嬉しい!楽しい!有り難い!





「嬉しい!

楽しい!

有り難い!」

こんなことを言うと・・・

「あんた一体、何を言っているんだよ!!」


「この危機的状況を見ろよ」「現実を見ろよ!!しっかりしろよ!」

「あんた気が狂っていると思われるよ!」・・・と叱れそうです。


しかしそのように言っているのは記憶なのではありませんか?



私達が完全に記憶と一体化しており、記憶がそのように思うので

私達も「おまえは阿呆と違うか」と記憶が思うように思うのでありましょう。


この危機的状況や困難な事態を見ているのは記憶なのでありましょう。

私達の内なる記憶がこの危機的状況を作り出し、そして知覚していますと。

「私の中やあなたの中にエゴ・記憶を見ているのは記憶の反応=エゴ

なのです」と。


この私達である現在の私から記憶が浄化されたら「有り難い、有り難い

嬉しい、楽しい、素晴らしい」と如何なる困難な状況にあってもそのように

思うのでありましょう。・・・この感謝の気持ちは記憶の反応ではなくて

「たましいと繋がっている現在の私」に自然に起こる気持ちだからでしょう。



しかしながら

現在の私は潜在意識にある記憶に染まりきって記憶と一体化しているので

記憶が思うように私も「自分は肉体である」と絶対的に信じ込んでいるのです。

私達は記憶が見ている様にしか見ることができず、記憶が思うようにしか思え

ないわけです。記憶が思うように肉体と同一化して私は何々人だ、何国人だ、

私は病気になった、私は死にそうだ、私は他人とは別々だ、自分の力で生

きているのだと条件付けられている脳が思うように思い、脳が知覚するように

知覚し、記憶と一体化し、記憶が思うように思い、記憶が見るように見ている

のです。


従って、「自分は肉体ではなくて自分は未知なるたましいであり、自分の中に

有る大生命が生かしてくださっている」という現実を直に感じることができない

のでありましょう。



もしもそれが恩寵によって記憶が現在の私から浄化されて内なる私と繋がったならば

その内なる私(無我・鏡・空の私)の気持ちになって「有り難い、有り難い、愛して

いるよ」というたましいの気持ちになってくるのでありましょう。安心と安らぎが訪れる

ことでありましょうか。


すべてのすべてを受け入れ、すべては自分の責任である・・というようなヒューレン博士

の心境になったならば自ずと愛と感謝と静寂が如何なる困難な状況においても起こっ

てくるということでありましょう。



この気持ちになるためには幾たびの輪廻で勉強中の私達は言霊のお力をお借りして

全ての万物に、全ての起こっている事に「嬉しい!楽しい!有り難い!大好きだよ!

愛しているよ!!」と無心で唱えることが大切でありましょう。




この感謝の気持ちとは潜在意識にある記憶からの条件反射や脳の反応ではなくて、

ヒューレン博士のように、現在の私が「起こっている事はすべて自分の責任である」と

真実を全て受け入れた後に、自ずと起こってくる「現在の私が記憶から解放されて、たまし

いと繋がっていたことを再認識している状態」から自ずから起こる感謝の気持ちである

ということでありましょう。