ホ・オポノポノについて
ホ・オポノポノは素晴らしいと思う。
一部の信者達はそれを願望成就の手段に使っているけれども
ホ・オポノポノの語る神髄はとても奥が深いのである、と思います。
ホ・オポノポノのヒューレン博士の講話はユーチューブで見ることが出来るので、
見てみたが、とても素晴らしいと思う。
あの講演会場で博士は、「私の言うことを理解出来る人がいたなら、ここには
来ていないことでしょう」と云っていたが、受講者の多くは問題や質問を抱えていて
ヒューレン博士の「質問をしているのは誰ですか?」の質問自体を理解していない
ようであった。
質問をしているのは誰であろうか?・・・
「それはメモリーであって、あなたではない」・・というのが博士の回答であった。
「あなたとは空なのであり、メモリーという行為と思考の記憶ではない」ということである。
「考えたり、悩んだり、質問したりしているのはメモリーであってあなたではありません」
「私・私、私と実感している私は、表面意識を覆っているあなたではない思考なのです」
「あなたが空であるとき、内奥の光が空となったあなたを通じて光り輝くのです」・・と。
そして、「その本来の空となったあなたという透明になった鏡である表面意識を通じて
内奥からの秩序が現象界に顕れるのです」・・と。
「問題を抱えて人生を生き、コロナの恐怖に喘ぎ、そしてまた将来を案じ幾多の質問をしているのは
あなたではなくて記憶・思考なのです」、思考の記憶が私だと錯覚して「自分が自分の人生を生きている」
「私の肉体であり、私が行為している」と「思考の記憶が錯覚しているのです」「あなたは内奥で
超意識と繋がっている鏡という表面意識なのです」・・というのである。
記憶と行為は内部の、そして外部の出来事として起こっていることであるけれども、「思考の記憶は
自分が行為して、思考して、内部と外部の出来事に参加していると思っています」と。
しかしながらこの記憶の私は起こっている内部と外部の出来事に参加しておらず
この記憶の私自身こそが、起こっている出来事の一部なのではないでしょうか?
「記憶にはその起こっている行為や思考という出来事を変えたり、参加することは出来ない。」過去だから・・
「あなたとは、その起こっている出来事の一部であり、その起こっている出来事の行為と思考の記憶が
あなたである」「ですからその自分を詐称する記憶・メモリーをゼロにすることが大切なのです」・・
「記憶の私が脱落したとき、透明で無である本来の空のあなたがそこにいます」・・・
「表面意識である鏡(心)から、それまでへばり付いていた思考の記憶の私が脱落したのです」・・
その為には鏡である表面意識から潜在意識にいるメモリーに悔悟と懺悔と愛と感謝を捧げることです・・
と博士は語っていた様に思われます。
これは天才哲学者として近頃、有名であるマルクス・ガブリエル氏もテレビで語っていた
ことと同じなのではないでしょうか?
「私とは世界を見ている主体ではなくて、その見られている世界の一部が見ている私なのです」と
起こっている思考が思考者、即ち思考している私を生み出し
起こっている行為が行為者、即ち行為している私を生み出している・・のではありませんか。
肉体に入り条件付けられている脳と結合した「鏡といわれる表面意識」がその思考と行為
を自分自身だと錯覚しているのですと。
そしてその行為と思考の記憶が死後も生き残って生存し、転生を繰り返している私(サイコノ
エティック体という表面意識)を包んでいる
即ちメモリーの私が、私として表面意識と一緒に継続して生きてしまっているのではありませんか。
「この起こっていることの一部である私達・私とは起こっていることそのものであり、森羅万象と同じく
起こっている出来事です」。「起こっている行為と思考がメモリーの私であり、そのメモリーが行為や思考や
出来事を見て観察している私です」「観察者の私とは記憶の反応であり、その私は本来透明である
表面意識の私ではなくて架空の存在なのです」。と
「行為していると実感する私、思考していると実感する私、出来事を変えたりすることが出来ると思っ
ている私、私は私だと思う私とは、存在していない架空のもの、架空の私、即ち記憶の反応なのです」と。
「心という鏡・表面意識に映っている私の姿とはこの記憶の反応なのです」「表面意識は思考の私に包
まれ、思考の記憶を映してしまっているけれど、表面の意識である鏡それ自体とは空であり思考ではな
くて内なる愛の太陽が輝く透明な意識・心・セルフエピグノーシスなのです」と
「鏡である表面意識を覆っているこの私とは、起こっている出来事である行為と思考が生み出している
過去の記憶であり、それがこのメモリーの私です」。
「記憶の反応の私が私として死後も継続して再び新たなる肉体に生命や鏡の私と共に下生しているのです」
「この記憶の私が脱落したとき、完全完璧が、愛が、鏡である表面意識を通じて姿を顕していることでしょう」
・・・ということでありましょう。
本当の真実とは、鏡である表面意識の私とは空であり、そこには主客に分離した私はいないのでありましょう。
「この記憶の私とは現象界の一部であり、起こっている内部と外部即ち行為と思考の記憶なのです」。
「本当のあなたとは、光り輝く空、思考ではない空の意識なのです」。
・・・とそのようにホ・オポノポノのヒューレン博士は語っていたように思われるのです。
※この文章はホ・オポノポノから提供されている「意識解説図」を見ながらですと理解しやすいです。というのも
わたしも、そのホ・オポノポノの「意識解説図」を見ながらこの文章を書いておりますから。