恐怖に対して心開きなさい・・・ガンガジ


人生に起きている好ましくない出来事を止めようとい

うあなたの努力にもかかわらず、次々といろいろなこ

とが引きづづいて起きています。

それなら、私たちは、この状況を賢く利用して、

あなたの人生のすべてが、あなたに、『動くな、

じっとしていろ』と、ささやきかけているのだ、

というふうに受け取ってみることができるかも

しれません。

 

あなたはどこか違う方向へと行きたいし、行かなければな

らないと感じていらっしゃる。けれどもあなたの人生は、

動くなと言っています。

 

このような場合、

あれこれといろいろな方法を用いてこの状況を排除し

ようなさらずに、つまり 状況を敵にまわすことをやめ

ると、あなたが欲していない出来事や病気でさえ、完

全にゆだねるということを教えてくれる道具となるで

しょう。

 

もちろん、嫌な状況を捨て去り改善するのがまちがって

いるのではありません。

誰も、病気のままでいることを欲する人はいないでしょう。

 

けれども、 実験的に、今この瞬間だけ、

病気であることを心から受け入れてごらんになってみ

てください。

この病気の行く末を自分ではコントロールできない

のだという、ぐらぐらとまったく不安な状態のなか

にとどまってみるのです。

お手あげ状態のなかに、じっとしているのです。

 

繰り返しますが、

気持ちを落ち着けるための瞑想や、どの薬がよく効

くのかを調査したり、情報を集めるといったような、

病気をなんとかするためにあなたがいままでやって

いらしたことを無視するようにと申し上げているの

ではありません。

そうではなくて、そういう事の前に、病気であると

いうことを 、今この瞬間だけ、完全に受け入れてご

らんなさいと申し上げているのです。

 

病気や事故というあなたにとって好ましくないこの

状況が、あなたの本質からあなたを遠ざけていると

いうのは、本当なのでしょうか?

 

あなたの命の本質は、あなたがいる『今ここ』以外の

どこかほかのところにあるのでしょうか?

 

何もわからない、何も知らないというところにいてく

ださい。

 

この恐れという深い海のなかから浮びあがり、その海

の表面であなたご自身を理解なさろうとすることをやめる

(注:自分を理解し知ろうとしている者は誰か?それは

自分を知的に思考でもって知る事が出来ると錯覚する記

憶の私なのでありましょう)

と、それは最も深淵な発見の機会があります。

 

繰り返しますが知識や理解は大変に有益です。

けれども、知識や理解は、恐れの奥に何があるのか

をあなたに教えてはくれません。

 

恐れと向き合うとは、どのような意味なのでしょうか?


非常に大きなテーマです。

核心と申し上げてもよいかもしれません。

恐れよりももっとひどい感情がありますが、恐れのよう

にエネルギーを持つ感情はありません。

 

恐れは、私たちすべてに共通する感情です。

人間だけではなく、動物なら皆持っています。

危険を察知し生存していくための、生理学的で生物学

的な自然な連鎖反応です。

なぜなら、有機体の最大の目的は生存していくことで

あるからです。

 

恐れについての、このような精神世界での論議の場合、

『恐れは悪者』というイメージを取り去ることが重要です。

そして、恐れを、恐れそのものとして扱うのです。

 

恐れをありのままに扱うというのは、時には大変につ

らいことかもしれません。

でも、つらいという感情よりももっと深いところでは、

恐れとは単に、振動しているエネルギーのフィールドに

しかすぎません。

そして、もし恐れを、そこにあるべきではないとか、あ

るべきだ、というようにあれこれ頭で決めつけることなく、

単にエネルギーとして認識することができるようになると、

私たちは、恐れとかかわり合いながらも、その中でもっ

と意識的でいることができるようになります。


そうなると、恐れは人間に大きな恩恵をもたらします。

 

先程も述べましたように、ある種の恐れは、いわば正

当なものです。 生命体にとって恐れは、必要なことを

警告してくれる重要な役目を負っています。私たちは、

成長とともに、正当性のある恐怖を役立て、生きていく

うえで利用する能力を養っていきます。

ですから私は、皆さんを、全く恐れを感じないというよ

うな状態へと連れて行くつもりなど毛頭ありません。

 

けれども、私たちが皆知っているように、

今この瞬間の危険を警告してくれるという正当な恐れ

とは全く関係のない、例えば、過去の記憶やトラウマ

からやって来る、正当性のない恐れがあります。

これらの恐れは、世界を深く体験することから、私たち

を遠ざけてしまいます。

 

