幾重にも重なる実存の私



私自身とは幾重にも重なって、層をなし、その私自身が「真の未知なる私自身」を覆い隠し

包んでいるといわれております。


その「真の未知なる私自身」のことを幾重にも幾層にも覆い被さっている私という私の

ことを「実存している私自身」・「実存する私」だといわれております。


ではその実存の私、現実存在の私とは?、実際に存在しているこの私自身とは何なの

でしょうか?



何を信じているのか?何の宗教なのか?何を考えているのか?何を知っているのか?

・・・それらのことすべては全く重要な事ではなくて、それは極々表面の記憶の反応の私自身の

ことだといわれております。・・それは実存の私ですらありません、実存の私が付けている仮面

の私(記憶の反応の私・人格の私)です。


その何かを信じているその私自身の信じている宗教が重要なのではなくて、そのそのことを信

じている当の本人の、あるがままの私の状態が重要であると言われております。・・・・そしてこ

のあるがままの私自身のことを実存の私と言い、その実存の私とは幾重にも幾重にも重層し

て真の私自身の事を覆い包み隠している私なのだというのです。

神を信じて隣人を愛して涙を流すその同じ信仰者が、平気で人種や宗教の違いで殺戮者に豹

変するのです。人格の私は信心深い私ですが実際の実存の私は平気で人を殺す全く愛のな

い偽善者なのです。その偽善者達という実存の私が幾層にも重なって真の私を覆っているのです。




ですから

考えている内容が重要なのではなくて当のご本人のあるがままの状態の方が、その人が思い考え

たり信じたりしている中身のことより遙かに重要であり、その人が信じ、考えている至高の叡

智?(実は思考に過ぎない)のことよりも、その真理を知っているのだと言っているその当人の

あるがままの状態(実存)の方が最も重要だと思われます。


がしかし、その実存の私自身とは真の私自身を覆い包んでいるヴェールの私自身に他なら

ないといわれています。


ではそのあるがままの自分自身に気がつき、自分自身を改善し、どうにかしようとし、努力

しているその私、色々とワークし、悟ろうと修行しているあるがままの私を判断し自己観察し

ている私とは誰なのでしょうか?


その私自身も真の私自身を覆い包んでいる私、更なる実存の私自身なのではないでしょうか?



自己観察されている対象の私が真の私なのではなく、そうではなくてその自分を観察している

私自身・・その観察対象の自分自身を観察している私を見ることが重要なのだといわれます。


私達は幾重にも重なって真の私自身を包み隠している現実存在なのです。そしてこの

現実存在の私達とは真の私を包んでいる私という観念なのではないでしょうか?


その自己観察している私を見ている私が真の私を詐称している実存の私なのだと思わ

れます。




ここで紹介するミルダッドの言葉は非常に難解、かつ深淵、しかも意味を理解することは

理解の聖霊の恩寵を必要とすることであろうからして、私も含め理解することは至難の事

なのですが、敢えてここで紹介したいとおもいます。


ここでミルダッドが「私の私」といっているのは、印度哲学で言うアハンカーラ=自我の根源

の私意識の事であり、通常はマインドと言われている、地球を取り巻いている想念帶、若し

くは人類全体の共通している潜在意識の私の事であり、通常の人生では滅多にお目にか

かれない根源的無明の私、私自身である「実存の私」の根源であるマーヤの私のことを

指しているのではないかと思われます。






少々長いのですが「ミルダッドの書」(著者:ミハイル・ナイーミ、翻訳者:小森健太郎

荘神社発行・現在は在庫なし)から一部を抜粋紹介させていただきます


第二章
創造の言葉



ミルダッド……〈私〉という言葉を口にするとき、直ちに心の中で祈
りなさい。

「神が〈私〉という言葉の諸々の災いからの避難所であり、
〈私〉という言葉の祝福への導き手でありますように」

と。

この言葉は、一見取るに足らない普通の言葉だが、他のあらゆる
言葉の魂がこの中に秘められている。
その魂が解き放たれるや、あなたの口にはかぐわしい香りが漂い、
その舌は甘露で満たされよう。そこから生まれ出るすべての言葉は
、〈生命〉の喜びに浸されよう。その魂が封じ込められたままなら、
あなたの口には悪臭が漂い、その舌は苦みで満たされよう。
そこから生まれ出るすべての言葉は、〈死〉の膿を滲ませよう。 
というのも、仲間たちよ、

