賢者は眠らない
賢者は眠らないとか
賢者は熟睡中でもその熟睡を見ているとか
賢者などの覚醒しているという人は眠っている時でも、途切れない意識が続いており気がついている、などと云われている
これは一体どういうことなのであろうか?
それでは、それらの賢者の意識状態の何処が私たちとは違っているのであろうか?
全人類が等しく経験している眠りとは、熟睡とは、夢見状態とはどういうことなのであろうか?
賢者は眠らないという場合
私たちは大きな勘違いをしているのである
それは混同しているということである。
混同しているとは、一緒くたにしているのであり、何を一緒にしているのかというと
肉体の脳と、諸体の脳と、現在のパーソナリティーと、魂を混同しているのである
もっと正確に言うと
アンタカラナという魂と現在のパーソナリティーを繋いでいるものと
肉体脳と魂を繋いでいるシルバーコードと
エーテル複体やアストラル体やメンタル体などのチャクラなどを含めそれらを混同しているのである
だから、当然のことながらも、眠りや夢見に関しても混同してしまって、何が何だかよくわからないままに
そのことに関しても誤解してしまう
賢者は眠らないということを、賢者の肉体・頭脳が眠らないとか、賢者の現在のパーソナリティーの意識が眠らない・・
などという間違った解釈をしてしまい
肉体側から見た、肉体の頭脳が眠らない人のことを
眠らないと云うことだけで、賢者ではないのに聖なる人だと思ってしまうのである。
賢者が眠っていないというのは、そういう肉体脳のことを云っているのでは全くないのである
正確に言うと
その賢者の肉体の頭脳のある部分と現在のパーソナリティーの一部分は結合しているので眠っているが
(肉体のそれ以外の眠らない部分や頭脳の眠らない部分は聖なる「意識」が、息し、生かし、維持しており
個人の現在のパーソナリティーは影響を与えることは出来るけれども、直接には関与していない)
その眠っていた間の魂としてより高次元界での体験や経験や認識や知覚を
即ち
頭脳の後頭部から各諸体を伴ってシルバーコードと結ばれた肉体を離れた「私である魂」がメンタル界で
経験し、認識している事柄、経験や認識や高次の知覚を
肉体に戻ったときに
その高次元界の高次体験のことがらが、肉体の頭脳や肉体の頭脳に繋がれている現在のパーソナリティーに
伝わる事が出来ているほどに
その人のメンタル体のチャクラの状態が整っており純粋化して花開いていると云うことなのである。
だからかれら賢者の意識は途切れることなく、肉体脳の熟睡中でもその「覚醒している魂の意識」が続いてい
るのである。
通常の一般的な人類においては、眠りから醒めたときには、
睡眠時、熟睡時の肉体頭脳から離れた高次元界での知覚や認識を覚えていない
それは、何故かといえば、
魂が肉体に戻り、肉体の頭脳に戻ったとき、
本人のメンタル体等の高次元の各諸体のチャクラが未発達の故に
その肉体の頭脳と結びついていた現在のパーソナリティーという意識には、その魂の経験や知覚が
伝達されないと云うことなのである
そのチャクラの働きの一つとは、その高次元の波動や意識やエネルギーを送受信している媒体だからである
けれども
死亡時においては、脳から離れるときには、肉体と魂などの諸身体とを結んでいるシルバーコード(肉体の死亡時にはこの
シルバーコードは魂によって切断されるが夢見や熟睡時には切断されない)の具合や状態による問題
ではなくて
肉体の脳に戻ったときに、肉体の脳のうちの「主体の認識域の眠っていた脳部分」に結合していた現在のパーソナリ
ティーの一部(魂と一緒に肉体から離れた現在のパーソナリティーではなくて、頭脳に留まっている部分)の意識に、
その魂の高次元界の体験を伝えられるか否かということなのである
これは本人のエーテル複体やアストラル体やメンタル体のチャクラの
状態の如何に拠るという云うことなのである。
いかなる人類、どのような人間でも、生命があり、息をして、諸体があり、魂が肉体と結合している以上は
私たちである全人類は全員が一人も残さず共通していることがある
それは
私たちである私たちの魂は肉体の頭脳ではないので眠ったりはしていないし、熟睡も、夢見もしていないし、あるがままを
