戻る




脳と神経と思考



意識とは脳の結果なのであろうか?それとも脳のほうが意識の結果なのであろうか?
(この場合の意識とは、脳を使って受送信されている思考のことではない)
確かに脳の状態の変化に伴い、現在のパーソナリティーの体験や知覚や思考は大きな影響を受ける
ことは避けられないだろう

脳が変わることで意識が変わり、その人の現在のパーソナリティーが変わるのだろうか?
それとも、私たちである現在のパーソナリティーが根本的に変化することで脳が変わるのだろうか?
もしくは、○○の○○によって脳が変わり、至高体験を経験し現在のパーソナリティーが変わるのだ
とでも云うのであろうか

認知症やアルツハイマーなどの脳の劣化とは、現在のパーソナリティーそれ自身である「自我・私」
という主体の老化や劣化なのであろうか?
脳の状態は、そのままその主体の状態なのであろうか?
そうではないとすると、脳と現在のパーソナリティーとはどのような関係なのであろうか?

ラマナ・マハリシやクリシュナムルティーを理解するために、外部的な要因での脳の変革があれば、
その真理の理解がもたらされるのであろうか?理解の「目」が開くのであろうか?

至高なる意識状態とは脳の状態なのであろうか?それとも、至高なる意識によって脳の条件付けが
解除されたことによる現象であろうか?
薬物や霊的な外部的要因によりその脳の状態に変化がもたらされ、悟りや、至高体験が起きているので
あろうか?
果たしてそれらは真実の意識の誕生なのであろうか?

多くの問いがわき起こってくる

ここで、私たちが、まずハッキリさせなければならないことは
私たちが、この肉体を創造したのではないこと、この素晴らしい肉体は内部と同様に
私達のものではなくて、私たちそのものが与えられているものであること
何一つ私たちのものではなく、私たち自身も私たちのものではなく創造主体が、私達として生きている

そしてこの頭脳も、頭脳の素晴らしい働きと機能も構造も私たちに与えられているものであること
というより頭脳そのものが、その内容とともに創造主体が創造してその頭脳を使って生きている

さらにこの肉体や頭脳という素晴らしい機能を持った創造されたものを、自分のもの
自分自身だと思い込み、信じ込み、所有していると確信している思考の記憶という疑似主体さえも
私がつくったのではなく、創造され与えられたものであると云うこと

怒り、悲しみ、嫉妬、不安、自我の働き、それらは自我であるこの私という主体である
現在のパーソナリティーが作り出せるものではないということ。
私達を条件付けているDNAやカルマや条件付けは、「この作られているこの私である似非主体」が
うみだしたのではなくて
この似非主体を生み出し、生かしめ、維持している創造主体が生み出しているのである

すなわちこの分離した主体、悲しみと不安と脳に縛られているわたしさえも
生み出され、創造されたものであるということ

主体や客体も、私も、その私によって認識されるあなたも、あらゆるものも、同一の至高の
叡智によって生み出され、そして維持され生かされている
思考を超え、意識を超えた叡智が、生命と共にすべてを生かしている、すべてをあらしめている

私達が生かされているのではなくて、その生かされていると思うほどの傲慢な私達すらも
その私さえも、この生命である叡智がすべてを生み出し、維持している
実際には個別で個人という生きている私など、どこにもなく、私のものなどはじめからどこにも
いないというのに
その私という、私のものという主体が、その生命と愛と叡智によってそれによって生まれ、それに
よって生かされ、それが私達として生きている
本当は私達はどこにもいないのである
この個別的な五感と思考や感情を魂が見て、私という個人を生み出したのである
それが現在のパーソナリティーではないか

この脳によって受信された思考や、その記憶が生み出している個人ではなくて
その逆である魂、即ち思考を生み出した意識が
(生み出された結果ではない、その結果を生み出している意識が)
すなわち結果である「私」ではなくて、「私のもの」という主体を生み出している、本当の主体からの意識が
一筋の光明を与えている

それは脳というものに対して、その脳が意識の主体ではなく、脳とは思考を受け取っており
思考を発信している、送受信の受信機であると同時に発信器でもあり、丁度高機能のPCのように高速で
情報を処理し、記憶を保持している器機のようなものであると

