私とは神の演技である



インドの大聖ラーマクリシュナはこのように言っている

 
「あのお方は常住不変ですが、実は現象界とは、あのお方のリーラ・遊戯です。

 
あのお方のリーラ・遊戯が、実は常住不変のあのお方なのです。

 絶対者を除いて、相対界(神の創造・宇宙の顕現は神のリーラであること)を理解することは出来ません。

 相対界があるからこそ、それらを棄てていくことによって、絶対者に到達することが出来るのです

私という意識があるあいだは、どうしても相対界(転変の世界)を棄てることは出来ません。

これではない、これではない、と否定を重ね

  瞑想のヨーガによって、人は実体・ブラフマンに到達することが出来るのです

世界は、あのお方そのもので満ちあふれている。

  
見るもののすべては、あのお方自身がなっておられるのである。

  その中のどれを捨て、どれを受け入れたらいいのかと、決めることなどは出来ない。

あのお方ご自身がすべてなのです。

  神は自らの生きもの、宇宙、それらすべてになられたのです。

  完全なる神の叡智を持つようになれば、そのときには、そのように知り、認識します。

  あのお方が、思考機能、統覚機能、(器官を伴った)身体-二十四の宇宙原理すべてになっておられるのです」




彼は言う

「自我・私とは神の演技である」と

私としてあなたとして息し、生まれ、成長し、老い、そして病で死ぬもの、

行為し、欲望し、思考している私とは

神であり神の演技であると彼は言う


私としてあなたとして、あるときは悩み、あるときは喜び、そして苦しみ、楽しんで

いるのは神であり、神の演技であると


あるときは私として、あるときはあなたとして善人として、悪人として、良いことを為し、悪いこ

とを為しているのは神であり、神の演技であると


あるときは賛成し、あるときは反対し、あるときは味方であり、あるときは敵となる私やあなたとは

神であり、神の演技であると


私として、あなたとして悩み、考え、選択し、決断し、努力し、

怠け、働き、そして遊ぶのは神であり神の演技であると、

私、自我とは神の演技であり、心とは神の演技であるという


起こっているこの呼吸、心臓の働き、そして頭脳と頭脳の働き

熟睡、夢見、そして覚醒・・・意識と無意識

カルマや運命、誕生と死亡、行為と出来事、知覚と感覚、思考と感情

これら起こっていることは

原子や素粒子と同じように神の仮の姿

私やあなたも神として起こっていることであり

神の演技であるとラーマクリシュナはいう