肉体精神機構は進歩する



A子さん:久しぶりですね、このところなんだか不景気の余波で元気がないみたいですね

Bさん :う〜ん、そうだね、しかしそうだけど、起きている事は自分ではどうすることも出来ないしね〜、
      自分さえをも含めて
      自分が心配して、イライラすることや、どうしようもなく自分が不安になることも、自分ではどう
      することも出来ないからね
      自分の精神状態や自分の会社の業績や景気や健康なども含めて自分のコントロールの及
      ぶ範囲ではないからね
      この不安やイライラこれは思考の記憶である自我の反応だし、頭脳が条件付けられている結
      果である事だよ

A子さん:え!!それってどういうこと、あなたの言うことはいつもそうだけどよく分からないわ

Bさん :自分のことだと思っていることも、よく見てみると自分に属していないことが分かるんだよ
      例えば、A子さんは自分の事をどう思うかい

A子さん:自分の事って、う〜ん、私の事よね、例えば〜、自分の体の調子とか・・・、自分の願いとか・・・、
      自分の精神状態とか・・・
      自分の性格とか・・・いろいろあるけどね

Bさん:それそれ、、それのことだけど君は自分の体の調子とか言うけど、決して自分の体は、自分のもの
    ではないよ!!!
    君は「私は肉体ではない」などと言って瞑想して肉体を軽視しているけど
    体はもの凄い叡智そのものなんだよ、その極度の叡智の塊と、この私とを比較するのはあまりにも
    体に失礼だよ
    宇宙を動かしている叡智と同じ叡智そのものがこの体でしょ、別に僕がここでとやかく言わなくても、
    「ものを視る」事ひとつにしても、眼球の構造や網膜の視神経、そしてそれを正確に捉えて頭脳に伝
    えて視神経の情報を頭脳に翻訳しての認識を起こすこの素晴らしい神経の働き
    その宇宙的な正確さとその複雑なシステムが数学的にキチンと運営されて「視ること」が起きている
    わけでしょう
    どんな天才でも、どんなコンピュータでもこれは出来ないよ、これは人間だけではなくて動物や植物や
    鉱物でも同じだよ
    そしてこれらを生まれさせて、成長させ、そして有るときは健康にまたある時には病気にさせてそして
    滅亡させる
    このシステムは自動的で且つ完全な超叡智と呼ばなくては、これをなんて呼んだらいいんだろうかね
    僕はこの素晴らしい完全なるもの、即ち誕生し成長しそして老化して最後には病気になって死亡する
    ように仕組まれたプロセスを持った肉体は、もの凄い!!とおもうんだよ、もうこれは最高なものだよ!!
    それに引き替えこの自分とは一体何だろうか、この意識とは一体何だろうかね?これは記憶にしか過
    ぎないよ、
    そしてこの記憶が脳と同調し、脳としっかりと結合して脳内の体性神経を通じてこの自分であるマインドの
    エネルギーを神経経路を使ってこのマインドのエネルギーを流して自分が行動して自分が肉体だという
    錯覚が始まるんだ
    そして自分が身体を動かしているんだと思う事から自分がこの人生で生きているとの思い込みが始まる
    んだよ

A子さん:え、、ちょっと待って・・あなたは自分がこの身体を動かしていないとでも言うのかしら、おかしいのでは
     ないかしら
     だっと、ほら見てみてよ、指を曲げてこの私の意志の通り私はこのようにコップに水を入れて飲んでいるのよ

