「ごめんなさい、許してください」と唱えることとは
ホ・オポノポンが教えている「内なる実在」に唱える四つの言葉の意味とは何か?
内容を自分なりに考えてみた。
ごめんなさい、許してください、ありがとうございます、愛していますと、唱えることは?
「ごめんなさい」「許してください」
■目の前のあなたは私なのに、あなたのことを私ではないと錯覚してしまいごめんなさい。
■この私は思考であり、思考は世界で同じ一つの記憶であり、人類の個人個人とは同じ私
という観念であるのに、全人類であるこの私は自分はある人種であり、ある国民であり
ある宗教に属し、肉体の持っている才能を自分の才能と錯覚し、この記憶である自分を
愛さず感謝しておらず、そして、肉体は神であるあなたの宮であるのに、肉体を私の肉
体だ、私は個人だ、私は何々国家の何々人種だと錯覚しております・・この記憶であり
全人類であるのに個人だと錯覚する私を、許してください。
■肉体に入り脳と結合し、脳が形成している私、即ち記憶のことを自分だとこの記憶が思っ
ています。そして脳と結合した、たましいからの私は脳の記憶が行うように行ってしまって
います。御免なさい、どうか許して下さい。
■本当の私は、あなたの分け御霊である魂であり、空であり、あなたを写す鏡、観照者である
意識であり、起こっている肉体や脳や出来事に反応し、行為し、思考している記憶という
個人や人格では決してないのに、霊魂の私はこの人格個人がする行為や思考と同一化してし
まっております。霊魂の私とは「世界は私」、「万物は私」である「空なる私」なのに、私は個人
で、目の前のあなたや世界や万物とは異なり、世界や万物と分離している個人人格だと錯
覚してしまっています・・・ごめんなさい、この人類共通の記憶を許してください。
■生きておられるのは神であるあなたなのに、「自分が生きている」と錯覚していてごめんなさい。
■私記憶は「本当の私とはこの私・思考ではなく意識であり無限の空である」のに、記憶である私は、
肉体は私のもの、脳は私のもの、そして記憶さえも自分の記憶だと傲慢に錯覚し、私は個人
で私は私だと信じております。・・ごめんなさい、許してください。
■究極的には出来事も思考も感情も私・自我も神であるあなたが起こしているのに、あなたから
生まれたこの記憶の私は自分自身である記憶や行為や思考や感情や出来事を非難したり軽
蔑したり、お互いに競争したり、逃避したり、非難したり、憎んだりしております。ごめんなさい、
許してください。
■たましいの私は思考や行為はしていないのに、起こっている出来事に反応して行為している
記憶に一体化しているので、その結果、行為し思考をしてしまい、カルマを生み出し引き受け
てしまっています。御免なさい許してください。
■この厳しく険しい闇を通り抜け自らの本源に戻るのをあなたは待っておられます。あなたが
お造りになった虚偽を虚偽と見ることで真理に至ることをあなたは待っておられます。
「愛しています」「ありがとうございます」とは
■この私は「私という観念」であり、根本無知であり、マーヤであり愛ではないので、あなたであ
る愛に身をささげます。
■私は「あなたという本来の私」である愛にこの私を全託し、坩堝である私を奉納いたします。
■あなたが坩堝である私を浄めて下さっていることに感謝いたします。
■この坩堝であり混合している私は記憶であり、この私は愛ではないので万物であるあなたを愛す
ることができませんが「愛しております」と唱える事は出来ます。この記憶である私は、愛で
あるあなたに帰依し私を愛していると唱えることによって自己解消されていきます。それゆ
えに私は私を愛していますと唱えます。この記憶である人格個人の私さえもが万物である
あなたであるからです。
■この記憶であるわたしをあなたが生かし使っておられます、この私、あなたが生かし使っておら
れる私、記憶の私が記憶である自分自身を愛し、内なる神であり、あなたであるたましいの私
を愛し、私に感謝いたします。
■この本当の私ではない私、記憶である私を生かしてくださってありがとうございます。
■行為も思考も出来事もあなたが起こしておられるのに、この私である私という観念は、自分が
出来事を起こし、自分が思考し、自分が行為し、自分が生きていると錯覚しております。そして
さらに二次的にこの記憶の私はあなたが起こしている出来事に反応して行為しています。この自分
が行為していると錯覚している記憶である私を生かしてくださっている私の内なる実在に心から
深く感謝しています。ありがとうございます。
■この私は記憶であり、愛ではないので、記憶であるこの私は自分を愛します、私記憶には愛が
ないので愛していますと唱えることで、愛であるあなた、内なる本当の実在に解消され帰依して
参ります。あなたの私の中にこの記憶の私を解消し、愛の中に、どうかわたしを戻してください。
■「愛せよさらば愛が与えられる」と教えられております。愛することで愛することが出来ることを
感謝します。
上記の話しは大変、混み入っていますがホ・オポノポノの解説は分かり易いので下にざっと紹介いたします。
要するに現在の私とは坩堝のように混合しており、混濁しているのでどこからどこまでがたましいの私であり
どこからが記憶の私だとキチンと線引きをすることが出来ないと言うことであり、選別し自分自身を自己を上位
の私と下位の私に区別・分割している私こそが思考であり記憶の私であります。
私を構成しているのは(ホ・オポノポノによる)
A:神聖なる実在
B:神聖なる実在からのたましいの私・・・超意識+顕在意識+潜在意識の三層から成り立っている。
(鏡でもあり、自らは思考も行為もしていない観照者・意識であるが記憶と一体化し、記憶と共に肉体に
入に脳と結合した結果、記憶と共に行為し思考してしまった故に責任が生じカルマを背負っている)
C:記憶(個人人格であり全人類で一体の私という観念・・この記憶が起こっている出来事に対して反応
し脳が生み出している才能・障害・生死・衝動・欲望に対して善悪や評価をし思考し行為している)
この記憶をも神がお使いになって現象世界を運営されておられる。
D:肉体・脳・DNA(神聖なる起こっている出来事であり、才能、障害、運命、生死、カルマでもある)
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