この私は私ではないことの理解は重要
今朝は、またまた賢者達の言葉を繰り返し思い出し唱えながら
目が覚めたのだった。
「肉体は私ではない
肉体は神聖なる神の宮である
脳は私ではない、
条件付けられている脳が生み出している欲望や感覚や知覚や本能
や記憶やDNAでプログラムされた出来事、行為は私ではない。
思考は私ではない、
脳にて送受信されている思考そして思考が生み出す観念や想念や記憶や
行為は私ではない。思考は人類共通のプールから去来する私ではないも
のであろう。脳で送受信される思考の記憶である人格、そしてその人格の結
果である民族や地域や宗教や才能の個人の差違や区分とは私とは全く関係
していない。
心は私ではない、
心から生じている喜怒哀楽や感情や行為は私ではない、心は時代や民族や
宗教や国家の違いを超えて同じであるけれどもその心とは私ではない。地球
単位の形成途中であり、内なる霊魂と未だ合体していない心とは私ではない。
私は私ではない
この現在の知覚し認識し意識している私とは、私という観念であり、私を覆っ
ている私であって私ではない。無知、無明であり恐怖であり、成る私、時間という
このアハンカーラでありチッタである私とは私を覆っている私という観念であろう
私は在る
私は思考なく、心なく私なく見ている。
私は分離できない実在であり、私はこの現在の私にとっては未知なる私であり
本当の私。実在で在る私。
私は全体であり、肉体や思考や心や私ではない」
・・・と畏れ多いことながらも以上を唱えながら目が覚めた。
※ここでの私とは未知なる霊魂である永遠のパーソナリティーのことを指している
と同時に、マインドである私、サイコノエティック体である現在の私、思考・人格の
記憶である私、ワサナの私等をすべて私として一緒くたに区別していないで使っ
ているので読まれる方はご自分で識別して下さい。