思考ではない、その逆の、思考を生み出している意識というものが生命と共に脳を機能させている
その意識であり、本当の非分離の意識である真の私が脳を生かし、脳に呼吸とともに血流を循環させ、
脳を機能させている

それが松果体にアクセスし、そして松果体から派生された魂からの現在のパーソナリティーという意識が
脳下垂体や視床下部、前頭葉に浸透し、そこで発生している思考や感情や認識や記憶や知覚を受け取り、
その情報処理された思考や感情や認識や知覚や記憶を、自分自身の思考や知覚だと思い込んだことに
「私は肉体だ」との最大の誤りが発生したのである

即ち現在のパーソナリティーはその脳で受け取った思考などの情報を自分自身の思考や感情や
知覚や記憶と間違ってしまい、脳内の記憶の反応を自分の反応だと誤ってしまったのである
そしてその誤解と言う思考を、さらに脳である送信機器を用いて発信することによって、その誤解はさらに
増強されてしまうのである。

この完全・完璧なる小宇宙である自分の肉体が全く以て、自分の肉体ではないのと同じように
この送受信であり記憶装置であり、自らが受け取っている五感の視覚や嗅覚や聴覚などの知覚を
(頭脳というマシ-ンの知覚であるにのに、それを自分の五感であり、自分の知覚であり、自分の感情や、
自分の思考だと勘違いして、それに反応することによって
今度はさらに、その頭脳という高度の機能を備えた送信機を経由して私である現在のパーソナリティー
からの思考や感情を発信してしまっているのである

脳障害やノイローゼや躁鬱症、それに脳内の変化による神秘体験や至高体験や合一体験や真我体験とは
一過性のものである限り、それは脳という送受信機の一時的変化がもたらしたものにすぎないのであり
真実の体験ではない
なぜなら真実の体験とは一過性の体験ではなくて、再び戻ることのない「あるがままを見ることが出来る」
目が開いたと云うことであるからである
目が開いたという以上は、決して再びその目が閉じることはないのである。
それが薬物や一時的な神秘体験や一過性の至高体験ではない、真実の諸体の透明化の証左である

それは脳や諸体の脳の器質的な変換や機能の回復からもたらされたり、霊的な手術によってもたらせられる
ものではなくて、現在のパーソナリティーそれ自身の状態の変化によって魂の内奥の意識が引き起こしたもの
であるからである

現在のパーソナリティーとは魂から投影され、魂から派生した意識主体であり、幾多の霊的諸体からなり
チャクラやクンダリーニの状態の変化で示される主体である
それらチャクラやクンダリーニとはその魂からの派生された現在のパーソナリティーの状態を示しているものであり
チャクラを弄くることでそのチャクラは何ら変更を受けることはない、その変化とは現在のパーソナリティーを見
つめている魂からのものであり、変化は魂とその内奥の意識から能動的に変化をもたらすことが出来るものであるので
現在のパーソナリティー側からの、「至ろうとする」自我の目的を持った行為では如何ともしがたいものなのである。

またその脳と、その脳の条件付けの解除をもたらす現在のパーソナリティーの透明化という変化に伴う実際的な脳に
変化をもたらすものは、脳と結合している(脳に浸透している)現在のパーソナリティーを見つめている魂側(永遠のパ
ーソナリティー側)からの意識なのである

現在のパーソナリティーとは脳に浸透して、脳に結合しているのと、全く同じように魂と結ばれている。魂から派生している
意識であるからである
そしてその「魂自体の意識」は脳という受信機を介在して現在のパーソナリティーに届いているので
その脳という送受信機のキャパシティーなり、送受信の性能やら、通過する情報量などはその脳の機能に左右されてくる
そういうことで脳の神経回路の情報伝送速度やその情報処理速度や、情報量などは、脳の神経回路や脳の性能に
大きく左右される
 
その脳の性能を左右するのは魂側の意識であり、DNAを書き換えられることが出来るのは魂の内奥の意識であり
脳に直接、影響を与え、脳の機能をよくすることが出来るのは魂なのであって、○○と称する神ではない
それは現在のパーソナリティーのたゆまない努力、内なる真我への信頼と真実の帰依がある場合にのみ
可能となってくるのである