あるがままに見ているということである
また
わたしたちの現在のパーソナリティーである状態を表現している諸体であるところの
アストラル体やメンタル体などの諸身体も
その諸身体の脳は眠ったりはしない、熟睡もしない、眠っているのは肉体脳のある部分である
けれども
しかし、魂ではないアストラル体の眼とは、あるがままをあるがままに見ている目ではないし、真理を真理と見ている
目ではない、そういうことであるから
眠っているのは肉体の脳であり、正確に言えば肉体の脳の一部分であって、真の私である魂ではなく、我性を含んでいる
現在のパーソナリティーの私でもなく、アストラル体の私やメンタル体の私でもない
そして
睡眠中に夢を見ているのは、魂とともにアストラル界を訪れているアストラル体の頭脳であり、物質界での記憶を基
にした映像を、アストラル体の頭脳がアストラル界に投影してその記憶を基にした世界を見ているのである
・・それが夢である
その夢見という経験と体験という魂の体験は、シルバーコードによって結合されている肉体の頭脳と現在のパーソナ
リティーにもダイレクトに瞬時に伝わり、その夢の体験と記憶が現在のパーソナリティーにも、頭脳の記憶にも
残るのである
その夢を見ている状態とは
現在のパーソナリティーも、その一部分を肉体の頭脳のその一部分に残して魂や諸身体と一緒に肉体を
一時的に離れて、メンタル界に留まっているように、アストラル体の私と共にアストラル界に留まって記憶を基にした
夢の世界を体験し、シルバーコードによって繋がっている現在のパーソナリティーの一部と物質脳の一部に
アストラル体の体験は伝わり記憶される
というのも現段階の私たち人類の現在のパーソナリティーにおける低次チャクラはある程度は働いているので、
アストラル界での体験はシルバーコードを伝わって夢の体験を肉体脳に伝達できて、それを肉体脳と現在のパ
ーソナリティーは「夢見」と解釈するのである
そういうことであるので
深夜には、賢者の肉体頭脳も眠っているし、肉体の頭脳の部分と、それに結合している現在のパーソナリティー
のその部分は肉体と一緒に熟睡しているのであって
賢者の肉体の頭脳は眠らずに、肉体脳が働き続けて、現在意識で見ているわけではない
賢者においてはメンタル体やアストラル体やさらなる高次の身体のチャクラが活動しているので
魂の途切れることのない意識が現在のパーソナリティーの現在意識に顕在化していると云うことなのである
それは肉体が起きているときも、夢見ているときも、熟睡しているときも変わらず、その純粋意識は顕在化している
肉体の頭脳や諸身体の脳ではなくて、その脳を通じて意識される、なぜならその各体のチャクラが純粋化され
活性化しているからである
そのエーテル複体のチャクラ、アストラル体のチャクラ、メンタル体のチャクラ、さらなる高次のチャクラが
純粋化し、高次の純粋意識の伝達媒体として機能しだしたとき、元々熟睡することなく、夢を見ることなくあ
るがままをあるがままに見ている魂の意識が肉体の脳の意識と繋がり、「あるがままをあるがままに見る」ことが
可能になる
あるがままをあるがままに見ている「眼」が現在のパーソナリティーの「眼」に繋がり誕生したのである
賢者の現在のパーソナリティーにおいては、その熟睡することなき覚醒している魂の純粋意識が知覚され、
肉体脳に伝わり、顕在化され現在意識化されている
これは、各体のチャクラが開花した状態がもたらした現在のパーソナリティーの現在意識の状態の変化を、
悟りとか覚醒とか云われているのである
その状態であるとき、私たち自身の現在のパーソナリティーの現在意識は、純粋化され、透明化されており
魂と融合しており、魂の内奥の純粋意識と一つになっており、
そのとき眠ることなく、夢見ることなく、日中でも、その覚醒している魂の意識が顕在化して
あるがままをあるがままに見ている「純粋意識」と一つとなっていることであろう
そのとき
分離されることのない私として「虚偽を虚偽として、虚偽の中に真理を、真理を真理と見」ていることであろう
それが”賢者は眠っていない”ということなのであると私は思っている