私達はその脳に結びついているのである。
脳それ自体の構造は私やあなた、そして肌の色や地域でも異なっておらず、
如何なる国の人でも同じであるのに
脳によって生み出されている記憶が人類を自他に分け、そして異なる国民
に分けているという。
何故ならば、脳は既に条件付けられており、その脳によって生じている
思考と感情と感覚そしてその認識の記憶が私とあなた、私と万物、さらには
地球人とは宇宙人であるのに宇宙には地球人類しかいないという信念を生み
出している。(※厳密には脳が生み出しているのではなくて脳が受信して
脳から発しているのであるけれども)
すなわち、この条件付けられている脳から生じている錯覚が、見ている
私と、見られているあなたの分離という錯覚を生み出し
私と万物の分離という錯覚、さらには私と神の分離という錯覚を生み出して
いるといわれているのである。
細胞のそしてその基本構造は、あらゆる生物が同じであるのに・・・
それなのに、その同じ構造の細胞であるにもかかわらず思考が「私は○○
人であり○○国民であり、あなたとは違うのだ」と競争し、お互いが優位
に立とうとして戦っている。
・・・それが思考であり、思考は記憶から生じ、記憶とはこの二元分離の
「私という観念」から生じているのであろう。
この知覚している脳の根本的な認識形式とは条件付けられていて、人類は
等しくその錯覚から逃れられないのである。肉体に繋がった現在のパーソ
ナリティーはこの錯覚に縛られ覆われ染まってしまっているのである。
そしてその錯覚の記憶とは現在のパーソナリティーの潜在意識にあって
魂と繋がる私達を支配し、コントロールしていると。
しかしながら脳それ自体は、私やあなたも、日本人や外国人の区別もなく
地球人や宇宙人も等しく同じ構造なので、本来の脳自体には、私やあなた
という自他の分離や、見る者と見られるものの分離は存在していないこと
だろう。だがこの脳は条件付けられているので本来の脳の機能が制限され
ているというのである。
条件付けが解除されている脳にとっては私とあなた、私と万物、私と神、
私と生命の分離分割というものは存在していない事だろう。
魂と繋がった私はこの解放された脳と繋がり、新しい知覚が誕生している
ことだろう。
この地球人類の文明とは、人類の条件付けられている脳によって生み出され
ている結果であり、この先いかに文明が進化しても、この脳が条件付けられ
ている状態が続く限りは、分離がありエゴがあり、そして戦争は絶えない
ことだろう。
そこには本来あるはずもない自他の分離という知覚認識があるからである。
この根本の錯覚、即ち見る者とみられるものの分離がある限り、不安葛藤
や、苦しみや、競争や、目的、動機があり、そこには必ず記憶という
エゴが形成されてくることだろうし、エゴがある限りは、支配欲が、自尊心
があり、競争と戦いと虐殺は絶えることはないことだろう。
生命である脳自体は決して分離していないのに、条件付けられた脳によって
生じている分離という錯覚の知覚認識が思考を生み出し、その記憶が私と
あなた、私と神、私と万物、私と生命、見ている私と見られている私とい
う根本的な分離、錯覚を生み出していると教えられているのである。
見ている私と見られている私というこの分離、自らを主体と客体に分割
することこそが思考の特徴なのではないか、故に、この思考が清まる事が
ない限り、実相を見ることはないことだろう。