耳を傾ける
「貴方が非難や評価や善悪や好悪など一切の判断をしないで
そばにいてあげて、じっと耳を傾けているとき
こちら側からは何もしないのに
自らの素性と、その物語を自ら語りかけてくるものなのです」
これは有名なクリシュナムルティーの言葉です
私は内部にいる私達に対していつも非難している、そして逃避している
「私はどうして、こんなにイライラして、こんなことで恐れて反応してしまうんだろう」と私は自分を非難している
「私はなんでこんなに苦しんで不安になって落ち込んでしまうのか」と私は自分を非難している
そして、その私を潜在意識の内部へと押し込んでしまう
決して、私は、彼ら私達に対して一緒にいてあげることも、耳を傾けることもしないし
一緒にその苦しみを味わおうともしない
私は、私達に対して直ぐ「嫌だ!私はそうであってはならない」と言って、その私達を潜在意識へと押しやってしまう
しかし彼らは私に聴いて貰いたいのだし、分かって貰いたいのである
何故なら彼らは私なのであるし、私達だからだ
私が私達として、
同じその苦しみであり、同じくその悲しみであり、一緒に同じその恐怖であり、一緒のその悩みであるとき
そこに奇跡が起こって「本然のものが現出する」と言われている・・・
現出するもの・・・それが愛でなくてなんであろうか
クリシュナムルティーは、だから「私達がその内部の憎しみであり怒りであるその時、それは愛になる」と言われている
それこそが「真の錬金術」と呼ばれるものであろう
粗い物質を精妙なる質料に変換できるのはこの錬金術しかないように思えるのである
恐怖を、怒りを、憎しみを、苦しみを、悲しみを、悩みを「愛」へと変換できるのはこの錬金術である
そしてその錬金術こそが
「私が私を非難しないで一緒に側にいて、じっと耳を傾けること」である
自分が自分に対して決して非難せず、逃避せず、言葉を発せず
ただただ自分の側にいてその自分を抱きしめ、その自分の言うことに耳を傾けるのである
クリシュナムルティーはそれを私達に教えて下さっているのではないだろうか
それが「現在意識が潜在意識を見ること」ではないだろうか
そしてそれが「内なる真実の私へと続いている道」なのではないだろうか