松果体と魂との関係想像図


質問:自我(エゴ)によって導かれた探求は、自我自身の非実在性を暴くことが出来るでしょうか

ラマナ・マハリシ:
     自我(エゴ)の現象的な存在は、「私」という想念の立ち現れる源を探ることによって超越される
     (久保注:そこに到ったとき最初から自我(エゴ)は存在していないといわれる)

ラマナ・マハリシ:
     もしあなたが、ただあなたの純粋な存在である「私」として、何の想いもなく留まれば
     「私」という想念は消え去り、無明は完全に消滅するだろう
     そして、全ての対象物は消え去るであろう

     アートマンはつまり想念のない内側に向かった心によって実現される、
     その時、心はそれ自身の源を見て真我となるのである
     それは主体が客体を知覚するような状態ではない

     偽の私は、対象物との同一化によってのみ存在することを主張できるのだ
     (久保注:例として私は思う、故に私はあるなどのようにか)

     私であることによってのみ、身体的、そして精神的な全ての対象物の知覚が完全に止みそれは消える

     客体や対象に気づくよりも主体を体験する状態こそ成熟の段階である





   「魂と頭脳の関連予想想像図」


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