私はこれまで皆様に自由でいるということをお話ししてき

ました。

そして、自由でいることのひとつとして、感情としっかり

と向き合うということをお伝えしてきています。

それは、過去にたとえどのようなことを経験しようとも、

毎瞬、毎瞬の意識的な選択によって、『今、ここ』に

心を開くということです。そのような選択が可能だという

(※注:私達は肉体や脳の反応ではなく、思考という記憶

の反応でもなく、その思考と一体化し混濁してしまってい

ますが意識・魂・鏡であることでありましょう)

ことに気づくこと、それが自由でいるということです。

 

恐れと向き合うということは、実は最悪のことに対し

て、開く、ことでもあります。


なぜなら、恐れの根底にあるのは、死、だからです。

人によって死の意味は様々です。

(注:人々は死ぬために生きている、生きる為に死ぬ

事が出来る人は幸いである・・ミルダッド)

もちろん肉体的な死がありますが、その他にも、毎日

経験している、何かを無くすという経験も死ですし、

人間関係や健康を失うことや、気に入った特別な状

態だとか体験を失ってしまう恐れも、死の恐れです。

 

もし皆様が、恐怖がまるで暴君のように、いかに私た

ちのある特別な心理、精神的な感情を拘束している

のかということを見てみようという意志があるので

したら、どなたでも恐怖から自由になることが可能です。

恐怖を体験している真最中に、恐怖に対して、開く、

という選択ができるのです。

(注:この場合の選択とはカルマやDNAから起こる自由意志や

選択のことではなく、又それに反応する「自分が自由意志で選択し

ていると錯覚している記憶」による選択でもなく、この肉体や記

憶と同一化してしまっている私による選択のこと。この私とは記

憶と言う思考によって混濁してしまっている意識即ち「魂と繋が

る私」による選択のことです、本来は清浄だが曇っている鏡、空

である私による選択の事です)

しかし恐怖から自由になるというのは、もう二度と正

当性のない恐怖を体験しなくなるという意味ではあ

りません。

 

それは、不快さや、つらさのすべてを受け止め、

あなたの中で、「さあ逃げろ、隠れろ、抵抗しろ」

という感情を生み出しているあらゆる感覚を感じ、

それに対して、開き、そこにじっとしていること

選択するということです。

 

正当ではない恐れがあるとき、その堪え難いようなつ

らさの中にとどまり、逃げず、隠れず、抵抗せず、た

だ単に受け入れ、開く、そうすると、恐れは、もう、

力を失ってしまいます。

 

それが、恐れと対面するということの意味です。

 

いま私が皆様にお伝えしているのは、

『恐れに向き合う能力があるということを発見しま

しょう』という訓練のお話ではありません。


もっと自由に生きることができるように、

皆様が人生を、いきいきと生ききることができるよう

に、実際に役立てていただきたいのです。

 

恐れに、真正面から向き合うことにより、

恐れを主人にしてそれにしたがうのではなく、

逆に私たちに奉仕をさせるのです。

(注:日常生活での思考や感情や行為とは潜在意識の

記憶やDNA等から起こっていることですが、私達は

その起こっている思考や感情ではなく、それら起こっ

ている出来事に反応している潜在意識の記憶・思考

と同一化してしまっている「魂と繋がる私(表面意識)

」なのです。

それらの起こっている事に巻き込まれ、そしてさらに

その起こっている事に対して反応している記憶に支配さ

れて、正しい思考や、正しい選択を忘れ果ててしま

っているのがこの表面意識梅錦の私、魂と繋がる私です。

私達は本来は意志をもって心や身体を使うことが出

来る透明な魂・意識・鏡なのです!!)

恐れ自身にしか、それをあなたに与えることができま

せん。

開いた心で恐れと向き合うことで、それはもたらさ

れます。


開いた心というのは、いったいそれがいつどういうふ

うに始まったのか、とか、どうしてそこにあるのか、

誰の責任なのか、

どうやってそれから逃れたらよいのか、というような、

恐れを排除するための考えが、そこにない、という意味です。

 

さあ、

恐れを排斥するいっさいの計画から離れて、

恐れに向き合う準備はできましたか?