〈私〉は〈創造の言葉〉なのだ。

もし、あなたがその魔力を把握せず、その威力の主人でないなら、
あまりにもしばしば、あなたは歌いたいときにうめき、平和でいたい
ときに戦い、光に浸されたいときに暗い牢獄でうごめくことになろう。


あなたの〈私〉とは、あなたの存在の意識に過ぎない。

音声を持たず肉体を持たない意識が、
〈私〉によって音声を持ち肉体を持つようになる。


〈私〉とは、あなたの内にある、聞こえるようになった
聞こえざるものであり、見えるようになった見えざるものだ。

だからそれを見ようとしても、
見ることが不可能なものを見ることになり、聞こうとしても、聞くこと
が不可能なものを聞くことになる。

なぜなら、
あなたはいまだに眼と耳に縛られているからである。
あなたには、眼によらなければ何も見えず、耳によらなければ何
も聞こえないからである。


 少し〈私〉を考えるだけで、あなたは頭の中に波打つ思考の海を
つくり出す。その海は、同時に

思考者であり思考であるあなたの〈私〉が

創造したものだ。


もし、あなたの思考が突き刺し掻きむしるなら、
あなたの内なる〈私〉のみが棘、牙、鉤を思考に与えたのだ
と知りなさい。

 ミルダッドはまた、あなたがたに、
与えることができるものは、取り除くこともできるのだとわきまえて
もらいたい


 少し〈私〉を感じるだけで、あなたは心の中の感情の井戸から水
を汲み上げる。その井戸は、同時に


感じる者であり感じられるものであるあなたの〈私〉
が創造したものだ。



もしあなたの心に茨があるなら、あなたの内なる〈私〉のみが
そこに茨を根づかせたのだと知りなさい


 ミルダッドはまた、
あなたがたに、かくもたやすく根づかせることができるものは、根
こそぎにすることも同じくたやすいということをもわきまえてもらい
たい。


 少し〈私〉を語るだけで、あなたは一連の力強い言葉に生命を
もたらす。おのおのの言葉はある物の象徴であり、
おのおのの物はある世界の象徴であり、おのおのの世界は一つ
の宇宙を形成している。

その宇宙は、同時に作る者であり作られるもので
あるあなたの〈私〉が創造したものだ。


もしあなたの宇宙に怪物がいるなら、あな
たの内なる〈私〉のみがそれを誕生させた
のだと知りなさい。


 ミルダッドはまた、

あなたがたに、創造することができるものは、抹消することもで
きるのだとわきまえてもらいたい。

 
創造物のありようと、創造者のありようは同様だ。自分自身を上回
って創造できる者があろうか? 
自分自身を下回って創造できる者があろうか? 自分自身のみを
-それ以上でもそれ以下でもない自分自身のみを-創造者は創
造する。

 〈私〉とは、すべての事物がそこから流れ出し、すべての事物
がそこへと還る水源である。
水源のありようと、流れのありようは同様だ。

 〈私〉とは、魔法の杖である。しかし魔法の杖は、魔法使いの中に
あるものしか産み出せない。
魔法使いのありようと、魔法の杖の産物のありようは同様だ。


 それゆえ、あなたの〈意識〉のありようと、あなたの〈私〉のありよう
は同様である。

あなたの〈私〉と、あなたの世界のありようは同様だ。


もし〈私〉が意味において明確で明瞭ならば、あなたの世界は意味に
おいて明確で明瞭である。
その時あなたの言葉は決して迷宮ではなく、あなたの行いは決して
絶えざる苦痛の温床ではない。もし〈私〉が曖昧で不確かならば、あ
なたの世界は曖昧で不確かだ。その時あなたの言葉は縺れと紛糾
であり、あなたの行いは、苦痛の孵化場である。

