輪廻転生について

2025/02/03(月)

私が考えている輪廻転生のこと。

(用語がエレブナや神智学用語が多くとても複雑なので申し訳ないです)

 転生している私とは

 世間一般では今世のそのままの人格がそのまま来世に転生していると思われていますが

 そうではないと思います

 

私が思うに

 それはそんな単純なことではないと思います。一般的に思われている

 輪廻転生では人間とは魂で、その魂が転生しているということですが、

そもそも魂とは何かなのかを私達は全く知りません。魂のことや次元の事、

 転生のことを知るためには、この物質次元だけではなく更に更に高い次元に

 いなければ、転生の仕組みを知ることは出来ないのではないでしょうか。

 ですから、転生の仕組みや、転生している私の事を知るまえに高い次元から実際に

 私自身の構造を知らねばなりません。否、知るのでは無くて体験しなければなりま

せん。

 私自身の構造を知るためには、私が私を俯瞰できる観点・次元にいることが必須です。

 自分自身を俯瞰できる次元にいるためには、自分が「成仏」している必要が有ります。

これは冗談で言っているのではなくて 、この物質界、そして死後の世界のことも熟知し

ていなければ転生のことは分からないでしょう。

この最低次元である物質界から一つ上の次元では空間が意味をなさい次元で、最小は最大

であり、この次元に於いては現在地や彼処という距離はありません、違う電波が同じ空間に

存在しているように、この条件付けられている人類の頭脳では理解出来ませんが、東京も

ロンドンも月もほかの惑星もその上位次元では距離がありません。

大きさや距離とは一つ上の上位次元ではそもそもが意味をなしません。このような距離や

大きさが意味をなさない次元からの知覚認識においては、オコツトが言うように「細胞

は恒星です」と言うことでしょう。

UFOも地球や他の惑星というような三次元で計測できる距離がある次元からではない

ので、飛んで来るのではありません。空間を物体として進んでくるのではなく次元をまたい

でくるのです。

UFOは上位次元からこの物質次元にアクセスしている現象なのです。

更に上の次元には時間が無いので時間軸から見た場合、その大昔の過去の文明で時間を

超越した高度に発達した高次元の文明から時間の壁を乗り越えてこの次元にやってき

ていることもあり、同じく未来から私達のこの三次元界にアクセスしている場合もあります。

自他の分離という分離次元を超えていた場合、その次元に於いてはその人類は自他一体を実

現し「永遠の今」という次元に同時存在しているので、その自他分離次元を超越している

超意識の次元の超意識においては輪廻転生はそもそもありえません。輪廻しているのはあくまで

自他の分離があり、他人と異なる私個人があり時間と空間がある下位次元のことであり、

超意識の次元においては私とあなたの分離が無く、時間と空間の分離が無い「永遠の今」

があるその実相世界の次元には輪廻転生がありません。

以上の事は人類の頭脳が条件付けられている現在の人間には時間と空間の知覚を超えている

次元に関しては全く知覚認識ができないので人類には受け容れられないことでしょう。

が、かく言う私も人類の一人なので一つ上の次元の事や、更に上の次元の真実は何も

知りません。この意見を述べている私は私を俯瞰できる私ではないのでこれから

述べることは、空間次元を超越している次元からの観点の紹介であり、これもまた

単なる知識であります。いわゆる「知ったか振り」なのです。

 

 私達が私と言うとき真我を入れて4つの私があると思われます。

 ですからこの私とは四つの私、四重の私が複雑に絡み合って成り立っています。

 正確に言えば、通常、誰しもが自分自身だと確信しているこの私とは、記憶であって

「私であるセルフエピグノーシス・意識」によって私だと思われている私です。

ですからこの私だと思われているこの人格の私は記憶の反応なのであり、この

人格の私とは、正しくは私ではありません。


 以下はその私を構成している四つの私です。

  ◎地球を取り巻く記憶帯からの連続した記憶を持つヴァーサーナー・想念形態の私(個人人格)。

 これはこの地球では誰しもがこの記憶を私だと信じており、疑う人はありません。

 が、この私は私ではなく、単なる「私という観念」の記憶の反応です。

 ◎高次元のハイヤーセルフである霊魂と繋がっていて、サムスカーラを持つサイコ

 ノエティック体のわたし。セルフエピグノーシス・意識の私(真理の種子として

 の私)。これが肉体に入って肉体と脳を自分だと信じてしまった私で、それが現

 在の迷える神の子羊であるこの私です。

 ◎頭の頭上から観照している霊魂の私。ハイヤーセルフ、インナーセルフ、インパ

 ーソナルライフの私。自他に分離していない私。私はあなたである私。

 ◎ハートに在る太陽のように光り輝いている真我の私です。

  以上がすべて私です、だから私の敵も、私を無視する相手も同じく四つの私が複合

 した存在なのです。敵や悪人も私と同じ神の子なのです。


  神道では、私とは一霊四魂で成り立っていると言われているように、私とは ハート

 の中枢にある真我と三重の異なる身体でなり立っている複合存在だと言われてい

 ます。


それではその私のうち、一体どの私が転生しているのでしょうか?

