脳の重要性


脳は最高の送受信機器とも言われるが、個人差はあっても現在のこの人類の脳は

条件づけられていて数%しか機能していないという。

その脳という送受信機器を薬物や手術で機能を良くしたり、一時的に細胞や遺伝子D

NAを変えてみたり、脳に記憶や想念を投影しても、脳を創り維持しているDNAを生み出

す根源が脳を変えない限りは、やはり脳は設計図通りに又戻ってしまうことは、近頃のニュー

スなどでも明かだろう。薬物や手術では一時的な効果はあっても脳の条件付けは解除さ

れないということだろう。・・・結局、それは脳と結合している私達が変容しない限りは脳は

変容しないと言うことなのであろう。



では、その送受信器として機能している脳が受信し送信しているものとは一体何だろうか?

それはもし脳がなかったら・・と考えれば明らかなように、脳で送受信しているのは心であり、

行為であり、思考であり、マインドであり、感情であり、衝動であり、知覚であり、記憶である

ことだろう、しかしながら脳がなければ心がないのではなくて、脳は心を受信し「脳と結合して

いる私、サイコノエティック体である現在の私」に心・マインドを伝えている媒体なのである。

そしてその思考やマインドを伝えられた現在の私が眠っている状態であるので受けとった心を

自分自身と錯覚しているのではないか




その脳が受信しているのは専門的な言葉で言えば想念であり、エレメンタルやワサナ、そして

それらが生み出した私であり、過去の人格や個人群ということであろう、さらに脳は潜在意識

層とつながっており、その潜在意識層というマインドの海のなかの「私という思考や感情や欲望

や記憶や観念や行為」を送受信しているのであろうか。




ではさらに、この脳と繋がり、最後には肉体を離れるまでは脳と結合している私とは何だろう?

脳と結合しているが故に脳に於ける薬物の摂取による脳細胞の変化を受けて、脳の受信域が

拡がり、その結果、脳と結合した私は潜在意識層からのマインドに影響されて自分は悟ったと錯覚

している。

その錯覚している私とは未形成の私、現在意識の私、即ち肉体以外の三重の身体から構成され

ている現在の私、現在のパーソナリティー・サイコノエティック体の私なのではなかろうか?


しかし残念ながらこの現在の私現在のパーソナリティーのサイコノエティック体は薬物では再形成

されず、進歩することはない。この私自身による自己観察、自己観照しか方法はないのである。

自分自身が目を覚ますしかないのである。私は眠っているのでマインドを自分自身だと錯覚している

というのだ。




身体に入り、脳と結合した現在のパーソナリティー、未形成のサイコノエティック体は三重の

構造になっていると言われている。一番外側のサイコノエティック体とは未熟で未形成であり

思考体や感情体とも言われていて、一般的には幽体とか霊体とも言われているけれど実際には

幽体や霊体は再形成されていないと教えられているのである。これらの外側の私は死を迎え

シルバーコードが切断されるまでは脳と完全に結合し一体化しているので、自分自身を脳であり

自分は肉体だと実感している。肉体が行為しているのに私が行為していると錯覚している。

自分とは脳にて受信されている思考の記憶の反応ではないにもかかわらず、その脳に去来し

ている思考や想念や欲望と完全に一体化してしまっているので、そして今度は逆にこの脳を

通じて思考や欲望や想念を発信している。すなわちそれは

未形成のサイコノエティック体という現在のパーソナリティーは自分自らがその受信した思考に

対して二次的な反応を起こし想念形態やエレメンタルを創りだし発信しているということだ。そし

てその創り出されたエレメンタルは人類の潜在意識層に付け加えられ続けていくことだろうか。



私達である「脳と結合した未形成の思考体&感情体である現在のパーソナリティー」とは

大生命や内奥の霊魂と共に肉体を離れるまでは、脳に縛られていて、現在のパーソナリティー

を構成している2番目の身体である高次のサイコノエティック体が熟睡時に異なる高次元で

経験していることを肉体にいるこの現在の私である未形成のサイコノエティック体はそれを知

覚することが出来ないでいるという。


従って、通常の夢とはこの未形成のサイコノエティック体が汎潜在意識界における体験を意識化

しているに過ぎないということだろうか?即ち夢を見ていると言うことはそのパーソナリティーは

高次の諸体の知覚を獲得していないので、自分は肉体であると思っているその錯覚に覆われて

おり、夢を見ていると言うことそれ自体が現在のパーソナリティーであるサイコノエティック体は

まだ再形成されていないということになってしまうのだ。

もし諸体が再形成されているのなら夢という潜在意識界にアクセスするのではなくて、その再形

成されたサイコノエティカル体でもってその高次の意識を持ったまま眠ったままの肉体や脳の熟

睡状態時に離れることが可能であるということになるからであるという。

そしてこの再形成されたサイコノエティック体は熟睡時のみならず覚醒時にもその意識は観照者

として継続していることだろうか?


ここを平たく言えば私達には幽体離脱するところの実際の幽体が未形成であるので肉体に

縛られている以上は肉体から離れているのではなくて、通常の幽体離脱といわれている現象は

脳が送受信している潜在意識界での体験であり、肉体から幽体として離脱したのではないという

こと。その擬似的な幽体離脱とはそれは即ちそのまま目が開かない状態で死んでいく私達が経験

するであろう死後の世界そのものであり、そのことを私達は正しく理解することができないので死

後には幽体や霊体となって幽界や霊界に行くと思っているのではないだろうか。


幽界や霊界に行くことが可能なのは私達現在のパーソナリティーを構成している三重の身体の内の

②番目の既に再形成されているサイコノエティック体の私であって、通常の人類の私達はこの潜在意

識界を死後の世界と捉えているのではないか?その潜在意識界という死後の世界に滞在の後、再び

新たなる経験を得るために未形成の私は再び物質界に再誕生するときには②番目の私にエッセンス

を引き継がれ、個人人格はワサナとして潜在意識界において待機状態に陥ることだろう。そして現在の

パーソナリティーに数珠の様に連なる私達としてこの人格の私は生きることになることだろう。


③番目の現在のパーソナリティーを構成している内なる私とは勿論霊魂のことであり、この霊魂とは個別

分離の存在ではなくて、私やあなたも全く同じ一つであり決して分離していないと言われている。それは全ての

私であり、全てのあなたであることだろう、その内奥の霊魂とは私を殺したあなたであり、そして私が憎ん

でいるあなたでもあり、その私とは人類ですべて同じであり、霊魂としては分離できない一つなのである

ことだろうか。その霊魂が私という観念に覆われた現在のパーソナリティーを身に纏って、この神の宮

である肉体に入ったのであろう。


霊魂にとっては私はあなたであり、あなたは私なのであると言われている。


そしてそれぞれの個性を持った肉体であり、個々の個我として生きておられる全ての全てであるブラフマンとは、

肉体にはいったアートマン・霊魂でもあると言われているのである。


以上の事は非常に複雑であり、相当な予備知識を要することでもあり、常識とも全くかけ離れているので

殆どの方は拒否反応を示されることであろうが、以上が74才の今日まで探求してきている結論なのである。