カルマ
カルマ・・それは一秒の狂いもなく人生で押し寄せている起こっている出来事、
病気や健康、才能や障害、出会いや別れ、失敗や成功、恐ろしいことと楽しいこと。
有無を言わせずに起こる衝動や行為等々。
また同じく内部に沸き起こっている欲望や渇望、そして恐怖心や高慢等々
またまた仕事やその為の思索や計画やいろんな考えや思い・それがカルマ。
・・・これらは一体どこからこの表面意識に来るのだろうか?
それは外部からではなくて、私達の内部にある潜在意識の記憶から起こっている
のだと。
これらの起こっている出来事、即ちそれは表面意識に起こっている、潜在意
識のなかにある記憶によって思考や感情や行為や思い、科学や哲学や宗教
や願望、欲望、病気や健康等々が起こっている。そしてそれらに対しての
私達表面意識の態度・・・この起こっていることに対しての私たち表面意識
の態度・・これが最も重要であるということ。
・・この起こっていることに対する表面意識の態度・・これがカルマを創るからであると。
通常私達は眠っているので、自分の思考だと思い込んでいる思考とは潜在意識の
記憶の反応であり、この知覚や認識は表面意識のものではなくて、潜在意識にある
記憶の知覚であり、表面意識は「眠ったままで記憶の思考に依って覆われている」状態
であるから起こっている思考や行為に対して正しく反応することが出来ないでいると。
表面意識は、眠った状態で表面意識としての機能を果たすことが出来ずに潜在意識
にある記憶からの行為や思考と同一化してしまいカルマを生み出していると。
思考・行為・出来事・・これらは全ては表面意識に起こっていることであり、その起こっ
ている思考・行為・出来事に対する自分からの反応も同じくその記憶からに相違ない
ことだろう。何故なら表面意識は眠ったままであり、起こっているカルマに対する反応は
鏡に映し出されている潜在意識にある記憶からの反応であり、表面意識がこの記憶に
対してどのような態度をとるのかが重要であるにもかかわらず表面意識が殆ど塞がれ
ているので反応を起こしているのはその記憶自身だと。
起こっていることに対して正しい反応をするには・・その為には、潜在意識に降下して
潜在意識にあるという記憶に対して「愛」と「感謝」を注ぎ、「超意識」を介在して「絶対
意識」に記憶を中和していただくことによって
表面意識は潜在意識にまで意識を拡大して目覚(透明・ゼロ)になることが可能となる
のだという。
そして、目覚めるためには潜在意識にある記憶から解放されなければならない。
解放されるためには自身の内部に降下して記憶を受入れて心から愛し、感謝しなけ
ればならないと。
即ち、この起こっている欲望や思考や行為に対する、私達の態度が最も重要であり
愛と感謝と全託と尊敬を以て接することが大切だと・・・。
私たちの態度とは行うことであり思うことでもあるので・・・これらのこの表面意識の態度
こそが私達のカルマを創っているのである。起こっていることに対して記憶が応答するの
ではなくて、表面意識が目覚めようとして意識的に応答しなければならない。
私達は表面意識であり思考ではないのだから思考なく見ようとしなければならない。
私達は起こっている出来事に対する私達の表面意識の態度を冷静に見る必要が有る。
ここでの見ている私とは記憶に覆われ記憶と混濁している私達、表面意識の事であるが。
それ故に私達はこの表面意識に起こっている出来事、そして思考や感情に対しての
態度に責任を持つ必要が有るし、この態度が問われている・・のであるといえる。
この起こっている出来事に対しての私達の反応を判断なくいつも注意深く見る必要が有
ると言える。誰が反応しているのか、誰が判断しているのか、記憶なのかそれとも表面意識なのか?
誰が思考しているのか?それは私の潜在意識の記憶であることだろう。
その表面意識の態度如何がカルマとなるからであると。
起こっている出来事と起こっている思考や感情や、出逢う全ての人や物に対して
愛と感謝と懺悔を捧げることが一番大切であるとつくづく思うのである。
それはとりもなおさず表面意識の状態を映しているからであると。
そして表面意識に起こっている出来事を愛し感謝し、起こっている出来事に対して
同一化して反応している表面意識である私自身にも感謝し、尊敬し、愛を注ぐこと
が最高に重要であると。