とであります。
「記憶」「無知」「善悪を知るリンゴの樹」「低次思考」などと
呼称されるわたしが自分の姿を見ているのです・・・というこ
とを理解します。
自己凝視によって自己観察をしている私即記憶=恐怖が恐怖を
見ているのであるということに気がつくのだと言われており
ます。思考(恐怖)を見ている者とは思考(恐怖)なのです。
虚偽が虚偽を見ていることに気がつくこと。
自我を見ているものは自我自身であることを知ること。
自我が見ている内部と外部は自我自身の姿であることを知るこ
と。
私はけっしてあるがままをあるがままに見ているのではない
ことを理解すること。
第3段階:「虚偽を虚偽と見ている事の中に真理がある」
「虚偽が虚偽を見ている」事をみているものに気がつくこと。
「見るものは見られるものである」に気がついている気づきの
中に真理があるということ。
「見るものは見られるものである」を見ているのは「気づき」
でありそれは真理であるということ。それは全く私のことを忘
れている鏡の状態。自己関心がまったく存在していない無我。
空の意識状態。拡がった意識、拡がった目である意識の事。
神の子である私、天照大御神の御分心である神の子の私の事。
残念ながら私は、これを知らないし理解出来ないし、全くその
段階ではないのでこのことについては書くことが出来ません。
・・恩寵が未だ下っていないからです。
第4段階:「真理を真理と見ること」
あるがままをあるがままに見ている状態。ヒューレン博士が言
う「I AM I」空の意識の事。穢れが祓われた鏡の状態の意識の
事。「自分自身」「セルフアイデンティティー」のこと。
クリシュナムルティーのいう「中心を持たない目」、遍在し
ている目のこと。地球にまで拡大している意識の事。
「真理を真理と見ること」この段階においてラマナ・マハリシ
のように「あるがままをあるがままに見ている」「すべては良
し」と言えるのであって、第一段階にすら達していない私には
とてもとてもその意識のことは分かりません。
到底あるがままをあるがままに見ているその状態を話すことは
不可能ですし、あるがままとは何かを分かりません。
この段階に於てラーマクリシュナのように「全ては神の演技で
す」「全ては神であり神以外に何も存在していません」「全て
が完全完璧、愛するに値しないものは何も存在していません」
といえるのであって、幾重にも記憶に覆われ包まれている
私(新たに生まれた神の子)にはその境地は知るよしもあ
りません。