勿論、肉体は灰に帰しますので肉体ではありません、肉体は転生はしませんから。

 ではエーテル複体でありましょうか?エーテル複体は主に肉体の生存に関わって働

いて下さっていた身体なのですが、肉体と一緒に灰に帰しますからそれでもありません。

  ではサイコノエティック体でしょうか?

 サイコノエティック体には二つ異なる種類があると言われており

 一つは記憶体が持つカルマによって形成され、受胎時に母親の胎内で成長を始めるサ

イコノエティック体(感情体、思考体)であり

 もう一つは大生命の息と一緒に肉体に繋がった魂からのセルフエピグノーシス・意識

が持つ未形成のサイコノエティック体です。

 この魂からの未形成のサイコノエティック体が真理の種子といわれ、眠れる神の子と

言われている私、私達の私であり、自分を記憶と一体化してしまっている私(意識セ

ルフエピグノーシス)の身体です。

 この私(セルフエピグノーシス・意識)は永遠の原子と言われているコーザル体(原

因体)の先端です。

 この私が転生しているのです。 輪廻しているのはこのコーザル体なのです。


このコーザル体の先端部分のセルフエピグノーシスが持つ周波数によって肉体の死後

にいく幽界が決定されます。幽界には7×7層の49の階層があり、この物質界にいたと

きと同じように、自分が発している周波数・波動によって自分が行く階層が決まり、

転生の時期が来るまで一定期間そこで過ごします。

そして、カルマの主によって次の転生の時期を迎えると物質界で形成された記憶体で

ある人格は、魂のセルフエピグノーシスから切り離されて地球を取り巻いている記憶

帯に留まり、セルフエピグノーシスは魂のコーザル体の中へ戻り、今回の人生での成

果はサムスカーラとしてコーザル体に記録されます。

この世でも、あの世でも同じく魂からのセルフエピグノーシス(ヴィジュアナマーヤ

コーシャ)が発する波動・周波数が重要であり、それで私は目の前の相手の人として

知覚認識されます。

この自分の住む世界を決定する周波数とは自分の目の前にいる家族や同僚や近所の人

というような自分の知覚出来る相手又は対象として知ることが出来るのです。そして

自分の心の中の状態として現在の自分の周波数の状態を知ることが出来ます。この

「立ち向かう人の心は鏡なり己の姿を映してやみん」と

言う原則は物質界だけではなくて、死後の幽界にも働いています。この自分自身の周

波数を改善しアップするには絶えざる自己観察と自己想起が必須です。「見るものは

見られるものである」なのです。

 

このコーザル体の先端部分のサイコノエティック体は各転生毎に、夫々の各転生で経

験したエッセンス(サムスカーラ)をコーザル体に記録して、次の転生時に、そのエ

ッセンスを携えて最初胎児の呼吸時に再びその赤子と結合すると言われておりますが

 そのコーザル体の先端としてのセルフエピグノーシス・意識が持つサイコノエティッ

ク体(高次霊的諸身体を含む)と 受精時に胎児に入ったサイコノエティック(幽体、

霊体)は別もので胎児としての胎内記憶を持っている私というのは、地球を取り巻い

ている、 記憶帯からのサイコノエティック体・記憶体としての人格であり、その私・

記憶は、やったやられたという人生を経験し肉体を自分自身と錯覚した記憶の連続体

であります。

 それがヴァーサナ、又はワサナなのです。その私が「カルマに従って、新生児に入る

霊魂」 が入る前に胎児に入るのです。

  

一方、呼吸とともに、この魂に繋がる私(セルフエピグノーシス・意識)の霊的諸体

のサイコノエティック体の私とは 三層に別れている魂の表面意識と言われている部分

の私のことです。 (ヒューレン博が詳しい)

 

