夢は有り難い




夢は私・自我を顕わにして下さる・・本当に有り難い、有り難い。

夢とは「未知である内なるたましいの私」からの、この自我の私に対してのメッセージである。


たましいの私が夢を通じて、教えてくださり、個人レッスンをしてくださっているのである。



自我とは指紋のように各人で異なっていても、「神が創られた指紋である」というこ

とで全人類には全員に指紋があるように。

自我は各人で異なっていても、地球人類では共通同一の自我、それは過去からの「全人類の

記憶」の一細胞なのであろう。


この私である自我は、全人類の大きな自我を構成している一細胞、何百兆とある自我細胞の

ひとつなのである。



夢とは

「未知なるたましいの私」が夢を通じて、この自我の私に本当の私・自我の姿を見せ

て下さっているのである。通常、私自我は自己イメージで自分自身を見ていて、実際の

自分自身の姿を見ることは難しく、唯一、それを示してくださるのが、私の目の前の

あなたである。目の前のあなたが、私の現実の姿である・・・目の前の他人という鏡に

私は己の現実の姿を発見するのである。


夢とは、目の前のあなたがそうであるように

優しくあるがままのこの私自我の姿を教えて下さっているのだ。・・有り難い有り難い。




この自分自身である自我を正しくハッキリと見ることが自分自身からの解放であり

自我の成就、キリストの言う「生まれ変わり」なのであろう。(輪廻のことではない)。


それは自己自我の死と同時に、たましいの私として生まれ変わる再生なのであろう。

それはホ・オポノポノが言うように

自我である自分が自我である自分を愛して、自我が自我に感謝する事である。

それが生まれ変わりであり、内なるたましいと繋がっていくことなのであろう。

(輪廻転生のことではない)




それはまた御免なさい、許して下さい・・という悔悟と改悛であり

愛しています、ありがとうございます・・・という聖なる実在に対しての帰依であろう


私である自我には、私自我が生まれ変わって(肉体の死や輪廻のことではない)

未知なるたましいの私と一つになることが求められている。