■クリシュナムルティーについて
私はクリシュナムルティーを30年以上も学んできたが、彼は真理の種子を蒔いたのだと思う。
彼の言葉は禅の公案のよう。
そして真理を直示している。 これにつきると思う。
しかしクリシュナムルティーは一体誰に語っているのだろうか、
彼が語っている相手は、多分この物質界の私達ではなく、悟りの道を究めている方々、神々に対して語っているように思える。
彼は幼少のころから思考というものが、マインドというものが彼の中に無かったことを、小学校の頃に気づき、それがいかに異常であったかという、ことを非常な謙虚さで語っている。
これは私達にとっての究極の出来事なのに、彼は最初からその状態で生まれ、それがづっと続いていたのだ。
かれは最初から気づきの状態で生まれてきたのだ。
従って彼の語るレベルは最初から最高度の真実を直入している。
だから小学生の児童に「見るものは見られるものですね」などと語っている。
彼にとっても、その小学生は理解できないことは百も承知だ、だからクリシュナムルティーは、その小学生が、今後幾多の転生を重ねて、ある時にクリシュナムルティーに出あったことを思い出し、そのことに思いを馳せられる様に、今の段階では理解できなくても、真理の種子をその子の中に蒔いたのだ。
またかれは、一切の狭雑物を廃して、ただただ、非分離、非二元性のみを説いた。
説き続けた。
だからある時は誤解を招くような表現もあるし、あまりの次元の高さに、私達にとってのプロセスを飛躍する表現あったが、逆にそれがあったとこで、私達は道を誤らずに、歩むことが出来るのだと思う。
現在の私達には理解不能でも「真理の種子」として。
その端的なことが
「一切のグルの否定・ただ独り歩むこと」
「なることはあることを否定すること・即ち良くなることは良きことの否定である」などの表現である。