 一方で高次元の私、インナーセルフ・ハイヤーセルフ・インパーソナルライフとも言

われている高次の魂の私は、肉体には入らずに、頭の上に観照者として現在のパーソ

ナリティーを観照していると言われております。 ・・わたしは体験がないので話すこ

とが出来ません。

そしてその魂の一部がチャクラ(但し未形成)として脳や各臓器と繋がっていると言

われております。

 肉体のハートに入ったのは魂であるインパーソナルライフ・観照者のコーザル体の先

端部分の私です。

 そしてその魂からの私は脳とも完璧に繋がり脳に支配されるようになりました。

 更に腹部の潜在意識層にいる記憶の私群と繋がり、その私群を自分だと錯覚している

のです。 (しかし私にはそれとは別に大生命・息として、心臓付近のハートには真我

が光り輝いていると言われております)

 私達が自分自身を自分だと錯覚しているのは記憶です、記憶(エレメンタル・想念

形態)とは、私自身ではなくて、私だと私が錯覚している記憶なのです。起こってい

る行為や思考や感情をその記憶が、「自分がしている」「自分の自由意志で選択した」

と錯覚しています。そして魂からの私がこの記憶を自分だと完璧に一体化して疑うこ

とがないのです。

 地球を取り巻いている記憶帯にいる過去の人格である人格群としての記憶の私群が私

の意識を占有しているのです。

 ですから単純に輪廻転生と言っても、魂が肉体と繋がる前に受精卵の胎児の肉体に入

ったのは地球の記憶帯からのヴァーサーナー・人格群の記憶体の私であって、 その私

は過去地球の或る地域で殺したり殺されたりした記憶そのものの私、エレメンタルの

私です。

 自分は何々という名前を持ち、ある民族で、ある国でどのように生きて、殺し殺され

たという、やったやられたという怨念を継続している、恨み辛みの記憶そのものです。

 

