知覚しているのは誰か?



行為しているのは誰か?それは潜在意識の中の記憶である

思考しているのは誰か?それは潜在意識の中にある記憶である

知覚しているのは誰か?それは潜在意識の中のある記憶である

意識しているのは誰か?それは潜在意識の中にある記憶である

見ているのは誰か?それは潜在意識の中にある記憶である


たましいの私は目覚めておらず私の潜在意識の中にある記憶の私に包み覆われ
深く一体化しているので


私はその記憶が思うように思い
私はその記憶が意志するように意志し
私はその記憶が行為するように行為し
私はその記憶が欲望するように欲望し
私はその記憶が評価し判断するように評価し判断し
私はその記憶が願うように願い
私はその記憶が見ているように見
私はその記憶が考えているように考え
私はその記憶が感じるように感じ
私はその記憶が恐怖するように恐怖し
私はその記憶が絶望するように絶望し
私はその記憶が出来事を体験するように体験し
私はその記憶が自分は肉体だと実感するように実感し
私はその記憶が生きているように生きていることによって

私は眠ったままエレメンタルを生み出し続けている


私は私の潜在意識の中の記憶(思考)と一体化しており私は目覚めていないので

思っているのは記憶であり私ではない
意志しているのは記憶であり私ではない
行為しているのは記憶であり私ではない
欲望しているのは記憶であり私ではない
評価し、判断しているのは記憶であり私ではない
願っているのは記憶であり私ではない
見ているのは記憶であり私ではない
考えているは記憶であり私ではない
感じているのは記憶であり私ではない
恐怖で戦いているのは記憶であり私ではない
絶望しているのは記憶であり私ではない
出来事を体験しているのは記憶であり私ではない
実感しているのは記憶であり私ではない
生きていると思っているのは記憶であり私ではない


私が見て感じて行い思考しているのではなくて潜在意識の中の「記憶の私」が見て
感じて行為していることだろう(私の記憶ではなくて記憶が「私という分離している私」なのである)

私は目覚めておらず眠ったままだ

・・・というのも「”万物と分離している私(記憶)”の行為している」と言う実感があるからだ



人格・個人の私は記憶であって私ではない(記憶である私は万物と分離していると知覚し実感している)

私は目覚めていない、眠ったままだ

・・・というのも万物と一つではない、万物と分離している「”思考している私”の私」という実感があるからだ


私は記憶がクリヤー・空となり、「思考・私」が脱落しない限りは眠ったままであることだろう

もし少しでも目が醒めたなら、この肉体の目ではない第三の目と、肉体ではない「時間と空間に

縛られない身体の知覚」が発生していることだろうからである


私は眠ったまま「潜在意識の記憶の私を自分だと実感しながら」輪廻を繰り返しているのだ


・・・と身の丈も知らずに思ったりするときがある