もし〈私〉が不変で恒久ならば、あなたの世界は不変で恒久だ。
その時あなたは、〈時間〉よりも強く空間よりもはるかに広いだろう。

もし〈私〉が一時的ではかないならば、あなたの世界は一時的ではか
ない。その時あなたは太陽に軽く吹き消される一条の煙でしかない。

 
もし〈私〉が一つならば、あなたの世界は一つだ。その時あなたは、
あらゆる天の主、あらゆる地の客と永遠に平和に過ごすこととなる。



もし〈私〉が多数ならば、あなたの世界は多数である。


その時あなたは、あなたの自己自身と、神の無窮の宇宙に住まう
あらゆる被造物と果てしなく戦うことになる。


あなたの世界はぐらついている。その時あなたは、荒れ狂う一陣
の旋風にもて遊ばれる無力な木の葉だ。
 そして見よ! あなたの世界が安定しているのは確かだ。しかし
それが安定しているのは、不安定さの中においてのみである。
あなたの世界は確実だ。しかしそれが確実なのは、不確実さの中
においてのみである。あなたの世界は不変だ。しかしそれが不変
なのは、うつろいやすさの中においてのみである。
あなたの世界は単一だ。しかしそれが単一なのは、多様性の中に
おいてのみである。
 あなたの世界は、揺藍が墓場に変わり、墓場が揺藍に変わる世界。
昼が夜を喰らい、夜が昼を吐き戻す世界。平和が宣戦布告し、戦争
が和解を求める世界。喜びが涙の中に浮かび、悲哀が笑いで彩られ
る世界。
 あなたの世界は常に産みの苦しみにあって、〈死〉を助産婦として
いる。
 あなたの世界は、篩と網目の世界である。
しかもその篩と網目のどれ一つとして他の篩や網目と似ていない。
あなたは、篩にかけられないものを篩にかけ、選り分けられないもの
を選り分けようとして常に苦痛の中にいる。

 あなたの世界は、おのれ自身に対立して分割された世界である。
というのも、あなたの内なる〈私〉があまりに分割されているのだから。
 
あなたの世界は、障壁と柵の世界である。というのも、あなたの内
なる〈私〉が、その障壁と柵の一つなのだから。
そのような障壁と柵は、あるものは自分と疎遠であるとして。囲いの
外に追いやり、あるものは自分と親密であるとして、囲いの中へと招
じ入れる。
しかし、囲いの外へと追いやられたものは、常に柵を破って内側へ
と侵入して来るし、囲いの中へと招じ入れられたものは、常に柵を
破って外側へと侵出する。というのも、

そういったものたちは、同じ母-それがまさにあなたの〈私〉で
ある-から生まれたものなので、決して互いに離れようとしな
いのだ。



 そしてあなたは、幸福な合一を喜ぶ代わりに、分離できぬものを
分離しようとする実りのない労働に改めて取りかかる。

〈私〉の中の裂け目をつなぎ合わせる代わりに、あなたは、自分自
身の生命を削り取り、そこから自分自身であると信じるものと、自分
自身とは異なると信じるものの間を分かつ楔を作ろうと望む。


 それゆえ、人間の言葉は毒に満たされている。それゆえ、人間
の昼の日々は悲しみに浸されている。それゆえ、人間の夜の日々
は苦しみに苛まれる。
 仲間たちよ、

ミルダッドは、あなたがたが自分自身と-あらゆ
る人々と-宇宙全体と平和に過ごすために、
内なる〈私〉の裂け目をつなぎ合わせてもらい
たい。

 
ミルダッドはあなたがたに、
内なる〈私〉から毒を取り払ってもらいたい。
そうすれば、〈聖なる理解〉の甘露を味わうことになろう。
 
ミルダッドは、あなたがたが〈完全なるバランス〉の喜びを知るため
に、〈私〉を平衡させるやりかたを教えよう。」・・・・