■現在意識の重層性・複合性

私達は現在意識を、単一なる状態と捉えているが、そうではない。非常に複合状態であり、構造的には重層的だ
現在意識(私達の通常の意識レベル)が熟睡しているときも、私達の観照者の意識(非分離・大文字のマインド)は気づいている
眠ることはない、常に覚醒している。

現在意識はマインドが脳を経由して、観照者の意識を被っている雲のような思考や感情の想念であり、それが作り出した分離した私で
ある、この意識は脳を経由して脳に依拠しているため、睡眠が必要となる。
この意識が人格を作り出した、想念が人格というエゴを作り出したのだ。

これが私という人格の本質である。
「眠り・目覚・夢見」これがこの私という人格の意識であり、その中身は感情、記憶、思考であり、心というマインドである、即ち「主体−客
体」システムの主体である
しかし
それを成り立たせているのは、観照者である
観照者は「主体−客体」という分離認識システムの主体ではない、それを支えている純粋絶対主体であり
この「眠り・目覚・夢見」の私達の現在意識では認識できない

雲が晴れて隙間から太陽が輝く為には、雲が去らねばならない
雲が去れば始めから太陽が輝いている
雲が去るにはその雲の正体を見なければならない
見ることだけが雲を散らすことが出来る
即ち
私は誰か
である
自己観察・自己想起だけが唯一の手段である
これ以外に方法はない

私はいろんな分類の方法があるが便宜上以下のように推測している

@分離意識(現在意識・小文字のマインド)

   ◆この地球の三界を輪廻転生している意識状態、又は輪廻転生があると思っている意識レベル

   ◆この意識レベルは→私→想念マインドで構成され、感情・思考等の伝達は言語を主な媒体手段としている

   ◆通常の私達の意識であり、思考・感情・記憶・条件付けなどで構成されているが、その特徴は、見るものと見られるも
     のを分離し、見るものと見られるものが別々にあると思っている意識である。

   ◆この意識は現在意識の無意識として意識下にあって、私達を束縛している。
    私達の自由を奪っている無意識は、多くの色んなトラウマや情念・欲望・ワサナ・多くの人格が蠢いて、私達を無意識的に
    駆り立て思わせ、行動させるもの、それは従って表面の現在意識の浄化に逢う必要がある。

   ◆この分離意識は更にその奥に潜在意識として・地域の集合意識、団体の集合意識、國の集合意識、民族の集合意識、
    人類全体の集合意識、過去からの人類全体の集合意識などがあり、この分離意識を成り立たせている
    それらは総称してマインドといわれている。
    私達はこのマインドの一部であり、私の意識はこの分離意識そのものである。
  
   ◆私達に与えられている条件付け、運命、カルマ、設計図を実行させる意識レベル。
     この意識レベルが存在しないと条件付け、運命、カルマ、設計図は行われなくなる。
     これの通りに人生はある、しかし私達は自分たちが自由意志を持っていると錯覚し、自分が行為していると錯覚している。
     この現象界は神のドラマであり、映画であり、私達は登場人物になりきっている。この錯覚を続かせているのがこの分離
     意識であり、マインドと同質の意識だ。 
 
   ◆私と別に世界が存在し、内界と外界が存在していると思っている意識。
     見られる対象が自分とは別に存在していると思っている意識。
     現象界の意識。 
     主体と客体は、別々に存在すると思っている意識システムで私達はこの中で生まれそして死に、そしてまた生まれるが
     目覚めてはいない状態で誕生する。転生してきたこと自体がそれを証明している

   ◆超感覚・霊感・霊視・霊聴などはこの分離意識の状態中で体験される現象で、全く同じレベルの分離意識である。
     この超感覚状態の意識は(幽界や霊界が或る程度は時間と空間の枠が緩いので)その状態をかいま見ることがあっても
     自他分離の苦しみであり葛藤の世界であることには変わりがない。

   ◆肉体ないし、又は他の幽体や霊体や個別の魂と同一化している状態で、自分は総じて肉体であると思っている分離意識。

   ◆神を自分とは別の対象と見て、信仰したり、崇拝の対象にしている意識状態、信念に束縛されている状態の分離意識。

   ◆神秘体験を体験している状態の意識、又はそこにそれを体験し、認識している主体が存在する意識状態。
     これは総じて擬似超越体験といわれる、体験し、それを認識している主体が、主体そのものが分離意識である。
     自分が存在している世界である。
     個別的自己があると思っている意識状態。
   ◆