ですからこの人格の私とは、魂と繋がる私ではなくて、地球を取り巻いている記憶帯

の想念形態(エレメンタル)なのです。この人格の私が「自分が人から褒められ尊敬

され愛され、認められたい」と一生懸命に努力し、つねにどう思われているかを気に

しているプライド高き私です。

 今回の人生で色々と経験した魂と繋がる私コーザル体の私・サイコノエティック体の

私とは別に、受動思考の記憶である人格の私がこのように心の中に棲み着いているの

です。 そしてその記憶の私を私達は私だと錯覚しているのです。

 ですから今回の人生で生きている私とは、 受動思考の私の記憶である人格の私と、

私である魂と繋がっている私という能動思考の私がおり、この両者の私は全く別々の

私なのです。

 迷える神の子の私は、母親とその「記憶帯からの記憶体が宿る胎児の肉体」とが繋が

っている玉の緒が切り離されたときに最初の息と一緒に脳と結合した私です。この

「息・大生命・真我」=ハイヤーセルフ・魂と一緒にコーザル体の私が肉体に入った

のです。

 それは最初の呼吸でその新生児となった肉体と繋がったこの私(セルフエピグノー

シス・意識)のことです。

 しかしこの私は、未熟で神の子の私の事です。真理の種子の私のことです。

 ヒューレン博士が詳しく説明している三層に別れている霊魂からの私であり霊魂と繋

がっている私です。

 このコーザル体の私は魂と繋がっている私です。

 私はサイコノエティック体+高次霊的諸体+チャクラ+霊魂で構成されています。

 そしてこの魂の私は真我の一部分ですが未だ目は閉じられたままです。

 この霊的諸体である私が、私ではない肉体+脳+記憶体、エゴと結合してしまったの

です。

 そして

 肉体と脳+記憶体にはプログラム・カルマに従って決まっていることが、思考や感情

や行為が次々と必然的に起こっており、起こるべきことが起こるべき時期に完璧に起

こっています。

 そして、その起こっている出来事、肉体、思考、感情、行為を私達は自分自身だと錯

覚したのです。

 このサイコノエティック体+高次霊的諸体+チャクラ+霊魂という私は良いことだけ

ではなく悪いことも、殺し殺されるという神の演技が続いているという、その映画を

見せられて自分がその映画の登場人物だと確信してしまったのです。

 そして自分が行為していると信じた結果、その起こっているカルマの輪に捉えられた

のです。

 しかしながら此の魂と繋がっている私とは別に、受精卵の胎児と繋がった地球の記憶

帯からの記憶体の私、胎内記憶を持っている私がいます。自分が肉体で過去からの経

験を重ね、自分は国民で何々人と思っている私がいます。それが名前をもった人格の

私です。

 過去世の人格が継続している記憶の私は他と分離していると確信している個人の私

です。その私もこの肉体に棲み着いています。しかしその私は私ではありません。

 それが記憶体であり。継続している個人人格の私なのです。この記憶の私もサイコノ

エティック体(幽体霊体)を持っています。

 但しここで言う過去世の人格とはコーザル体と繋がっているセルフエピグノーシスが

持つサイコノエティック体の私ではありません。

 一方の記憶体の私とは母親の胎内記憶を持ち、肉体に入ることが出来た記憶帯からの

多くの無数の今までの人類の人達の前世の記憶の私・個人・人格群です。

 その私は記憶です、魂と繋がる私・コーザル体の私(真正霊的諸体の私)ではありま

せん。

  その記憶体の私は最初の呼吸ではなくて、ある因縁によって 母親の性交渉によって

受精したその受精卵に高次元のカルマに従って入ったのですが

 詳しいシステムは人智を超えているので私には分かりません。 

 この三界の現象界というシステムを維持するために おそらく霊界の高次の天使がカ

ルマに基づき采配しコントロールしているのだと思われます。

  繰り返しますが

 この人格の私は、地球を取り巻いている「人類の記憶層」を構成している個人個人の

パーソナリティー・人格であり、 その記憶である人格の私「過去世の肉体として生き

た記憶」である個人であり、 ある国で、ある民族で、ある宗教や神を信じた自我(

エゴ)そのものであり、恨み辛み、殺した殺されたというある特定のその人生での過

去からの記憶体であります。

 この記憶体がこんどの新しい母親の胎児に肉体に入ったのであり

 その私とは記憶体としての個人(ヴァーサーナー)であり この記憶体である個人人

格の私です。 しかしながらこの記憶体の私は私ではありません。「私に取り憑いてい

る記憶」なのです。

 この人格の私、は頭の上から繋がっている霊魂や肉体や脳と繋がったサイコノエティ

ック体の私ではありません

 この霊魂からのサイコノエティック体の私(セルフエピグノーシス・意識)は7年ご

との周期に従ってゆっくりと肉体と繋がっていきます

 以上から

  私を構成しているのは

 それぞれ異なっている私がこの肉体に繋がっていると思いますが皆さんはどのように

お考えでしょうか?

 以下のそれぞれの自己意識を持つ私が肉体脳システムにゆっくりと時間をかけて繋が

った。と推測しております

 

 くどいようですが再確認すると。私達は以下の異なる私が混合しています。 

  毎日朝目が覚めて仕事に行き学校に行く私・・それは今世の人格の私、現在のパ

  ーソナリティー。

 潜在意識層に棲み通いている過去からのヴァサナ・今回の名前を持った人格の私と

 受胎時に肉体に入った地球の記憶帯からの多くの想念形態・人格(腹部にいる)の混

 合。 やったやられた、欺し欺され、才能や特性を持ち、前世での殺した殺されたと

 いう記憶そのものである私。神の演技 神の映像の私。悩み苦しみ自己関心に溢れ、

 人を利用し、自分を肉体だと錯覚し自分を知らない私。

   現在のセルフエピグノーシスの私(人格個人ではない意識の私、霊魂と繋がるコ

 ーザル体の先端部分の私) この霊魂のコーザル体の先端部分の充分発達していない

 サイコノエティック体としての私。

 能動思考の私。霊的諸体から構成されていてサムスカーラを継承している私。

  各前世からの記憶の内、エッセンスだけを継承しているコーザル体の私。しかしセ

 ルフエピグノーシスとして意識であり、能動思考であり、そしてインパーソナルラ

 イフの一部分でもある。

   霊魂の私、観照者の私、真我と直結している神の子。

  私はあなたであり、一切万物と分離していない意識インパーソナルライフの私

  のパーソナリティー


 しかしここで一番問題になっていることがあります

 それはこの未熟なセルフエピグノーシスの私が

 この肉体に入ることで魂と繋がっているコーザル体の私は肉体や知覚認識され起こっ

ている思考や感情や行為と同一化して 記憶を創りだし、自分が行為していると錯覚し

 さらにカルマの輪に取り囲まれてしまったのです

 肉体や脳に起こっている思考や感情や行為を見て、その思考や感情と同一化し記憶や

人格の私を生み出してしまったのです

 セルフエピグノーシスの私が自分が思考し行為していると錯覚したのです。

 そしてその錯覚が記憶となってカルマを形成しているのです。

 そしてこの魂と繋がる私のその記憶がそのまま蓄積されて記憶体ヴァーサナを形成して

 地球を取り巻く記憶帯として輪廻転生というカルマのシステムを支えているのであり

ましょう。

  ※ここで言うセルフエピグノーシス・意識とは、カルマに従って起こっている受動

  思考ではありません、セルフエピグノーシスとは純粋な能動思考のことで、自他

  の分離や時間空間という制約を受けることがありません。純粋な意識とは「私は

  あなた」であり、「全てと一つ」であり、「自分とあなたの区別は存在しない」

  のです。

  

以上が私の輪廻に対する仮説です