思考の重要性
思考と行為は重要である
このように云うとラマナ・マハリシたちのことを学んでいる方々は
「私たちは行為はしておらず、思考は私ではない」と反論されることだろう
けれども、このラマナ・マハリシの状態は真我の状態であって、私達の実存の意識状態ではない
この真我の知覚状態であるときラマナ・マハリシのように行為はしておらず、思考もないことであろう
だが、現実の私達が「真我から与えられ続けている恩寵」を受け取り、真我と繋がるには
私達の諸体の状態が真我に接近している必要がある、私達の諸体の放っている波動が真我の
波動(ヴァイブレーション)に等しい状態である必要がある
それ故にこそ思考と行為が最重要なのである。
この思考と行為である思考体と感情体と行為体の状態が、この決め手となることは明かである
私達の真の私とは真我であり、
この現在のパーソナリティーが真の私である真我と繋がるには
現在のパーソナリティーを構成している、「思考している私」、「行為している私」の波動と状態が
真の私の状態と同じ波動、同じように澄み渡った高次の思考と行為の状態であることが必要である
と思われる。即ち同じような波動を放っていることが必要なのである
具体的には、感情体であるサイキック体と、思考体であるメンタル体、行為の主体である肉体を
維持しているエーテル複体の発しているヴァイブレーションが、即ち、その諸体の発している波動が
魂の内奥の真の私と同じような波動であるときにこそ、
真我から限りなく注がれている恩寵に気がつくことができ、
真我と繋がることができるのであると教えられている
そういうことであるから
諸体の状態が、すなわち感情体と思考体と肉体の状態が、真我と融合する際の重要なこととなる
のである
具体的には真我として行為することであり、真我として思考することであり、真我として感じることでは
ないだろうか。
真我の方に目を向ければ、真我としてあらゆる人の中に私の中と同じ同一の真我を観ることであろうし
隣人と友人を自分の内奥である一つの真我として愛し、愛を与え続けることが重要なこととなってくる
ことであろう
対象である外部を対象としてではなく私そのものとして感じ、自分そのものとして愛を与え続けるとき、
この自我である現在のパーソナリティーと、そしてこの自我である現在のパーソナリティーを構成している
肉体とエーテル複体とサイキック体(感情体)とノエッティック体(思考体)の波動が浄化され精妙化される
そして、より精妙で、より透明なヴァイブレーションを放つような諸体の状態に近づくとき
私達は真の私である魂の内奥の真我と結ばれていく・・・と教えられている
そしてこのとき、はじめて嘘偽りなく、
実際の生まれ変わった現実の高次元の感覚として、知覚として、認識として、現実の
直覚として、
生まれ変わり(転生の輪廻から解放され新生し)、新たに誕生した真の私として、
ラマナ・マハリシの云うように
「私は思考ではない、私は行為していない」と
また、クリシュナムルティーのように真我として
「良くなろうとすることは、良きことの否定である。成ることとは時間であり虚偽である」と
いえるのではないだろうか