謹んで新年のご挨拶を申しあげます
本年がどうか「真我の気づき」が多くの方々に起こり
わたしたちが苦しみや悲しみ、そして心との自己同一化から解放され
真実の自己と合一しますように
御心のなるがままにならしめ給え
また私たちの肉体及び諸体の健康と、秩序が
心の純粋さ、透明さ、美しさが、静寂が
そして
無限の「愛」がわたしたちから溢れ出しますように
このことを心から祈願し、年頭のご挨拶とさせていただきます
久保栄治
年頭にあたって、近頃つくづく思う事とは・・・
(但しこれは実感=気づきではありません観念です)
自分と他人を分離し
内部と外部を分割し
、時間を過去現在未来に分割し、善と悪を区別し、此処と彼処に分け
敵と味方に分け、大と小、宇宙と素粒子、極大と極小の区別をし、世界と私を引き離し
根源以外に分離した自己というものが存在しているのだと錯覚し
それ・対象と、即ち全体と分離してしまっている実感を持っている自己が私だと錯覚し
肉体をはじめ諸体やコーザル体と同一化し
真の私とこの意識的自分を異なっているものと実感してしまっているのは誰なのか?
それは、この分離している意識的自己であり
この誤った五感であり、六感であり、七感であり、この「誤っている知覚」ではないか
この誤った限定された知覚とは、私という観念である意識的自己即ちマインドの知覚に他ならない。
そしてそれは決して真実の知覚ではないことだろう。神聖なるマーヤなのだ。
おそらく真実の知覚には
自他の分離はなく、
内部と外部の分離はなく、
過去と現在と未来の区別もなく
此処と彼処の区別もなく、
敵と味方も、善と悪の相違もなく、大と小の違いはないことだろう
私はあなたであり、最大は最小であり、過去現在未来は分離していないで今であることだろう、
すべては一つであることだろう
すべてに至高の愛を見ていることだろう
そしてすべてが完全完璧として露見されていることだろう、
すべては根源そのものであると本当の真実が実感されていることだろう
自と他に分けて観察している観察者、行為していると思っている行為者が消失しているからだ
自己意識の私が消失しているからだ、心が完全に透き通り沈黙したからだ。
だがこれを決してこのことをマインドには理解することは出来ない事だろう
そしてこの幾層の既知なる私こそマインドであるから、マインドが完全に沈黙しない限りは
このことの理解は不可能であろう
この私とはマインドなのだ、個人ではないマインドなのだ、マインドとは個人ではない
個人だと思っているのがマインドなのだ。それは「私という観念」に他ならず
すべての有機体に浸透している私という観念だ。
その「私という観念」は根源が使用している心である。根源のものだ
だからこの私が、即ち心が完全に沈黙しない限り、真実への理解は現れないことだろう
転生を生きつづけ、そして幾多の生を記憶し、そして自分が転生していると実感しているもの
世界と宇宙を内部ではなく外部に対象として見ているもの
見る者と見られるものが別々だと実感しているもの
自分が「それ」そのもの「それ」自体ではなく、対象とは異なっていると実感しているもの
それが心・マインド!意識的及び潜在意識的自己・・そしてそれが個別的霊魂
このマインド・心・個別的霊魂こそが
神のマーヤに他ならないのではないか 。だから他と分離している私とはマーヤなのだ。
この私とは現象であり、起こっている映像なのである
統覚機能を通じて、私という観念を通じて投影されている映像なのだ
自由があり、行為していると思い込み実感しているのは統覚機能であり「私という観念」に他ならない
その統覚機能を通じて自由そのものである根源が意志し、行為しているのだ
それゆえに・・・私はマーヤに感謝しています 。
何故なら
この個別的霊魂がなければ本来の私を再認識することも起こらないからです。
このマインドがマーヤによって生み出され、この個別的霊魂が生み出され
個別的霊魂が記憶体と共に肉体に入って現在のパーソナリティーという自己が継続している
とそのように錯覚が生じ継続していると考えられるからです・・・・
それ故に
この私そのものである自他に分離している知覚とは錯覚なのです!!
このマインドの私自身が錯覚自体なのです!!
今述べているこれらの観念も含めて錯覚が起こっているのです。理解ではありません。
これは観念であるに過ぎないからです。これすらもマインドの領域内なのです。
この分離意識的な自己とは現象に過ぎず、根源の映像なのではないでしょうか
この私も、私のこの心もマインドという「分離した心」なのであって個人などでは決してないと
思うのです
このマインドの私とは・・朝には目が覚めて、夜には夢見て、眠りから覚めるマインドなので
はないでしょうか!この意識とは自他に分離している「私という観念」であるマインドなのではない
でしょうか?!
そしてそれらの心はすべて根源から起こっている現象なのです。