クリシュナムルティーに心から感謝申し上げます、ありがとうございます


「見るものは見られるものである」
クリシュナムルティーはここまで、真我のことを述べていて下さったことに感謝申し上げます

この言葉は非常に難しいので
何時も、何処でもクリシュナムルティーが語っていた、この言葉の意味がよく分からないなかを
ラマナ・マハルシの教えの中で、この
「見るものは見られるものである」の状態が真我そのものの状態であることを教えられました
勿論私は単なる知性での理解に過ぎませんけど

「見るもの」即ち私は、「見られるもの」即ち対象である客体であること
真我は全てであること
真我は主体でもあり、客体でもあること
をラマナ・マハルシは教えておられます

これは
即ち上江洲義秀先生の
一命一体の境地であり、
全ては我であり、
我は全てである、そのものであるように
思われます

私は今まで、クリシュナムルティーは真我というものを直接には、
語らない、明示されない、否定的接近で
教えを説かれていたのだとばかり思っていましたが
こんなにも、常にハッキリと真我そのものの状態を
いつでも、しかも、具体的に、分かり易く、端的に、心理的に描写して、
直指して下さっていたのだと
本当に
心から感謝しています。
改めて驚いています。

「見るものは見られるものである」
クリシュナムルティーの何時も言われていた
この言葉こそ、真我そのもの、実在そのものであったことを。

この「見るものは見られるものである」こそ、二元性を超え、分離性を超えた、非二元性・非分離性である真我そのものの状態を指していた事に、
やっとラマナ・マハルシや
ニサルガダッタ・マハラジによって、
また上江洲義秀先生によって分かりました

「見るものは見られるものである」とは主体は即ち客体であると言うことを、
分かり易く直指しています。

「見るものは見られるものである」とは
主体、即ち私は、
客体即ち対象であり、
全てのものそのものであること。

それは外界でもあり、
それは内部でもあり、
その愛でもあり、悲しみでもあることを示していると思います。
其処に分離が無いとき、
その「見るものは見られるものである」の状態の中に、
あらゆるものが変換をされて、
悲しみが喜びに
分離が全体に、
憎悪が愛に、
恐怖が平安になっているのだと思われます。
勿論、私は其処に至っていないので分かりませんが、そう推測されます。


「見るものは見られるものである」とは主体は客体であると言うこと
即ち、それは真我そのものの状態であり
一命一体そのものであること

それを、クリシュナムルティーは最も誤解されることのない、
最高の表現で、その真我そのものを直指されたのだと思います。

これを逆に言えば
全く同じ状態を、一見では逆に見える言葉、
即ち「知覚されるものは全て私ではない」となります。

ですので
「見るものは見られるものである」とは
自分が「知覚するものは全て私ではない」と
全く同じ状態を指していることに、気がつきます

「見るものは見られるものである」とは真我の状態の言葉であり
自分が「知覚するものは全て私ではない」は偽我の状態、
即ちマインドからの真我の否定的接近だとおもわれます。

真我においては「見るものは見られるものである」であり
偽我であるマインドに於いては“自分が「知覚するものは全て私ではない」”
となるのだと思われます

私達の、いまだ人類の到達していない、その超意識状態、
「気づき」の意識レベルからすれば
「見るものは見られるものである」であり
全体であり

私達の、この今現在の人類の意識状態である
このマインドが作り出した私とは
頭脳の条件付けの意識レベルの「マインド・私」の描写は
“自分が「知覚するものは全て私ではない」”となるのだと思われます

いずれにしても
この二つは、同じ事を、直指されています
即ち「見るものは見られるものである」という状態を、

主体は即ち客体であり、

分離していないことを

このことをクリシュナムルティーは物質界を去られるその時まで、
教え続けて下さいました

ありがとうございます、クリシュナムルティー!!

私達は本当に感謝しています

貴方が、此処まで真我そのものを直指していて下さったことに
やっと
頭だけではありますけど
知性で理解しています

心から感謝申し上げます

ここから先は、
その状態、その気づきの意識レベルになるには
自分では、どうすることも出来ませんが
全ては、起こること
変革は起こることであり
待つことは自我の動きそのものであります

しかし、けれども
私達の状態にもかかわらず
本当は
「見るものは見られるものである」であり
一命一体であり
私は全体であり
私達は一つであり
「見るものは見られるものである」
こそ真実だからだと思われます
これこそ
実在そのものだと

私そのものであると思います



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