Bさん:そうだね、確かにそうみえるよね、しかしよく見てみて
    この腕を動かす筋肉やこの腕の神経、そしてこの腕の中のリンパや血流の流れ、それらは一糸乱れず、
    精妙な動きで統一されて、この私の意志で動いているように見えるけど、それは今言ったようにその腕の
    手の運動神経を支えているのは自分に意識されない自律神経や脳の神経やそのシステムやリンパや血
    液やあらゆる複雑な統一の取れた前提があればこそこの運動神経系統は成り立っているわけで、自分の
    自由意志で行っている行動や、自分の思いや思考と感じているものも実は自律神経系を含めたあらゆる
    システムが完全に作動し正常に働き、かつ眼に見えない生命とエネルギーがあるからこそなんだよ
    と言うことは簡単な動作もそれを支えているエネルギーで有る生命とシステムが基盤としてあるからこそ
    なんだよ
    今日本でも盛んに言われている看護ロボットなんかを見ても分かるけど、ロボットが機能しているのはまず、
    そのボディでしょ
    それはどんな金属でも良いけど・・・そしてそれを動かすエネルギー例えば電気とか光エネルギーでも良い
    んだけれど
    そしてこれを動かすプログラム、それの中心部になるコンピュータでしょ、まあロボってもさえもこれだけ必
    要なんだよ
    そして、ロボットが成長して自意識が発生すれば「これは自分が動かして介護をしているんだ」とおもうよ
    きっと
    けれどロボットはプログラムに従ってしか条件付けられたようにしか考えられないし、思う事は出来ないん
    だけど、
    ロボット自体は「自分が考えて、自分の自由意志で、自由に行為しているんだ」ときっと思い込むと思うよ
    この喩えは余り良くないけど、これが私達の実際の現状と余り変わらないことだと思うよ
    僕たちの自己意識とはこのロボットの意識と同じで、このロボットに記憶が蓄積してあればより高度の自
    己意識という私意識が発生するというわけだよ、この僕の意識と同じようにね

A子さん:それはあんまりだわ、この神聖な魂のある私達をロボットと一緒にしてしまうなんて、あんまりだわ・・

Bさん:A子さん良く聞いてよ、それは違うんだよ、このロボットを生かしている生命である魂は、この自己自我意
    識ではないんだ
    その神聖なる魂は観照者として確かに今此処に在ると言われるけど、頭脳と繋がっていないんだよ、ここ
    で今話したことは 
    僕はロボットのことを言っているのではなくて、僕達の自己意識という自我は確かにこのロボットと余り変
    わらないと言うことを通じてこのロボット構造自体の素晴らしさを言っているんだよ、実際には僕たちはこ
    のロボットの構造とは少し違っていてロボットがこの肉体だとしたら、それをを動かしているエネルギーとか
    生命は魂からのものだし、この自己中心の意識というのがこの頭脳と同調し、それを覆って動かしている
    マインドという思考なんだよ、これはやってきている生命のない思考だよ
    けれども僕はいまこのマインドという思考やその記憶である自我の事言っているのではなくて、この肉体や
    幽体や霊体やコーザル体や、そしてエーテル複体や複雑なチャクラやクンダリーニやそれをつなげている
    条件付けられているシステムのことを言っているんだよ
    このシステムを支えている諸身体の構造の素晴らしさや、そのシステムの素晴らしさを言っているんだよ
    このシステムのひとつである肉体と頭脳の素晴らしさはこの人間が造ったものとは勿論比較に出来ないよ、
    それは当たり前だよ、けれどもこの根源が造った肉体自体は思考やマインドを超越した根源がコントロール
    しているんだ、その根源の超叡智が同意しなければ何も出来ないし起こらないよ、そういうことだよ
    それはさっき言ったようにコップの水を飲むことでさえ、ありとあらゆる頭脳の全ての機能が関与してその同
    意がなければできないことで、自律神経などのシステムが承諾していなければそのコップの水をのむと言う
    ことさえ出来ない事を考えれば
    この私達の私と言う自己意識を持っている個人格という記憶さえ、この宇宙を動かし、この肉体を動かし、
    そしてこの思考を動かし、この欲望を動かしている根源がコントロールしている一部分なんだよ
    それを自分は独立した一人格で一個人だと信じているのは、マインドなんだよ、このマインドが脳を経由して
    脳から神経系統に浸透して神経や感覚や頭脳回路をマインドという二元性や分離性、そして閉鎖の限定し
    た時間や空間という思考が染みこんでそれが私達の錯覚を引き起こしているんだよ、自分が生きており、自
    分が行っているんだという錯覚をね・・・
    けれどもそれは大きな眼で見ればあの映画マトリックスの最後でお互いに闘ってきた予言者と設計者が握
    手しているように
    このマインドが頭脳を占領してしまうことも、頭脳や諸身体やチャクラが閉ざされていることさえも、即ち現状
    では魂の繋がらないように機能が制限されているこの頭脳の条件付けさえも、この大きな叡智である根源の
    設計の通りなんだよね
    だから現象界は全てが設計者の映像であり、個人や人格は全くいないんだよ、そして永遠のパーソナリティ
    ーという魂さえもこの超絶している根源自身の一部であり、その根源の細胞の一部分なんだよ、僕たち思考
    は分離して個人であるように思い込むように設計されているんだけど実際は、この体さえももの凄い超絶の
    叡智そのものなんだよ
    だから僕たちはこの根源の映像の中の一部分であり、実際には僕たちは存在していないともいえるし
    魂から見た場合は人格意識さえも肉体を生かしているこの生命そのものの一部だとも言えるんだよね


