隣人とは実際には自分自身なのですから。
セルフ・エピグノーシス(Self Epignosis)を現象、および分離の世界の
イリュージョンから浮上させることに成功すると、
小さなエゴを越えたセルフ・エピグノーシス(Self Epignosis)
として、私たちは全てと一体であり、私たちは全ての人々の中
にある…私たちは彼らであり、彼らは私たちである
…ことに気がつきます。・・エレブナ
私の感想
ここで云うセルフエピグノーシスとは日本語にはない言葉です。
直訳すると「自己知識」ですが単なる自己知識のことではありません。
それは自分が自分だと確信している自分自身についての自己意識のこと。
「自分についての自己知識」のことです。これはその人の霊的段階に
応じて色々と変化していきます。
ここでの
セルフとは自己・私のことであり、エピグノーシスとは意識、英知
自己知識などとしての自己意識のことであり、通常社会で思われて
いる通念上の私と呼称されている記憶の反応や、脳の反応としての
思考・エレメンタルが思っている自分自身のことではありません。
肉体はセルフエピグノーシスではありません。セルフエピグノーシス
が肉体に入ったのです。それなのに通常の平均的セルフエピグノーシス
は自分が生まれて、成長し、老化し、死ぬと思っています。自分を
肉体と完全に同一化してしまっているからです。また死後は
そのセルフエピグノーシスは幽界や霊界で自分を他者と分離している「私」
だと思い込んでいますが、その未発達のセルフエピグノーシスは内なる魂の
ソウルセルフエピグノーシスが実在しているので実存していることが出来て
いるのであることをしりません。
ここで云われている「小さなエゴを超えたセルフエピグノーシス」と
いうのはソウルセルエピグノーシスのことで魂の自己意識の事です。
通常のセルフエピグノーシスは肉体と同一視しており、エゴと一体化
しています。
ソウルセルフエピグノーシス、それは記憶の反応の思考ではありませんし、
その記憶である人格の自己意識でもない「純粋な自己知識、わたし
自身の意識」を指しているように思われます。
それは「我在る IAM」へと繋がる自己知識のことだと思われます。