今、此処、あるがまま
今に!
此処に!
あるがままに!
何処にも行かない!
何にも成らない!
何も為ない!
何も足さない!
何も引かない!
ただ在る!
外は内!
内は外!
われはそれ!
宮澤謙治ではないけれど、そのように私は生きたい
私とは誰か
この想念は誰が知覚しているのか
この想念を知覚しているのは誰か
この想念と知覚者は別々ではない
この知覚しているものは、この想念である
知覚・感覚・思考・言葉・想念・観念・知識・時間・体験・経験は分離している
従って
この私とは、想念を知覚している私とは、想念に過ぎない
この私が沈黙せず、私がお喋りしている限り、
この知覚している私は、知覚されているものである
感覚・知覚そのものが分離そのものである
それらは全体性・「存在しているもの」ではない
「存在しているもの」・非分離性・全体性・未知なるものは知覚されるものではない
知覚し、体験し、認識されるものも、しているわたしも「存在しているもの」ではない
沈黙だけが非分離性・全体性・未知なるものを開示するといわれている
上記の太文字の言葉の意味は
「存在しているもの」に出会うための沈黙と静寂への入り口・準備である
この「私とは存在していない」「私はない」
ことを再認識するために必要な沈黙への入り口だ
虚偽である分離性を分離性であると見て、それと同一化せずに拒絶すること
幻想である二元性を二元性と見て、それと同一化せずに拒絶すること
私ではないものを「存在している私」ではないと見て、それと同一化せずに拒絶すること
それらの虚偽を虚偽と見、それと同一化せずに拒絶すること
その虚偽を虚偽と見ることが真理を開示する
意識界が起こしている輪廻転生を虚偽と見、拒絶すること
虚偽である自己を虚偽であると直接に、ハッキリと、完全に見るためには
正見する目が必要だ
その目は沈黙の中から開眼する
と多くの正覚者はいわれる
偽我と真我の区別や二元対立は虚偽である
現象と実相の区別、二元対立は虚偽である
分離という二元性が無いとき「真の実在」が初めから在る
マトリックスは消えている、これは存在ではない
光があるとき、分離と二元という闇は消えている
光を求めることは闇の動きである
闇が闇と見られて消失したとき
初めからある光だけがある
光を求めることは闇であることだ
闇であるから光を求めるのだ
光は求めなくとも、そこに在るのだ
既に在るのだ
だからこそ
いまこそ必要なることは
今!
此処!
あるがままに!
何処にも行かない!
何にも成らない!
何も為ない!
何も足さない!
何も引かない!
ただ在る!
外は内!
内は外!
われはそれ!