内なる真我に
内なる真我に耳を傾けよう
内なる真我に焦点を合わせよう
内なる真我の信号に注意を向けよう
それは瞑想の中かも知れないし
運転中かも知れないし、
寝ているときかも知れないし、
道を歩いているときかもしれない
それは
そっと気づかれずにやってくるに違いない
最初は非常になんともない、かすかな微弱なものだろう
しかしそれはやってくるに違いない
未知なるものとして
自他を分けることのない感情・思い、
ワンネスとして
見るものは見れるものであるという、非分離感として
心の中から沸き起こる区別のない「愛」として
腹の底からの笑いとして、喜びとして、そして聖なる感情を伴って
それは歓喜として、
そして充足感、
平安感を伴って
それは
対象としてみられる、形や色よりも
感情に直接にやってくる
それが
本物の真我からの信号だ
勿論、その際のおしゃべりは厳禁だ
思考を巡らしてはいけない
注意するのだ
その信号は
「これは幽界からではないか」「これは自分のマインドからではないか」
などという、反論を全く寄せ付けない
圧倒的な確証を伴って
訪れてくる来るに違いない
それは、全く自分を超えている聖なるもの、愛なるもの、喜びなるもの、静寂なるもの
で
なんと言っても自他の分離感を伴わない、感覚・感触=ワンネスの感触、そしてワンネスの実感を
伴って訪れてくると上江洲義秀先生はいう
自分・自意識の高揚感を全く伴わない、むしろ自分が全くない高揚感
そのかすかな感触が、においが、信号が
注意しているとやってくるという
それが内なる真我からの信号だという
これが
起こるとき
戦争は起こらないだろう、
分け隔てのない、区別をしない、本物の「愛」が点火されたら
どうして、戦争が出来るだろうか、憎めるだろうか
相手が自分自身の時、分離がないときどうして闘いが在るだろうか、競争が在るだろうか、見せびらかす必要があるだろうか
上江洲義秀先生は言う
愛の火が世界に燃え広がるとき
世界に夜明けが来ると