魂と繋がっているあなたは未熟であっても
映像や結果ではないからです。自由意志が有り、映像を変える能力もあるからです。
あなたにはそれは出来ますし、するべきです。
ただそれは「記憶という人格のあなた」ではありませんし、あなたが目覚めている場合に
限られます。人格のあなたとは記憶であり、記憶の反応なのです。
その人格のあなたと、「魂と繋がっているが、まだ目が開いていないあなた」「意識のあ
なた」とは全く異なっています。
あなたは記憶の反応である「人格のあなた」ではありません。その人格のあなたは、魂と繋がる
あなたがこの起こっている事に対して同一化した結果あなたが生み出したエレメンタル
ですから、人格のあなた(記憶・想念形態)は、全面的にあなたに責任があるのです。
あなたは未熟であっても、魂と繋がる表面意識の現在のパーソナリティーなのです。
記憶である人格のあなたとはその表面意識に現れては去って行く記憶・結果なのです。
ただ魂と繋がっているあなたはまだ幼稚で目が開いていないので、記憶が思うように
思ってしまい。記憶が行為するように行為してしまうのでカルマを負っているのです。
しかし、如何に未熟とはいえどもあなたには、この記憶の「為していること」、「思って
いること」「行っている事」に対しての態度や自由意志はあるのですから、記憶に対し
て「愛しているよ、有り難う、許して下さい」と言うことは出来ますし、するべきでしょう。
私:え!!先生は私の事を記憶である人格の私と、人格の私に覆われている「未熟な表面意識の
私」の二つのわたしがあると仰っているのですか?
先輩:勿論ですよ。
今ここでお話になっているのは記憶である人格のあなたですが、あなたの意識の中でその
人格の私に時々気が付いているもう一つのあなたがいます。
そしてその人格の私がどうしても親を許せないので、許せることが出来る様に、自分を
変えて親切になろうと努力しているのですが、その努力している私も、その人格の私で
あるわけです。その人格の私とは記憶なのです。あなたではない記憶の私なのです。
ですからこの私とは、その記憶の反応である私なので、記憶には記憶のことをどうする
ことも出来ないのです。
記憶は過去であり、メモリーとして反応しているだけであり、起こっている出来事や、起こ
っている事態に条件付けられているように反応しているのです。
ですので記憶には起こっている出来事には参加することも変えることも出来ないと言われ
ているわけです。
そして、今の段階では魂に繋がる私は、その記憶の私と一体化していて自由が無いのです。
この状態が今のあなたの現実の姿なのです。思いはあなたが思っているのではなくて記憶
が思っていることなのです。あなたは行為していると思っているでしょうけれども、その行為も
記憶が為していることにあなたは気が付きません。
私:先生が仰っているのは、私には人格の私ではない。もう一つの私があると言うことですよね?
先輩:もう一つの私とはあなたの魂と繋がっている潜在意識からなる表面意識のあなたです。
けれどもその表面意識のあなたとは非常に未熟であり、未だ道なかばであり、この世に来て
まもないのです。数回の転生で多くを学んでいないのです。本能のままに生き、欲望や
願望に捕らわれてしまっていて、決して自由のことも知らず、自分自身のことを学んでも
いないので、目が開いていません。ですから魂と繋がるあなたは人格の私の事を自分
自身だと錯覚しているのです。
起こっている出来事に参加することも出来ず、変えることも出来ないで「願望」や「執着」
に捕捉されてしまっているのです。
私:それは一応分かりますが・・それでは話しは元に戻りますが、私はどうすれば親のことを愛す
ることが出来る様になるのでしょうか
先輩:それは愛することです
私:え!さきほど先生は「怒っていること」は過去の因縁だからどうしようも出来ない・・自分には自分
を変えることは出来ないと言われませんでしたか?
先生は先ほど、人格のあなたは記憶の反応だから、起こっている事に対してどうすることも出来ないし
愛することや、自分の憎しみや欲望から解放されることは出来ないと言われませんでしたか?