直覚を直接に覚知出来る脳の状態であるとき、現在のパーソナリティーはそのとき真我によってすでに純粋化され透明化
されているので、その直覚を認識できるのである。
というのも、現在のパーソナリティーが肉体に浸透し、結合している以上は、そのとき、それを現在のパーソナリティーに伝えて
いる中継機器であり受送信機である脳の機能が飛躍的にアップしているからである。


直覚を現在のパーソナリティーに伝えるためには頭脳の透明化、頭脳に膨大なる情報量を伝える脳神経の純粋化、高度化が必要な
のであり、それは○○などの外部的な要因に拠るのではなく、その逆に、魂からの、魂の内奥からの輝きに伴う必然的な現象
なのである。その魂の内奥がその魂において輝き出すほど諸体が透明化したとき、(もともと魂の内奥は輝いているので)その真我か
らの輝きが脳細胞と脳神経回路を変えていくのである
(これが本当に脳を変えていくことであり○○の○○に因るのではない)

神我や真我の意識や超意識は、魂や現在のパーソナリティーよりも精妙であって、それらの、より無限であるものの情報や認識や
知覚や意識を伝えるためには、それを伝えられる媒体であるところのより精妙化した頭脳が必要とされる。


より精妙になった頭脳は、より精妙なる意識や情報を、脳内の神経のインパルスを通過して現在のパーソナリティーに伝えら
れることが出来るからである


このより精妙化された頭脳を媒体にして、高度の認識と知覚と意識を受け取った現在のパーソナリティーは、今度はそのより
精妙化され、高度化されたメンタル体やアストラル体の頭脳を介在して、その情報をほかの現在のパーソナリティーに伝える
ことが可能になる


脳の神経のインパルスを通じて思考や意識が流れている。


その意識をインパルスで伝えているのは神経であり、その神経が現在の
パーソナリティーに思考・意識を伝えており、その神経回路に故障が起きているのが脳障害であり、認知症や痴呆症や精神
障害なのである。

認知症とはその意識のインパルスを正常に伝えることが出来なくなった脳神経の故障であり、それはその
脳に堅く結合し、その脳に浸透している現在のパーソナリティーの故障ではないのに
現在のパーソナリティーは自分が認知症になってしまった、自分が錯乱してしまった、自分が躁鬱症にかかった、自分が神経
症になってしまった、自分は躁鬱症になったと解釈してしまうのである。

悟りということ(魂の内奥と現在のパーソナリティーが繋がっているパイプのゴミを取り払い開通させること)においては
現在のパーソナリティーというものが肉体の頭脳に結びついている以上は、受信送信機械である脳も重要なこととなるのである。


現在のパーソナリティーと魂が、真我と同じヴァイブレーションにならない限りは、その脳内神経のインパルスは高度化しないし、
脳の情報量も大きくならない。(魂の知覚とは、瞬時に、360度の気づき、全ての事を理解してしまう気づきであり
それを現在のパーソナリティーに伝えられることが可能となる)
そのためには、五感の神経の状態が精妙化し、波動が高まらない限りは覚醒は不可能であり、そのためには現在のパーソナリテ
ィーの状態が透明化しなくてはならない


高度の透明化した脳では、神経の中を意識が通るスピードとスピード量が異なってきており、瞬時に全ての事を理解し、周りの
ことを即座に一瞬にして理解出来るのも、伝導性とその情報量においてその脳が優れているからである。
これは脳が純粋化され高度化された結果である

その為には、常に何を考えているのかで脳細胞は変化してくる、常に真我を熟考することで真我の波動を受け取りやすくなっ
てくるからである

スタート地点ではなくて到達地点から考えるのが真我の思考である


松果体に現在のパーソナリティーからの思考を照射してはいけない。なぜなら、そこで想念形態が形成され、その想念形態を誤って
魂と勘違いしてしまうことになるからである。


松果体に現在のパーソナリティーが何かを獲得しようとしたり、悟ろうとしたりする集中をしてはいけない、松果体のホルモン
調節機能を損なってしまうからである


魂の接点である松果体には肉体の松果体もあり、エーテル複体の松果体もあり、霊的な松果体もある。クンダリーニも同じよう
に肉体のクンダリーニもあり、エーテル複体のクンダリーニもあり、霊的なクンダリーニもある。松果体への集中と同じように現在の
パーソナリティーの思考をそれらのクンダリーニ当てることは間違った自我のエネルギーを照射することとなり、間違った状態を引
き起こしてしまう