真理にお金は必要か
真我に近づくにはお金は要るのか
真理の伝達にお金はかかるものなのか
恩寵はお金が必要か
そして
霊的な領域でも
お金は価値を測る基準になるか
まづ
お金は価値を計る基準でしょうか
高いベンツは、安いダイハツの軽より勿論価値があります
高い億ションは、安いワンルームマンションより価値があります
高いオペラの鑑賞チケットは、安い素人の地域のコンサートより価値があります
しかし
その高いベンツに乗っている人が、安い軽に乗っている人よりレベルが上でしょうか
その高い億ションに住んでいる人は安いワンルームに住んでいる人より魂的に進んでいるでしょうか
その高いオペラを鑑賞している人は高級な人でしょうか
お金は
確かに、この物質の世界の或る一面の価値を現すには、その機能があります
しかし、明らかなように
人間に関すること、その人間のレベル、思想、哲学、魂は全くお金には価値を測る基準ではありません
だから
悟った人が、貧乏なこともあれば、豊かなこともあります、金銭とは全く関係がありません
しかし
ここで問題はその物質界の価値を計る基準である金銭を、人間や魂や霊的な領域に拡大し
間違った解釈をするよう、私達に暗示する事があるからです。
従って
霊的な領域に関しては
金銭の多寡は全く、その価値を計る基準でありません。
それは丁度
立派な寺院や宮殿がそこに住む神の価値を決めているのでないのと同じです
荒ぶれた見捨てられた小さな田舎の片隅のお宮に、位の高い神々がいたりするのと同じ事です
そこから当然
良質の霊的な価値のあるものは高い金銭で講習やらヒーリングやらディクシャやらがやりとりされるという考えは
間違いであるということが導入されます
真実の恩寵は金銭とは関係ありません。
金銭はこの物質の世界の或る一面の経済の機能を果たしているだけです
それは
自分は肉体であり
自分は分離されているという概念に基づいているのです
もし
自分が肉体でなく、分離されてなく、本当に一体で、一つだということを体験したら
恐らく
経済的には無一文で裸になることでしょう、ラマナ・マハルシのように。
自分の持っている物質的なものを全て、貧しい人に与えてしまうでしょう。
愛のある人は、全てを与えるでしょうから、物質の富を、同じワンネスの同じ兄弟に、自分と同じように与えるでしょう。
そして
自分も物質的、金銭的には、一緒にゼロになるでしょう。
しかし
その人は無一物中無尽蔵であることでしょう。
何故なら、彼は肉体ではなく、分離されていないので、全ては彼のものであり、彼は無限に豊かなのです
お金に固執することは
その人が、悟っていないことを示しています
経済的に蓄財していることはその人が悟っていないことを示しています
自他の分離感がお金の流れに注目し執着してしまうのです
しかし、実際はそれとは別に、
自然に物質や金銭は流れているのです、
ですから
悟ったその人の周りにはお金や物質は存在しないのです。
しかし
私達は、そこを混同します。
その金銭と霊的な価値を等価すると考えるとき
そこに、大きな間違いが発生します。
お金が沢山あることは霊的な価値とは全く関係なく、
そのような考えを誘導する教えは
物質界を支配する間違った考え方に基づく思想の延長です。
その考え方が分離を生じさせてきたのです
分離が無いとき、自と他の区別がないとき
「見るものが見れるもの」であるとき
金銭はありません、価値の高いも低いもありません、レベルの高いも低いもありません
高級も低級もありません、善も悪もありません。
全ては完璧で、完全で、一つなのです。
どうしてそこに差別を生んでしまう判断や比較というマインドの機能があり得ましょうか。
判断や比較や選択が無いとき、全てが完全で何にもレッテルを貼ることは出来ないのです。
全ての花は美しく優劣を付けることなく咲き誇っているのです、輝いているのです。
従って
そこにはもうお金は存在できません、金銭は存在できないのです。
これから訪れるであろう
新しい地球には金銭も無く、貨幣もなく、銀行も無いことでしょう。
もし私が
悟っていたなら
なんとしても、人々に悟りを与えたいと思うでしょうし、
そのことに、どうしてお金のことが絡んだりするでしょうか
報酬やお金は全く問題外でしょう
しかし、私は生かされているので
全くお金のことは心配しないでしょう
お金は自然に集まるでしょう
ですので
報酬や金銭には関係なく
その悟りを与えたいと思うでしょう
何故なら
私には溢れる愛があるからです
そこにはお金の影は一切ありません
そうではありませんか
従って
真理は金銭の授受とは一切関係しないのです
恩寵はお金とは関係ありません
真理に近づくにはお金は必要ありません
それを
真理の授受に金銭が絡むこと、
恩寵に金銭が絡むこと
真理にお金を設定することは
悟った人はすることはありません
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