 

あなたの恐れの中に二人で一緒に入り込んでいって

みましょう。

 

ですから怖がらずに、 私たちが恐れという名前で呼

んでいるものの中に、開いて、ご覧なさい。

 

恐れに入り込んでいく時、恐れというこの名前は置い

ていきましょう。

 

このエネルギーや振動は、あなたをひどく怯えさせ

てしまっているわけですが、今あなたは、あなたの

友達であり、先生または母親とあなたが感じていら

っしゃる私と一緒です。

 

恐れを取り除かないでくださいね。

ただ単に、それがいったい何なのかを発見するのです。

 

あなたはこれまで、

恐れを排除するためのいろいろな技術を学ばれてき

ましたが、それでも恐れを排除できずにいた訳です。

ということは、恐れがあなたに与えたい何かが、そ

こにあるということかもしれません。

 

恐れの核心に、かけがえのない何かがあり、

そのことを知らせたいがために、あなたを放さない

でいるのかもしれません。

 

あなたがご自身で発見なさるのを、それは待っています。

ご自身でしか発見する事ができないからです。

 

それでは、恐怖を恐れという言葉で呼ぶのをやめて、

そのエネルギーに意識をむけて、深く沈み込んでい

ってみてください。

恐怖を排除するのではなく、恐怖と出会うのです。

 

私たちは、恐れは冷たいと考えています。

けれども、恐れをすすんで体験してみると、それは

冷たくはないのです。

 

これはすばらしい発見のひとつです。

つまり私たちがそこにあると思い込んでいるものは、

実際にはそこにはないのです。

 

初めにあなたは、恐れの奥に絶望感があるとおっしゃ

いました。

確かに絶望は恐れの奥にあります。

けれども、あなたが、すすんであなた自身をあけ開いて、

もっともっと深く、最奥までに沈み込んでいくと、そこ

には、絶望とは全く正反対の何かがあります。

 

あなたは、恐れの核心に暖かさを発見なさいましたが、

その暖かさに、さらに開いて、奥深く入り込んでいっ

てごらんになると、

そこには、  

どのような状況にも、どのような人にも奪い取ること

のできない『何か』、病気になろうと、事故が起ころ

うと、友人を失おうと、恋人を失おうと、

あなたというアイデンティティーが失われようと、

肉体の死が起きようと、 

たとえ、何がなくなろうとも、

決してなくなりはしない何かが在ることを発見な

さることでしょう。

 

『それ』は、あなたの本質という宝石。

真実のあなたです。 

 

私たちはこの発見のために、こうして集っているのです。

そのために、私は皆さんのそばにいて、

恐れを一緒に体験しましょうとお伝えしてきているのです。

なぜなら、「私」は、

恐れのもっと深いところに何があるのか、

それを知っているからです。

恐れの核心にあるのが、恐れではないことを知っていて、

皆様にそのことを保証できるからです。

 

けれども、それを知るためには、

なんとかしようとすることを一瞬やめて、

そこにあらわれているエネルギーそのものの中に、た

だあるがままに、開く、という意志が必要です。

あなたの場合は絶望感でしたが、そのエネルギーの中

に、ただ開く、のです。

大変に直接的で、瞬間的な探求です。

 

それによってあなたの本質があらわになります。

どなたにも可能です。

でも、この恐れの前で、じたばたすることをやめ、

恐れとしっかり向き合い、

単純に、いったいこれはなんだろうと、開くことで、

そこに素晴らしい発見があります。

 

暖かさ、を感じたとあなたはおっしゃいましたが、そ

のように、はじまりは暖かさかもしれません。

開く、というあなたの意志によって、それはもっと

奥へと続いていきます。

 

私があなたの人生の中に現れた理由はこれです。 

開く、という自由があるのだということをお話し、

それをあなたに証明し、保証するために、私はこ

こにいます。

『たとえどのようなことが起きていようとも、そのな

かに、開く』という自由が、あなた自身にある事にあ

なたは気づかないでしょう。

けれどもそのような自由がある事に気づいたとき、こ

の自由が、今度はさらに大きな自由へとあなたを導く

でしょう。

そしてそれは無限です。

 

なぜなら、命そのものは無限だからです。

 

人生はあなたに、あるときは、素晴らしいハーモニ

ーや平安を感じさせてくれるでしょう。またあるときは、

混乱や分裂を感じさせるでしょう。

それが、人生の自然な姿です。

この惑星のあらゆる形あるものの自然な姿です。

 

けれども、あなたの命の本質は、なにものからもいっ

さい影響をうけることはありません。

そしてあらゆるものすべてを、暖かく包み込んでいます。

 

恐れや絶望、暖かさや感情の核心には、

純粋で、何が起ころうと動じない、広大無限な、

燦然と輝く命があり、それがあなたそのものな

のです。

 

私たちを縛り付けているのは、恐れに対する恐怖です。

 

大切なのは、開こう、という、あなたの意志です。

奥へ、奥へと、よろこんで開こう、という意志なのです。