A子さん:ふ〜ん、なんだか良くわからないけど、Bさんにそういわれるとなんだか、それが本当のことのように思
      えてくるわ
      この私と言う自己意識が、いかにこの身体と比べると劣っていて、限定されており全く非実在のように思
      えてくるわ
      けれども上江洲義秀先生を始めとする、賢者達の言う「私」という存在のことはどうあなたは思うかしら

Bさん:そこそこなんだよ、この点は僕には全く分からない事だし、体験していないのでよく分からないんだけど上江
    洲義秀先生達の真我のはなしを総合してみると、この身体のシステム系やマインドの時間系とは全く別に、
    この二つのシステムが合流する場所、いや合流する場所と言うよりこの二つのシステムが流れ出でてくる根
    源の根源が時間を超えた「今」という次元であるらしいんだよ、それでその次元から本流として気づきとか言
    われている、マインドではない意識が
    (対象を持っていない意識があり)それを気づきと呼称してそれが超意識を造り、現象界に触れて魂となって
    私達のこの頭脳をいや、頭脳だけではなくて身体全体を覆っているらしいんだよ
    魂とか意識とか分魂とか呼ばれているのはこの気づきから流れてきている意識なんだね、この意識は決し
    て自己意識ではないし、分離はしていないんだけど、現象界に降りてきてどんどんと分魂していくうちに、自分
    を忘れてしまったらしいんだよ
    しかしこれはマインドという思考や記憶である自我のことではないんだ、それとは全く違う系列に属している意
    識なんだね
    だから、この肉体というこの場には三つの系列が同時に来ているんだよ、一つは完全な叡智である肉体を生
    み支えているプロセスとプログラムでもって宇宙を運営しているシステムの系列、もう一つはマインドと言われ、
    神の道具とも言われている心という自他を分離し、時間であるマインドと言う思考であるもの、そしてそれが肉
    体の頭脳に結合し自我となっている訳なんだけど、その自我が輪廻転生を支えているわけだね、そうしてもう
    一つはこれらのさらの根源でありこれらの全てを生み出
    している大元である無時間、非対象、無思考であり無限である今と呼ばれているところからやってきている気
    づきと言われる「意識」からの流れ、それを魂とか分魂とか、又は聖霊とか言っているけど、インド哲学ではア
    ートマンとか言っているんだけど
    この愛そのもの、これらがこの肉体の裡と外に溢れているんだね、超次元的に

