人の心を養い育てよ、傷めてはならない・・黒住宗忠




私の感想

天照大御神とひとつになった黒住宗忠師は次のように
言っておられるのではないかと思います。(意訳です)


「人の心は天の心であって我の心では決してないのです。

人の心を大切に養い育て上げなさい。

決して我の心と同一視したり一体化して

人の心を痛めたり傷つけたりしてはなりません。

天の心である人の心を大切に養い育てなさい。

人の心を決して傷めてはなりません。

天地一切の万物に愛と感謝を捧げなさい。」



人の心とはエレブナ的に言えば「いまは未形成で未熟だが

魂と繋がる私」の心・セルフエピグノーシスのことであります。

この魂と繋がる私の心を大切に養い育てて決して記憶の反応(思考・エゴ)

に同一化したり一体化してはならないということであります。

・・が

人生での殆ど全ての人の心とは、殆ど全ての人の心は、私も勿論同じですが

人の心ではなくて、我の心と一体になってしまっています。混ざり合っています。

私達が人の心だと思っている私の心とは我の心であるということ

でありましょう。私達全人類が自分の心は人の心だと思っているその心と

は人の心なのではなくて我の心なのであります。

我の心が人生で見て、聴いて、考えて、感じて、欲して、記憶して、

内部と外部を分割し、自他を分離して知覚認識して行為しているのです。


黒住宗忠師のいう我の心とは条件付けられている脳が形成している

記憶の反応のことであり、私達が自分自身の人の心だと思っている

心とは、人の心ではなくて人の心を覆い隠し包んでいる我の心の

思考、感情、知覚、記憶、行為のことであります。私達人の心は

その我の心と混ざり合い、一体になってしまって透明ではなくて

光を透す事も出来ずに汚濁してしまっています。


これをラマナ・マハリシなどの不二一元のアドヴァイタ的に言えば

「我の心とは意識の座に起こっている思考、感情、知覚、行為のことであり

人の心とはその起こっている思考、感情、行為、知覚に対しての態度のこと

である」ということであります。


私達とは記憶の反応という我の心ではなくて天の心と繋がる人の心で

あるのですから、この貴重で与えられている人生という学校では、し

っかりと人の心、天の心を大切にして、育て養い成長させなくてはな

りませんと教えられております。

それはすなわち、この人生という学校で起こっている一切の

出来事に対して、この内部と外部に対して、良い事も良くな

いことにたいしても全てに愛を注ぎ、全てを許し、全てに感謝

することですと。

この我の心を自分の中に見、人々の中に見ている心こそが

その我の心なのですと。ですから私達は愛と感謝を一切万物に

捧げることが必要なのでありましょう。




では、我の心を使って人の心を成長させようとしている本当の私とは何でしょうか??


如何なる自己であっても全てを包み込む自己でなければ本物ではない

万物への意識を成長させてはじめてあなたは自分の内にある万物の意志や

万物の内にある、あなたの意志を意識出来るようになる。

私の中に万物は在り、万物の中に私がいる。・・・ミルダッド


「あなたの中に世界は有り、あなたは世界で在り、世界はあなたの

責任です」

・・クリシュナムルティー

隣人とは実際には自分自身なのですから。 

セルフ・エピグノーシス(Self Epignosis)を現象、および分離の世界の

イリュージョンから浮上させることに成功すると、


小さなエゴを越えたセルフ・エピグノーシス(Self Epignosis)

として、私たちは全てと一体であり、私たちは全ての人々の中

にある…私たちは彼らであり、彼らは私たちである

…ことに気がつきます。・・エレブナ