@⇒A二つの意識間の架け橋の状態の意識

   ◆沈黙・マインドの沈黙⇒注意しなければならないのは、これはマインド(私達)が行う沈黙ではなくて、マインドがいないの
     で出現している沈黙であるということ。マインドの絶え間ないおしゃべりが完全に静まっている状態。

   ◆我々側からするあらゆる行為、即ち祈り、信仰、信念、祈願、をするその分離している私・主体が見られている状態。
     見るものが見れている自己想起の状態。
     「私は誰か」の状態、
     この観察している自分を見ている状態の中で、
     突然
     見るもの、即ち私・エゴ・自我が単なる観念であったこと、私はどのにもいない、という至福の状態がやってくるらしい。
     無我である。「色即是空」である。

   ◆意識は光なので、この光の出現の前に、完全な空虚・無がやってくるらしい。

   ◆魂の暗夜という状態。自分ではない集合意識・地球の意識に至るとき、大きな人類全体の悲しみ・苦しみを見るらしい。

A統一意識(非分離の意識・大文字のマインド・観照者)

   ◆この意識は真我そのものではなく、真我の部分である観照者の意識レベルらしい
     真我はハートに焦点を合わせられているが、観照者は眉間の奥にあって、頭頂に感じられる場合も多い
     この非分離意識は真我の絶対意識ではなく、観照者の意識状態で、純粋主体とも言われている
     ここで、注意すべきはハートとか眉間といってもそれはチャクラのことではないということだ
     チャクラは肉体、エーテル複体、サイキック体、ノエティカル体、等を連結してそこにエネルギーを流通させている、コント
     ロールセンターの役目をおっているもので、それはあくまで真我や観照者の乗り物である五つの身体へのエネルギー
     センターであり、それが観照者や真我そのものであるということではない
     チャクラに非常に近い地点にあるので、チャクラとその真我や観照者の焦点部分が混同されてしまう所以である。

   ◆非二元性で、自己・エゴ・自我がいない状態で、常に至福・至聖・至高の法悦と歓喜の状態。

   ◆自他の分離がないので「見るものは見られるものである」状態。

   ◆真我の入口の状態とも言われ、現象界を成立させている、根本的なエネルギーの意識そのものであり、現象界に
     多大の影響力を与える。

   ◆この意識存在レベルは完全な全体性ではあるが、魂の聖なる回帰ともいわれる。
     永遠のパーソナリティーは全体の中で輝いており
     その意識は大文字のマインドで全体で共有し、全体性である
     沈黙の中で(想念や言語ではなく)瞬時に全て全体を理解するという驚くべき高次の知性意識
     また歓喜を与え続ける愛を主とする高次の感情意識。
     本当の意味のワンネス状態。
     意識伝達では我々では理解不能な「全てを一瞬にして伝え理解する」という全体性の高次知性領域である

   ◆時間と空間を超越しているので、他の惑星や他の恒星のブラザーとのテレパシーが可能になる
     (だがこの宇宙系内らしい)
   ◆一命一体の状態で、全ては完全に一つで、人間だけでなく、動物、鉱物、植物、無機物などあらゆる物質(と思われていた)
    存在と一つになり、分離していないことで、それらと一つの状態となる。

   ◆この意識状態から、真実の神の探求が始まると言われている、それまでの神は人格神であり、創造された存在である
    ここからは誕生した神ではない、創造する、誕生させた根源への探求が始まるらしい。

B超越意識(完全な真我かそれを超えた状態の意識)

   ◆現象界を成立させている根源の意識状態、これなくしては宇宙は一瞬たりとも存在できない、根源の存在・意識。

   ◆大文字のマインドはこの銀河系かまたは、恒星や惑星間で機能し統一しているが、それ以上の他の銀河系、宇宙を統合する
     意識

   ◆時間と空間の全く存在しない、根源。
     時間と空間と宇宙を創造する根源の意識状態。

   ◆この意識に関してはニサルガダッタ・マハラジが触れているし、クリシュナムルティーも記述している          戻る
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