A子さん:ふーん、あなたは良く体験していないのに、そんなことを分かった風に言えるわね

Bさん:そうだね、そうだけど体験したら、逆に言えないかもしれないね、それは言えることではないので言わないと思うよ
     それに色んなレベルや次元での体験もあるから、現在のスピリチャルの流行での変な体験を絶対なる体験と勘違い
     するよりは、むしろ体験しないで僕のように思い込んでいるだけで話している方が害を及ぼさないかもね・・・
     僕がこのように話している状態は、脳が条件付けられていて、マインドという時間系の分離性意識に波長が合い、その
     マインドの持つ波長と同調したが故に、マインドと頭脳とが結合し、神経に浸透しこの肉体を動かし、自分が行為していると  
     (実際はこの思考すらも肉体などを支えている超叡智がマインドを使用して起こしていることではなるけど)考えるわけだ
     この僕の思考や記憶とは肉体の頭脳自体が思考しているわけではないよ、頭脳はあくまで受信器であり発信器なんだ
     ここを間違ってみんなは考えているけど、頭脳自体は思考ではなくて思考を完全に超えている存在が生みだしたもので
     この頭脳にマインドが浸透して結合し、頭脳を占有し、その結果感覚や神経系統はこのマインドの支配下に入ったわけだよ
     そうして脳は思考のものとなって思考が脳に流れ入り「私が肉体である」と思考が思い始めた、そしてその思考は
     凝り固まって凝縮し記憶となって肉体の死後も生き残り、自分が肉体だとの思い込みから、外部に今までの生活環境と
     そっくりの人物と出来事を生み出してそこに生き続ける、これが幽界・霊界の実情だよね
     でもこの思考の記憶である人格というものは再生することが出来ず、この完全完璧な幽体や霊体やサイコノエティック体
     から離れて眠った状態に陥る訳よね、そしてこの人格は同じ魂の焦点の合っていた「肉体と繋がっていたグループ」の一員
     としてそれらの束ねられたプールのような輪の中で、この魂が高次の記憶であるコーザル体と共に再生して新しい肉体
     に焦点を合わすときまで中有界で待つわけだ
     そしてこの魂と結びついていた自我群(又は人格群、記憶群)は、この自我群の中から或る特定の自我が選ばれて
     再びこのこの三界に戻ってきた魂と同じ肉体に同居することになる、これを称して肉体の誕生日と言うわけだが
     実際には、自我群の中から選ばれて、魂と一緒にその肉体・頭脳と結びつくことになるわけだが
     このとき潜在している「この特定の魂のグループ」の一員として、他の転生してきた魂(観照者)と同居できなかった自我達も
     下のチャクラと結びついて一緒にこの物質界での人生劇場を体験することになると言われているよね 

A子さん:ふ〜ん、そうともいえるかもね、でもそれはあなたの体験ではないし、あなたという思考の記憶が思考している事であって
     思考や言葉や知識を超越している気づきからの話ではないわよ 

Bさん:その通りだよ、僕が、さも分かったように話しているのも、これは脳と繋がっている思考というものが色々と考えて話してい
    るんだよ
    だって考えること自体、思う事自体、願うこと自体、知覚すること自体が脳を使って思考と言う記憶が起こしている動作であり
    これは、完全・超叡智であるものが肉体や脳の条件付けを行い、脳のチューニングをして思考にしか同調できないようにして
    いる結果、この脳が思考と言う自我の記憶にしか繋がらないようにしているので、僕というこの現象が生じて、この記憶である
    僕がこのようにして君に話しているわけだし、この記憶が肉体の感覚や、不安や恐怖をも抱くことが出来るわけだよ
    もしこの思考の記憶であり、その活動である僕と、この「有機体の頭脳」とがチューニングしなかったり、頭脳が故障したり
    老化したり、解体したり、死んだ場合は所謂、肉体の死、というご臨終さま・・と言うことになってしまうわけだ、けれども
    今のところはこの自我という思考の記憶である僕は、肉体の頭脳が同調できるように大いなる叡智によって条件付けられ
    波長があるようにセットされているから、この記憶である僕は頭脳と肉体を使う事が出来るんだ、けれども頭脳の条件付けが
    解かれて波長がアップした場合は、頭脳が魂と波長が合い始め、その魂の意識やエネルギーが頭脳や神経と同調し流し
    始めるようになったら、そのときはこの僕である記憶は解体し、終焉を迎え、このマインドである思考は絶滅するわけだよ
    そして、この肉体とこの頭脳には新しい波長と同調できるほどの再調整が完了して新しい頭脳となり、肉体は生まれ変わり
    魂という意識の表現体として機能し始めるわけだ、これが聖者の段階だね
    これをキリストは「磔」とか「二度生まれしもの」とか言うけど、肉体や頭脳が条件付けを解かれて魂と繋がった状態となり
    頭脳と肉体と諸身体が全く違った周波数の意識とエネルギーの媒体となることなんだね
    これを通常は悟りとかいっているけど、頭脳が魂と結合されて、自我が死滅し、頭脳と肉体は新しく魂の媒体となった状態
    それが悟りという、そういうことだよ

