■富めるものが、神の國にはいるのは難しい
何故、物質的に豊かな人が「神の國という意識状態」という、真の豊かさを享受できないのか。
この答えは自明だと思う。
神の國の人の実存レベルは、
@自他の分離感覚が無いので、自分は即他人であり、汝は我・自他一如であるが故に、必ずや、その愛の心から貧しい
人に分かち与えるので、余分な自分の財産は無くなってしまい、
物質的には必ず不必要な富めるもの(物質的に貧しい人がいるのに自分だけが物質的に貧しくないという状態)にはな
らないということ。
しかし当然の事ながら、この状態は「分離・二元性」の実存レベルに縛られていないので、必要なものは必要なときに
必ず全体性が手配してくれて、物や金に困ると言うことはないと言うこと
。
A分離の感覚が存在せず、自分の所有という、その主格たる自分が存在せず、従って自分というものがないので所有
意識がなく、物欲や我欲、所有欲にとらわておらず、
その結果、内面的にはもの凄く、豊かであり、何も不足している物はなく、全てが一体であり、それは取りも直さず、全体
と自分が分かたれていないので、全ての豊かさが中にあるという実感に溢れている。
所有という感覚は「自分は肉体である」の錯覚に基づいているので、この錯覚から離れていくに従って、所有欲に捕らわ
れなくなり、金銭欲や物欲、所有欲が滑稽に思えて来る。
そして真の限りない神の國の豊かさに溢れている