個人のパーソナリティーと永遠のパーソナリティーそして観照者
真我との関連想像図
私の現在のこの意識の座は、私ではないものによって覆われているが、時々,真の私がその片鱗を覘かせることもある。気づき、平安、感謝、喜び、愛、一体感、智慧、生命などなど。けれども、私ではない条件付けの頭脳によって、感覚が曲げられ、知覚も曲げられてはいる、しかしそれでも、未知なるものとして、私たちにそれらは感じられることもある。しかしそのとき、私の状態は「見るものは見られるものである」であり、見る対象と見る主体が分離していない状態の意識状態であるべきである。
だから、私のこの意識の座にやってくる思考や感情は私ではない、私はそれらではない、むしろ本当の私とは、このマインドである私によっては知覚できないが、「在る」と感じられるもの、朧気ながらも感じられるもの、「未知なるもの」非二元性、愛、叡智、自由、感謝、平安、生命、一体感、ワンネスこそ真の私である、だからやってくる私ではないものに自己同一化してはいけない
この人格や個人に自己同一化せず、その奥にある真の私に焦点を合わせようではないか