それで良いではないか
現状でも良いではないか
私達マインドでは(私というこの現在の意識では)
自由意志がないのであるから
全ては起こるのであるから
じぶんの意識は、
じぶんの意志は
真我ではなくマインドそのものであるから
かつ、
それからの解放も決まっているのであるから
そして
自分が悟ろうとすること
自分が解放されようとすること
自分が解放されようとして、色々やることも
瞑想すること
悟ろうとしてインドに行ったり、
どこかに行ったり
、講習会に行ったり
セミナーに高いお金を払うことも
これも全てマインドである私が決まっていることをやらされているのであるから
ジタバタとしないことが良いのではないか
ジタバタしたりするのはマインドが作り出したこの虚偽の私だ
私達は行為者ではない
真我は既に実現している
既にここにいる
既に活動している
しているから
真我という
自分には認識できないだけだ
真我は既に私自身であり
どこにも行こうにも行けない
ここにいるのだから
だから真我という
ただ
自分には認識できないだけだ
現在の自分というこの意識や意志や人格や、肉体やワサナや、マインドは
私ではあっても、
それは真我ではない
この意識と感情と思考と想念と気分と衝動は
真我ではない、私である
しかし
真の私である真我は
真我はここにあるのだから、
ここに生きているのだから
この状態でも良いのではないか
ただ
自分の思うこと、
感ずること、
行うこと、
しようとすること、
意志、
心の中、
それらの全ては
全くマインドに占領されているので、
こういう意識状態であるのは
仕方ない、
自分ではどうすることも出来ない
方法はない
方法をと思うこと自体が幼稚なマインドの思考そのものだ
そこからの解放は
至高の叡智が、時期を決めているのだから
焦ることはない
焦ってもどうすることも出来ない
それは
自分という虚偽の存在であるマインドが決めることではない
その解放の時期を
早めることも遅めることも
このマインドの自分にはどうすることも出来ないし
第一
その解放を願っていること自体がマインドの徴であるし
真我になろうとすること
解放されようとすることなどの
あらゆる意識活動そのものが
虚偽の自分の本性だ
この自分がマインドである以上
それに逆らうのもマインドの動きだ
罠は存在しないのだ
意識と意志の全てはマインドであるからである
真我こそほんとうの自分自身であるのだけど
マインドが作り出した自分(偽の)が今の自分であるので
それに関しては
(意識が消滅して気づきが意識になること)
どうしようもないのだから
それはそれに
任せておこう
わたしに出来ることではない
それはそれに任せるしか
方法がない
しかたがない
笑ってしまうほど完璧にマインドの状態の自分だから
この自分では自分のことは左右できない
何故なら
それ(現在の意識や意志、人格)は私(真我)ではないから
認識でき体験でき知覚できて意識できるすべて
全てが私ではない
私(偽)は私(真我)でないから
しかも意識と意志は私(偽)そのものだから
それなので
真我実現に関しては
どうすることもできなのだから
任せよう
真我と同居しよう
今のところ
意識も記憶も意志も
要するに私は真我ではないけれど
全く違うけど
真我が意識と意志になるまで
自分が死ぬとき(肉体ではない!!)が訪れるまで
今のところ
この私は非実在のわたしだから
任せよう
それで良いのだ
自分にはお手上げだ
任せよう
それで良いのだ