「わたしは何も知らない(わかっていない)


なぜこの言葉が途方に暮れているときに役立つのか、それは、
わたしを記憶の渦の中からクリーニングの入り口に立たせて
くれるからです。

わたしたちは何か問題を体験するとき、その原因、理由を探し、
自分が導き出した「こうあるのが正解」「こうなれば幸せになれ
る」という答えに向け突進します。しかし、そのどれもこれも記
憶です。突進する理由も原因も方法も向かう先も記憶の再生
なのです。
そこで、わたしは自分自身に思い出させるのです。

“We don’t know anything”

「わたしは何も知らない(わかっていない)」


一瞬でも、わたしの意識、思考では捉えられないことがある
ことを思い出すことができれば、そのスペースの役割が神聖
なる存在によって取り戻されます。それが、唯一わたしたちが
すべきことなのです。

更年期としての体験の一つ一つを観ても、実際のところ、自
分の体で起きている変化も、その本当の原因も、わたしたち
の意識では捉えきれないことなのです。
医者に行くべきか、薬を飲むべきか、その判断も記憶です。
何か正解を導きだそうとしている自分に気づいたら、その体
験をわたしはクリーニングしたかどうかを問いかけることが
できます。

ブループリントの上にいるとき、自分では気づかなくても、

「あなたがその歳、その体、その状態であるということがそ
の瞬間の人生の目的です。」

それを生きるというだけで、これまで消化されなかった記憶
のしがらみをも解消することがあります。

わたしたちはどんな時も進化の時にいます。

老化している、後退している、失っているというのは思考の
判断です。

わたしたちが生まれてからこれまで、その状態から進化する
チャンスをどの瞬間も与えられてきました。

あなたが今、その年齢、その体、その状態であることには進
化のチャンスがあるのです。

体や心に違和感や変化を体験するとき、それは、ブループリ
ント、つまり本当の自分の地図に戻る完璧なタイミングが来
たという気づきなのです。

平和
KR」


私の感想

このホ・オポノポノのKR女史の言葉は凄いですね。
驚いてしまいます。
冒頭にある、”「私は何も知らない」という実感が
クリーニングの入り口です”というのは聖書の「新しい
葡萄酒は新しい革袋に」(マルコ福音書)という言葉を
い出させます。

ここでKR女史が云うその記憶ではない新しいこと(真理)を
受け入れるために必要なる「スペース」、とは、聖書で
キリストが言う「新しい革袋」のことでありましょう。

その「私は何も知らない」という実感こそが新しい革袋の
作製に必要不可欠であり、真理が訪れる為に必要なる「心
のスペース」のことでありましょう。
・・・それを「私は何も知らない」という知覚が齎して
くれることでありましょう。


私達「潜在意識的意識状態の段階」にある地球人類が次の
ステップである「意識的意識状態の段階」更に「超感覚
的意識状態」や「超意識的意識状態」の段階へと進むた
めには、その新しい革袋が必要であり、その新しい革袋
とは正しく、現在の状況の正しい自己認識即ち「私は
何も知らない」なのでありましょう。それがキリスト
の云う「新しい革袋」であり、真理が訪れるために
必要なる心の空間なのでありましょう。