心は記憶で一杯なのです・・クリシュナムルティー



私の感想


「心は記憶で一杯なのです」とは、私達現在の人類の状況を端的に述べ
ておられる言葉であります。肉体に入り「条件付けられている高度な脳」
結合している私達の状況を端的に述べられた言葉であります。
「神の宮である肉体」に結合した「魂と繋がる私達」の「心は記憶で
一杯です」を大雑把に纏めると以下の様になるのではと思われます。



心は=鏡=意識=魂と繋がる私、霊的諸体からなるセルフエピグノーシス
            (松果体に位置しているが魂は頭頂上)

記憶で=我の心=思考=現在のパーソナリティー・人格ロボット
               (脳下垂体・視床下部付近)

一杯です=穢れている=包まれ覆われている=同一化し混濁している


※霊魂という時空及び自他、内部と外部、世界と個人の分離分割を超
 越している「霊と一体の魂」に関しては私は何も分かりませんので
 推測も想像も出来ません。



私達、真理の種子であるセルフエピグノーシスは透明な意識・鏡で
あって松果体に位置し、頭頂上にある魂(観照者・未知なる本当の私)
と繋がっているといわれております。

私達である心(私達である霊的諸体及びチャクラ)は未形成で作動
しておらず記憶と完全に一体化してしまっているので通常「私自分」
と思っているのは心ではなくて心を占領している記憶であると教え
られています。


私達である心は私達である意識・鏡を覆い包んでいる「記憶、我の心、
現在のパーソナリティー・人格」(条件付けられているロボット)
一体化しているので、私達の知覚認識とは肉体やこの我の心である
ロボットの思考や感情の知覚認識なのでありましょう。

見ている私とは記憶であり、感じている私は記憶であり、考えている
私も記憶であり、話している私も記憶であり、行っている私も記憶
であります。この私は記憶であり、プライドで一杯のロボットなの
であります。この私には自由はないのであります。

それだからこそ、私達はこの記憶と混濁し、思考に支配されていて
自由がなくても、僅かばかりの意識を使って、愛と感謝を万物に捧げ
徹底的に必死に八正道に生きなければなりません。


このロボットの私が既に選択されている自由意志や選択、そして
既に決定されている行為を正しく行為して、自己観察、自己想起
、八正道を実践することが魂と繋がる私の責任でありましょう。



何故ならばこの「我の心・現在のパーソナリティー・人格の私」は
「セルフエピグノーシスである魂と繋がる私」が生み出した記憶体
だからであり、このロボットの私の責任は魂と繋がる私の責任であ
るからでありましょう。(ロボットは「自分はロボットだ」とは
思っておらず自分の自由意志で自分は生きていると思っています)


それは魂と繋がる私が肉体と結合し、条件付けられている脳を
通じて多くの現象が知覚され、その起こっている出来事に私達
である魂と繋がる私がその起こっている事と同一化した結果と
して魂と繋がる私の諸体の鼻の付け根部位からエレメンタルと
して想念形態即ち現在のパーソナリティーという記憶体を生み
出していると言われているからです。