私は自分が眠っていることに気が付いていない。
この私自分は、自分が眠っていて
目が覚めていないことに気が付いていない。
私は見えておらず、脳内の映像を見ているだけで、実際の世界は
見えていないことが見えていない。
私は脳との結合パイプだけは活性化しているが、魂と結合のパイプコードが
活性化していないので受信器である脳以外の高次思考を全く知らない。
今朝、ふと思いついたこと。
自分は目が覚めていないのではないか?
自分は一生涯、目が覚めていないまま、誕生と寿命が決まっている
この肉体を得て、自分が思考し行為していると錯覚し続け、生死の
中で眠り続け、またこのまま苦しみを繰り返すのではないか?
この肉体は神のもの、
この思考は神のもの、
この行為は神のもの
この記憶は神のもの、
そしてこの私は神のもの
この私は神の演技。
神がこの私・自我を使って演じておられる。
即ち、神がこの人類で一体で一つの自我(私という観念)を使って
個人個人の私として、争い戦い、殺し殺され、思考し、行為し、世
界を演じている。
肉体や霊的諸体は私のものではない。
思考や感情や行為は私のものではない。
このあなたや万物と分離している私・自我は私ではなく
私のものではない。
この思考し行為する私は神のロボット機械であり、神の演技なのだ。
本当の私とはこの事に気がついている観照者・インパーソナルなのだ。
しかし魂と繋がっているこの私は
自分が眠ったままでいること・・そのことに気が付いていないので
眠ったまま、神の演技である私を自分だと錯覚し、無明の中で
脳や霊的諸体に縛り付けられて、この状態のまま生き続けている。
この肉体は自分のものであり、心は自分のものだと信じ続けているので
自分が思考して、
自分が行為して
この自分は私だと思い込み
自分が生きていると錯覚しているのだ。
私が行為しているのではなくて、神がこの私・自我を使って行為している。
私が思考しているのではなくて、神がこの私・自我を使って思考している。
私が生きているのではなくて、神がこの私・自我を使って生きている。
わたしは誰か?
わたしは上記のそれらのことを見て知っている観照者であって
思考している思考者ではない。
私は行為している行為者ではない。
私は思考している思考者ではない。
私は分離している自己即ち自我ではない。
私は私という観念ではない。
私は肉体でもなく、
私は自分が行為していると錯覚し輪廻転生している霊的諸体でもない。
私とはそれらのことを知っているものだ。
しかしながら
魂と繋がるこの現在の私は、未だ目が覚めていないので、そのことを知らな
いでいる。
この肉体に入って脳と結合した「神の演技ではない霊魂と繋がる私」は未だ
に目が覚めずに眠っている。
いまの段階の魂と繋がっている私は
私自分は思考や行為している私ではなくて観照者であることに
私自分は魂であることをまったく自覚せず、気がついていない状態にいる。
自分が生きて、自分が思考して、自分が行為して、自分は自我なのだと
そのように深く、深く錯覚し、そう思い込んでしまっている。
この魂と繋がる私は目が覚めていないので
そのことを知らずにいて
自分はこの自我で
自分は肉体で
自分が行為して
自分が思考していると
錯覚しつづけているのだ。
脳が知覚している世界を、本当の世界だと誰もが同じの共同幻想の中にいる。
行為している者は私ではない。
思考している者は私ではない。
この私・自我は私ではない。
それらは全て神の映像、神の演技だ。
この自他に分離している自我の私は記憶の反応、自我であり、
自我は神がコントロールしている神の演技。
この私は脳が生み出した化学物質の記憶だ。
私はそれらの私ではない。
私はそれらを観照している観照者即ち霊魂でありながら
その魂と繋がっている私は
悲しいことに
その私である霊魂からの私が眠ってしまっていて目が覚めていないのだ。
私は眠っていて目が覚めていない。
自分は霊魂であり、神の子であること、
自分は個人ではなく全体であり、万物と一つであることを知らない。
だから霊魂と繋がるこの私、
この私は自分が目が覚めていないことを知らず自覚していないのである。
であるから
私はこの記憶と一体化していて
神の演技である記憶の反応即ち自我を自分だと思い込み、肉体と同一視して
悩み苦しみ、自分が産まれそして病気になって死んだと思い込んでいる。
産まれ、そして病気になり死んで行くのは肉体であって私ではないことを
完全に忘れ果ててしまっている。
神の演技である自我が起こしている思考や行為や衝動や欲望、恐怖
、これらの私を魂と繋がる私は自分のもので自分が起こしていると錯覚し
カルマに縛られ
そしてこうして、このように
この夢の現象界の中で目が覚めないまま
産まれ、そして病み、死んで行く。
それらの苦しみは神の演技(自我)を自分と錯覚し続けているからだ。
では目が覚めるためには
何が絶対条件なのか?
それは内なる私自身である神に全託するしかない!!
私にはその様に思われるのです。