自己意識
自己意識とは「私」という実際の「私の状態」である意識のこと。
「聖者の本を読んで覚えていることをさも自分の事のように思い話しているけれ
ど、現実のあるがままの実態とは全くの自己主義者だったりしている私」の意識
状態のこと。
「何かの体験をして自分は悟ったと思っているが、その人の実際の生活では
ケチで思いやりもなく自分の事ばかりに関心のあるその人の現実の私」の意識
段階のこと。
なにを信じているかや、どれだけ頭が良いかや、地位や業績や容姿や学歴や体験
等という「考え」や「信仰」や「才能」や「境遇」や「頭の良さ」や「人種」や「国籍」
「年齢」には全く関係ない、実際のその「本人自身の私」の自己意識状態のこと。
この自己意識には非常に多くの段階があり
その本人の自己意識の段階・レベルとは
その本人が知覚し、認識している「見ている内と外の世界」「見えている対象
世界」「目の前に現れている相手のすがた」がその見ている本人の「自己意
識」の段階を示していると教えられている。本当に悟った人には愛しか見れ
ないのである。目の前の相手に限りない愛を感じるのである。自分がどう思
われているのか、どう扱われているのか、どう評価されているのかなどに全く
興味も関心も無くなるのである。
この意識、自己意識には、はっきりとした段階があり、その段階とは自己と他者
を、内部と外部をどのように知覚、認識しているのかということで判明するという。
目の前のあなたをどのように知覚し、認識しているのかによってその人
の「自己意識」の段階が分かるという。あなたを私自身として知覚しているのか、
それとも全くの他人としてなのか?あなたを利用しようとしているのか?それとも
あなたに愛を捧げ、私のすべてを与えようとしているのか?
自分の中や他者の中に「エゴ」「自我」を見逃さず見ている人は、その見ている人
自身が「エゴ」「自我」である自己意識的状態のレベル即ち「潜在意識的意識状態」
なのである。自我を見ているのは自我なのであると。自我だから自我が見えている。
この自己意識的レベルは本能的意識状態→潜在意識的意識状態→意識的意識状態
→超感覚的意識状態→超意識的意識状態があると言われている。
毎日の生活の中で、もし潜在意識的状態から意識的意識状態へと抜け出す状態で
あるならば
そこには感謝と報恩と限りなき「ありがとうございます」の念が言葉となって自ずと溢
れてだしていることだろう。
「私はこんなにも愛されている」、「私はこんなにも与えられている」、「私をこのように
生かしてくださっている」「私はこんなにも暖かく見守られている」。ああ有り難い。
「本来ならば当然カルマによって身に受けなければならない事態を回避してくださりあ
りがとうございます」。
「休みなく二十四時間づっと心臓や呼吸を動かしてくださり本当にありがとうございます」
等々・・・ふつふつと感謝の念が、いままで気がつかなかった懺悔の思いが、当然のこと
ながら沸き起こってくるのが意識的意識状態へと移行していく過程であると言われている。
すべてに対して、内と外に起こり、やってくる良い事も良くないことにも、愛と感謝の念が
起こってくると言うのである。すべてにありがとうございますと。
重要なのはこの本当のあるがままの自己意識の状態であって、何を信じているのか?
何を考えているのか?や、成功や失敗や才能や障害や境遇や人種や信仰や国籍ではない。
また、どんな至高体験や神秘体験をしているのかではない。
この自己意識・人格・サイコノエティック体の状態こそが私達の私自身の自己責任で
あることだろう。
「すべては起こっている」と真理を言うことができるのは「超意識的意識状態」となっ
た人だけである。
「神が私として演技しておられる」という真理を語ることができるのは「超意識的意識状
態」となった人だけである。欲が深く、プライドがあって、女たらしの人格なのに悟っている
とはいえないのである。
「潜在意識的意識状態」である段階の人は、諸体を再形成し、記憶が脱落して自由に
ならない限り、「聖者の言葉を自分の言葉として」話すということは、虚偽という悪臭を
まき散らしているのである。その「真理の誤解」をさも分かったように話しているのは
潜在意識にある「記憶」なのである。
その本人の意識段階と知覚認識レベルは正比例しているからである。
悟って正覚を得たと宣言しているその人はすべてに愛を見ているのであろうか?すべ
ての万物やすべての人に対して愛と感謝を捧げているのだろうか?
即ち「私は悟った、私は至高体験をした」と言っている人の現在のパーソナリティーの状態、
人格と「その人の段階」は正比例しており、もしも悟っているならば人格や個人も完璧の
状態であり、思考ではない意識が目覚めているのであるから、その目覚めている意識は
「夜に夢を見たりすること」は決して無いことだろう。夢を見ると言うことは未だに「潜在意
識的意識状態」であることを証明している。
その人が悟っているのならば、必ずやその人から愛が放出されているので、その人が
いるだけで周りに安らぎと安心感と平和と愛と幸せをもたらしていることだろう、秩序が
起こっているからである。