霊魂とは私ではない
-或る教えからの抜粋-
個別的霊魂は私でもなく私のものではない
その逆に
個別的霊魂から私という既知なる私が投影されている
肉体は私ではない
肉体を私ではないと「思考」している既知なるわたしは未知なる私ではない
未知なる私とは思考ではないからだ
肉体を離れた後も、諸界で機能している既知なる私は
個別的霊魂から投影されている私であって未知なる私ではない
肉体とは行為と同じく起こっていることであると同じように
私とは起こっていることがらである
内部・内面とは外部・外面と同じく起こっていることがらである
選択することは起こっていることである
自由意志は起こっていることである
欲望は起こっていることである
思考や感情は起こっていることである
「自己意識という複層の既知なるわたし」は起こっていることであり
未知なる私ではない
未知なる私は既知なるわたしには未知であるが
未知なる私は既知なるすべてのわたしを観照している
行為は起こっていることである
知覚は起こっていることである
認識は起こっていることである
内部とは起こっていることである
その内部が「外部と認識している外部」は
未知なる私には主客は分離していないと判じられている
思考や感情やカルマや出来事は起こっていることである
仕事は起こっていることである
出来事は起こっていることである
全託は起こっていることである
全託することや全託しないことも起こっていることである
主体と客体は分離していないことを見ているのは未知なるわたしであって
この既知なる私ではない
未知なる私はすべて人々の既知なるわたしを観照している
個人や人格でもなく、他と分離した私ではないからだ
と教えられている