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性同一性障害




性同一性障害の原因は形成途中のサイコノエティック体にあると思われる。

各輪廻を通じて同じサイコノエティック体が現象界での進化過程を歩むために使用されており

この形成途中にあるサイコノエティック体が前世の肉体の性別の影響が非常に強い場合

性同一性障害になることがあると言われている。


臨終の後、肉体を離れたサイコノエティック体とコーザル体と個別的霊魂と生命は

さらに死後(この幽界での残存期間という時間の概念は肉体脳の概念であって、サイコノエティック体には通用しない)

サイコノエティック体はコーザル体に吸収され、そしてコーザル体は個別的霊魂(大きさを持たない)に収納され

個別的霊魂(思考を持たない)は生命と共に新たな肉体に宿ると言われている。

このように肉体から離れた順番に又肉体に宿ることになるわけであり

転生に際して、生命と個別的霊魂はコーザル体を通じて同一のサイコノエティック体を用い

新たなる性別を持ち、あらかじめ行為と思考と出来事・運命とがプログラムされている肉体と結合することとなる。



これを時系列的に見れば

受胎時には、母親の母胎にある男又は女の新生児の肉体に、各転生で使われている同一で継承使用されている

サイコノエティック体が入り

誕生時には、新たなる性別を持ちプログラムされた新生児の中に吸気と共に個別的霊魂がコーザル体を引き連れ

生命と共に入っていくと言われている。



ここで問題なのは

性同一性障害とは、この前世から引き継いでいるサイコノエティック体の状態があまりにも前世の肉体の男女性別の

影響を強く受けているということである。

転生を続けているサイコノエティック体が性別を持っている肉体の状態に非常に多くの影響を受けてしまっていると言うことである。




しかし

このサイコノエティック体は二つの異なった種類があると言われている。

それは、現在のパーソナリティーである未形成のサイコノエティック体と本来の既に完成しているサイコノエティック体である。

だから現在のパーソナリティーである私達とは

極論からすればグルジェフの言うようにまだアストラル体もメンタル体も持っていないのである。

というのも私達とはこの形成途中のサイコノエティック体のことだからである。



この現在の私達の状態(形成途中のサイコノエティック体の状態)を

再形成されたサイコノエティック体の眼で見た場合、

この現在のパーソナリティーというサイコノエティック体とは胸のあたりにあって

これが未形成で未発達である場合はジャガイモのようであると言われている

幾多の転生を経て

徐々に本来のサイコノエティック体に近づくにつれ人型(但し性別はない)になっていくと言われているのだ。


すなわち、

個人の私、現在のこの知覚段階の私、現在のパーソナリティーとは、この形成途中のサイコノエティック体のことである。
(サイコノエティック体とは感情(アストラル)体、思考(メンタル)体である)


本来のサイコノエティック体とは性別を持たず、将来、未形成のサイコノエティック体(現在のパーソナリティー)が

本来のサイコノエティック体と再統合されたとき

この本来のサイコノエティック体と合体し、宇宙の同胞達と協調して働く事の可能な時空を超えた高次の身体である

高次ノエティック体としてこの現象世界で使用される

と言われている


コーザル体とは死後の世界を含めた三界と云われる現象世界と、個別的霊魂と生命が属している間を取り持っているために

生命によって使用されていると云われていることから

この個別的霊魂が自身の内奥であり生命と呼ばれている実在次元に再び帰還することが、現象界の目的でもあるのだろうか?



いずれにしても性同一性障害とは形成過程にあるサイコノエティック体が引き起こしている障害であり

性別とは、各転生する男又は女としての肉体にのみあり、本来の形成されているサイコノエティック体には存在していない

と言うことなのではないか、但し未形成の場合このサイコノエティック体は非常に性別の影響を受けることもあると言うことなのだ。




けれども究極的には

マーヤ(私という観念)がこの松果体に位置する個別的霊魂から投影されており

諸体の心臓に位置している生命は真我として輝いていると言われていることからして

いずれの転生に於いてもハートに在る「絶対の愛」は光り輝いているのだ。




私、久保栄治という現在のパーソナリティーであるサイコノエティック体の状態は未形成であるため、いまだ「知覚の扉」は開かれず

サイコノエティック体の目は勿論のこと、コーザル体の目も、個別的霊魂の目にも接触できず、繋がらず

肉体の目しか機能していない。従って、私は逆向きの三角形なのだ。


この状態で、肉体から去って死後界に移行した場合にはサイコノエティック体の目すら開いていないので

他の人たちと同じくく記憶界という無意識界の中で、”これが死後の世界だ”と錯覚してしまうことになるだろう。

死後も同じようにこの物質界の環境がそのまま記憶として移行し継続しているのであり

それは決してサイコノエティック界ではない、それは幽界でもなく霊界でもない、それは無意識界・冥界なのだ。


肉体を離れた後、サイコノエティック界(幽界・霊界)に移行できるためには

肉体にいる間にこのサイコノエティック体が再形成され、「知覚の扉」が開いている必要が有る。

意識的な「体脱」が可能な段階に達している必要が有る。



けれども、真実の場合を除いて一般的な幽体離脱とは実際には肉体からサイコノエティック体が離れたのではなくて

単にそれは肉体の頭脳の一部が活性化して自身の肉体を客観的に見ている状態に他ならないからであろう。

肉体から離れる本当の幽体離脱もあり、幽体から離れる魂体の離脱もあり、さらには個別的霊魂からも離れる真我の

知覚もあると云われている。


けれどもいずれにせよ、

熟睡中も生命は続き、呼吸が続いているように、各輪廻を通じて個別的霊魂の内奥の真我は

常にハートにあって光り輝いているのだと言われている。