生きているのは誰でしょうか?
以下の事柄は全く以て常識ではそう思われないことでしょう、
しかしながらよくよく理論的に考えれば本当のことである様に思えることでしょう。
呼吸は誰がしているのでしょうか?誰が肺を動かしているのでしょうか?
勿論私ではなくて大生命でしょう。
誰が料理を食べ、そして消化吸収し、エネルギーに変換しているのでしょうか?
勿論私ではなくて大生命でしょう。
心臓は誰が創り、そして誰が実際に動かしているのでしょうか?
勿論私ではなくて大生命でしょう。
肉体や脳は誰が創り、誰のもので、誰が動かし維持しているのでしょうか?
勿論私ではなくて大生命でしょう。
脳に起こる感情や衝動や欲望や思考活動や行為は誰が行っているのでしょうか?
また行為とはこの私には自分が行為しているように見えますがどうなのでしょうか?
それは、行為とは脳が正しく機能しなければ成り立たず、脳は大生命のものですから
勿論私ではなくて大生命でしょう。
細胞は1週間で入れ替わると言われてますが、その細胞を毎回生まれ替わらせ
若い細胞や老いた細胞を分裂増殖させているのは誰でしょうか?
勿論それは私ではなくて大生命でしょう。
肉体を誕生させ、そして死亡させ、そして成長と老化を、健康と病気をもたらして
るのは誰でしょうか?
勿論それは私ではなく大生命です
現在のパーソナリティーを肉体に結びつけ、そして玉の緒を切断して、私を肉体か
ら解放させているのは誰でしょうか?
勿論それは私ではなく大生命です
細胞のDNAを創造し、書込み、コントロールしてそして維持しているのは誰でしょうか?
勿論それは私ではなくて大生命でしょう。
この人格意識である記憶を形成しそして私を維持し機能させているのは誰でしょうか?
勿論それは私ではなくて大生命でしょう。
五感を生じ、機能させ、その五感を統覚させて特定の個体として私意識を維持継続させてい
るのは誰なのでしょうか?
勿論それは私ではなくて大生命でしょう。
肉体と諸体のバランスを維持し、知覚と認識を統合し、この特色ある個人人格を成立させ
ているのは誰でしょうか?
勿論それは私ではなくて大生命でしょう。
自律神経と体性神経を形成し、そして意志的行為を成り立たせているのは誰でしょうか?
勿論それは私ではなくて大生命でしょう。
熟睡と夢見と覚醒時の意識を継続させ特定の私という自己意識を成立せしめているのは
誰でしょうか?
勿論それは私ではなくて大生命でしょう。
肉体に入ったわたしという心であり、傾向・サムスカーラや個性を持った私ヴィジュニャー
ナマヤ・コーシャを生み出し支え、生かしているのは誰でしょうか?
勿論それは私ではなくて大生命でしょう。
この私という個性を持った自己自我意識を誕生させ、幼児から老いて死亡するまで「私とい
う観念の主体」を維持し、この特異で個性ある自己を成長せしめているのは誰でしょうか?
勿論それは私ではなくて大生命でしょう。
この特定の個性ある、私個人を誕生させ、天賦の才能を与え、驚くべき力を授け文化文明
を築きこの社会を成り立たせているのは誰でしょうか?
勿論それは私ではなくて大生命でしょう。
失敗と成功、貧困と豊かさ、支配者と奴隷、才能と不具、良いことと良くないことをもたらし、
カルマと宿命と出来事を「自分は肉体だと思っている私」に興しているのは誰でしょうか?
勿論それは私ではなくて大生命でしょう。
平和と戦争をもたらし、意味の全くない人種戦争や地域紛争や宗教戦争をもたらして憎み合い
殺戮と悲しみの人類を導いているのは誰でしょうか?
勿論それは私ではなくて大生命でしょう。
ではそれら自己意識を自分のもの若しくは自分自身と錯覚している私とは誰のものなの
でしょうか?
勿論それは私ではなくて大生命でしょう。
この私という「幻影である個人」、「錯覚である私・自我」を誕生させ維持し、「私・自己」とい
うマーヤを持続させ、現象の人生をこのように多彩にあらしめているのは誰でしょうか?
勿論それは私ではなくて大生命でしょう。
命をもたらし、命を新たに誕生させ、そして衰退させ、死をもたらし、自我を誕生させ、
戦い合い、愛し合い、苦しみ、歓ぶ私として、この世でも、あの世でも実際に生きて行為
している私とは誰でしょうか?
勿論それは私ではなくて大生命でしょう。
敵と味方、悪人と善人、悪魔と天使を作り、戦争と平和を興し、世界をかくの如くに天国と
地獄にあらしめてるのは誰でしょうか?
勿論それは私ではなくて大生命でしょう。
それでは一体誰が私として生きて努力し、学び、結婚し、家を建て、都市を造り、文明文化
を築いているのでしょうか?
勿論それは私ではなくて大生命でしょう。
個性を持った私が生まれ成長し、そして老いて病気になるのではなくて、
また自我丸出しの私やあなたがお互いにいがみ合い、憎み合い競争しあっているのではなく
その個性を持った個人として生まれ、成長し、行為し、悩み、悲しみ、喜び、成功し、失敗し
て生きている私・個人とは、実際には神聖なる大生命なのではありませんか。
この私には髪の毛一本さえも生み出せないのですから。
この私にはこの自分自身という私を生み出せないのですから。
本当の実際は個人である私、人格の私というものは存在しておらず大生命だけが生きて
私とあなた、敵と味方、敗者と勝者を演じているのはないでしょうか。
この私・自己と言う幻想も大生命が自ら起こしておられるのではないでしょうか?