A子さん:あなたも悟ってないのに良く頭でそこまで思い込んでいるわね
      けれどあなたが話していることは、頭というこの次元でしか機能しない思考やマインドで理解したことであり
      実際の現実ではないのよ、そこをしっかり分かっていないと、私達はあなたの言っていることをまた概念として
      捉えて、それの虜になってしまう危険性が充分にあるわね

Bさん:そうなんだよ、実際はこの僕の話したことは、実は話せることではない次元の事をこの次元である言葉や思
    考を使って話している、即ち類推したりしていることなので、これは正しくは間違ったことなんだよ

    だから悟った人は決して語らないし、この上位の次元や再誕生のカラクリについては説明しないんだよ
    ラマナ・マハリシやクリシュナムルティーも含めて彼らは、知っているが故に話さなかったんだよ、話したら
    誤解するからだよ
    話せば僕のように頭で理解したことが知識となってしまい、それが実際に起こったときにかえって邪魔に
    なるからだよ
    上江洲義秀先生も転生のカラクリを照見したとは言っても、皆に具体的に話さないのは、上江洲義秀先
    生はもし言葉で僕に説明したら、それを聞くのは思考であるんだから、間違って知識として記憶してしまい、
    結局は誤解してしまうことを
    充分に理解している故に、言葉ではこの転生のカラクリを説明しないんだ
    だからこれを僕の様に言葉で話すと言うこと、これは人々を惑わすこととなってしまうんだよね
    神智学や人智学そして、この宇宙の仕組みを概念で説明しているものは非常に要注意なんだ、危険な事
    であるんだよ
    彼らを非難しているわけではないし、またそうすることも出来ないが、この転生のカラクリと仕組みを概念や
    知識では全く扱えない事で有るにもかかかわらず、それを思考や概念や知識で説明することは誤解させる
    ことだということを
    充分に理解したうえで、これを聞く必要が有るんだ

A子さん:そうそうよ、それでいいのよ、あなたは本来は上位次元であって言葉や思考や記憶や知識では決して接近で
      きない領域のことを言葉や知識や思考という非常に下位の次元の媒体を使用して話しているわ
      それは誤解よ

Bさん:勿論それも分かっているけど、僕には僕のやり方で進んでいるんで仕方ないんだ
    今話したこと、これはこのように下位次元から類推した想像であることとして話している、と、そういうことだ
    もし、この脳の条件付けが解かれて魂や高位の次元の意識と脳が繋がった場合は、脳は生まれ変わって思考
    ではなくて気づきや意識と同調し、そのエネルギーが細胞と神経を新にし始め人類は新しい局面を迎えるのだよね


A子さん:そうそれが真のアセンション、次元上昇であり、この次元上昇にはこの記憶である自我の居場所は何処にも
      ないという事よね、高次の次元には思考の記憶である私は存在していないし、魂の次元を受け入れた肉体や
      頭脳が新に再調整されて、全く新しい形態となってしまうかもしれないしね

Bさん:けれどもいま僕たちに必要なのはやはり、この僕という思考の記憶でしかないものの実体を暴き
    この僕である思考が思考の根源である第一想念のマインド・時間が発生している現場を正視する事だと思うよ
    やはりクリシュナムルティーの言う「虚偽を虚偽と見ること」→「虚偽を虚偽と見る事の中に真理を見ること」→「真
    理を真理とみること」であり、その最初のステップである虚偽というこの私自己意識である記憶を思考自身が見て、
    そして、さらに、その思考自身がこの思考の根源に到ることが急務だと思うよ

A子さん:そうねお互い頑張っていきましょうね 
            











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