自己を愛すること



ミルダッドは自己を愛しなさいと言う


通常、私達はその言葉を聞くと自己を愛するとは、いわゆる「自己愛」と称する「記憶」と一体化してしまった

「顕在意識の状態」を指しているのだとおもってしまうことだろうが、


ここでミルダッドが言う「自己を愛しなさい」とは、それとは話しが全く異なっている。

人から嫌がらせを受けたり、車を運転中に幅寄せされたり、上司に侮辱されてカッとして怒ったりする私、

その怒りを我慢してグッと自分を押し殺している私を非難しないで愛しなさい、その私にありがとうございますと

言いなさい。と言っているのだ。



ミルダッドが言う「自己を愛しなさい」とは、「悲しんでいる私」、「苦しんでいる私」、「有頂天の私」、「嫉妬してる私」

「恐怖に戦く私」、「何時病気になって死にやしないかと心配している私」、「心の隅っこで硬直してしまって誰も信じ

られないようになってしまっている私」「人の視線ばかりを心配して愛のない私」「怒り狂っている私」「イライラして

高慢な私」、「人を疑っている私」「誰も信じられないような状態になっている私」「自己の利益ばかりを計算する私」

・・すなわちこの私自身を愛し、この現在の私自身を抱きしめ、この私の言うことに耳を傾け、ただ話を聞いてあげ

なさい。と教えておられるのである。



このいまの現実の私自身を非難したり、否定したり、拒否したりせず、私から逃避しないで愛しなさいと教えている。

すなわち記憶を受け入れて愛しなさい、感謝しなさいと教えているのである。




「自己への愛がなければ、如何なる愛も不可能である」

と教えておられる

愛することが出来るためには、まず私達は心(表面意識)を占有している記憶を愛するのであると言っている。


さらにその自己への愛という場合の私が愛する自己に関しては


如何なる自己もすべてを包む自己でなければ本物ではない

と教えている。

如何なる私も、善人も悪人もこの私自身を含めてすべての私が、私と同じ私なのであるからであろう・・



ミルダッドは私達の理解を超越した信じられない見地から地球人類に語りかけておられるのである。