先輩:そうですよ、その通りです。
人格のあなたには、「親を憎んでしまうこと」に対してどうしようのないこと、変えることが出来ないの
です。あなたは記憶の反応ですから、その人格のあなたとはその起こっている事の一部であるから
です。コンピュータのように記憶が再生されているのですから・・・・しかし魂と繋がるあなたには愛す
ることが出来ますし、愛するべきなのです。なぜならあなたは魂と繋がっており、魂とは愛であるから
です。魂と繋がるあなたには「魂のさらに内奥の源泉」から愛が与えられるのです。愛することで「万
物を愛することが出来る愛」が与えられるのですから。
そして最も重要なことは「愛すること」でその記憶が解消され、記憶から解放されて、自由になること
が与えられるからです。
私:それはどういうことですか?詳しくお話ししてください
先輩:残念ながら・・私には愛を話すことは出来ません。
私は未だその段階ではありませんし、愛は情報や言葉や、概念として伝達できることではないからです、
愛は自分が失われたときに、既に最初からあったと言われています。
・・・では話を変えましょう
さて、人格のあなたは、魂と繋がる私が作り出したものです。記憶はあなたが創り出したのであり、あなた
の責任なのです。
私:へええ、そうですかね・・
先輩:人格のあなたとは実は、今世の人格のことだけでは無く、個人のものでもありません、地球全員のものです。
それはあなたの意識を構成している潜在意識層にある記憶なのです。その記憶が「私」といっているのです。
人格のあなたとは記憶の反応なのです。そしてその記憶とはあなたの数え知れない過去の昔からの人類の
記憶の蓄積なのです。思考は記憶の反応であり、思考が反応している限りはそこに記憶がいます。
その記憶は潜在意識にあって、数知れない無数の私から構成されています。人格のあなたとは一人
だけでは無くて、地球人類の全ての人が共通している同じ記憶なのです。
そしてその記憶が起こっている出来事に対して反応を起こしています・・・あなたとして、私として。
それが今のあなたであり、人格のあなたであり、そのあなたとは記憶の反応なのです。
その過去の記憶が記憶を変えたい、記憶から逃れたいと思っているのです。それこそが記憶の欲望なのです。
しかしながら記憶を浄化できるのは記憶ではなくて、神聖なる根源だけです。
私:それでは先生は、この起こっている出来事に対して反応しているのは魂に繋がっている私ではなくて
私の潜在意識層にある人類共通の記憶が人格の私として反応を起こして、「親をよくしなければならない」
「自分を変えて、親を愛せるようにならなければ」などと思っているということですか?
先輩:その通りです、そうではないでしょうか?
ですから、そのあなたの親とはあなたの潜在意識にある記憶を表面意識のあなたに見せて下さっているのです。
あなたは潜在意識に感謝し、ありがとうございますというべきではないでしょうか?
親に対する、その憎悪はあなた自身の姿なのです。実際には、あなたはあなた自身を非難して憎んでいるのです。
あなたが自分を許していないのです。ですのでその自分の憎悪が親として、親に対して顕れているのです。
自分を許しなさい。自分を愛しなさい。
私:う~ん。その私の親とは私の姿であると言われているのですね?
先輩:そうです。あなたが憎んでいるの親ではなくて、自分を憎んでいるのです。
私:う~ん・・そうですかね~。
先輩:あなたは自分の親だと思っているでしょうけれども、あなたが憎んでいるのは親ではなくてあなた自身を、
憎んでいるのです。あなたの中にある記憶が記憶のことを憎んでいるのです。それを魂と繋がる未熟な
現在意識のあなたは、「私は親を愛したいのですが、どうしても憎んでしまう」と言っているのです。
私:どうしたら良いのでしょうかね
先輩:あなたは自分の中にある、その記憶を愛することです。なぜなら魂に繋がるあなたは愛だからです。
潜在意識にある、その記憶はあなたが創り出したあなたであるからです。あなたに責任があります。
人格の私に覆われている「未熟なあなた」に繋がっている魂とは愛そのものです。
ですからあなたは、あなたを愛することが出来ます。
あなたの生み出した人格のあなたを愛することです。
記憶を愛して、許すことです、感謝することです。
このように顕れてきて私自身を私に示して下さっていることに感謝することです。
私:そうですか・・なんとなくわかったような分からないようなところです。
ところで愛とは何でしょうか?
先輩:もし、愛を知っているのなら、わたしはここにおらず、全ての全てに神を見ていることでしょう。
愛はあなたにとっては未知なる実在です。あなたは愛を知らなくて当然です。ただただ愛しなさい。
愛に全託しなさい。愛こそ神だからです。神こそ万物であるからです。
愛はあなたにとっては認識できません。それはあなたの魂の内奥と同じです。知らなくても良いのです。
知るとは思考であり、それは記憶なのですから、思考には愛は分からないのです。
愛を愛して、愛に全託し、身を委ねることです。愛こそ全てであり万物であるからではないでしょうか?
私もあなたと同じように未熟な段階です、お互いに頑張りましょう。私達がこの世に生まれてきたのは
決して偶然ではありません。
ミルダッドが言うように「魂からの私がこの人格の私の死を通じて愛である自分自身を知るためにこの人
格の私はある」のですから。
そしてこの記憶を浄化するのは、表面意識である現在のパーソナリティーの私達ではなくて、魂の内奥
にあるこの魂を創りだした大元の根源ですからね。内なる私に感謝し、祈り、全託し、帰依しなさい。
縁あって今世でこうしてお目にかかれるのも学ぶためです。学びは死んでも続いていきますよ。
私:正直言って良く分からない事も多いのですが、今後ともよろしくお願い申し上げます。
先輩:その「今後ともよろしくお願い申し上げます」と言っているあなたは、あなた自身ではありません。
あなたを覆っている記憶が意識し、話しし、行為して、生き続けているのです。
その「よろしくお願いします」と言っている記憶が脱落するまで、あなたはあなた自身ではないのです。
今のあなた、これを聴いているあなた自身はあなたを覆っている記憶の反応なのです。
私:また参りますので、よろしくお願い申し上げます。