裏読み



人類の教師の言葉を裏読みしてみたい。

人類の教師の言葉「思考なく見なさい、心なく見なさい、私なく見なさい」

を裏読みしてみた。


「思考なく見なさい」とは「あなたは思考ではない」と言うことだろう。


「思考なく見なさい」とはその裏には「あなたは思考ではないので

あなたには思考なく見ることが可能である」ということが含まれている

のでなかろうか


しかしながら、それを現在の自己意識である思考の記憶が、即ち「現在の未

形成状態の思考・感情体(サイコノエティック体)の私」が、この自分自身の

状態を、その「あなた」であると間違って捉えてしまうことであろうから、その

ような表現は使われないのであろう。


塩人形の私がそのまま大海の私ではなくて、塩人形は大海へ溶けて、初めて

大海の私となるのであって、塩人形の私がそのままで大海の私ではないという

ことだろう。塩人形でもある現在の私である未形成のサイコノエティック体の私

がそのまま「真の私」であるわけではないということだろう。サイコノエティック体

が再形成されて高次の身体へと脱皮しない限りそれはあり得ないというこだろう。


同じように「心なく見なさい」も、「あなたは心ではないので心なく見ること

が可能である」。すなわち塩人形である思考感情体の私が「心なく見ようとする

超努力」の末にその様な「塩人形が大海に溶け入る」という自己変革が訪れ、

自己が解け去り、「私は心ではない」という大海の意識状態が訪れると言うこと

を言っているのであろう。心という人類の潜在意識とはあなたではないと言って

いるのであろう。


またさらに「私なく見なさい」も「あなたは私という自他に分離している自己・私」

ではなく、さらに「私が行為していると思っている私」でもなく、「私が思考してい

ると思っている私」でもなく、「私が生きていると思っている私」ではない。


それらは私という観念であり、あなたはその「私という観念・アハンカーラ・マイン

ドの私」ではないので、それらの私なく見ることが可能です。と言っているのであ

ろう。


要するに人類の教師の言葉を裏読みすれば「あなたは思考ではない」「あなたは

思考の私ではない」「あなたは心ではない、心である私はあなたではない」「あな

たは統覚機能ではない」「あなたは行為ではない」「あなたは記憶の反応ではない」

「あなたは神聖なる起こっていることである肉体や頭脳や思考や行為や記憶に

自己同一化した私という観念ではない」

「あなたはそれらの神聖なる起こっている肉体、頭脳、マーヤ、映像、マトリック

ス、現象ではない」

「あなたは思考や心や私という観念を超えている全体・万物そのものである」と

言っているのであろうか。あなたの私とはそれらの神聖なるマーヤであり、本当の

あなたとは全体であり、分離していない万物である・・と言っているのだろう。

そのことをミルダッドは的確に「すべての万物がわたしの内側にあり、全ての万

物のなかにわたしがいる、そのわたしが本当のわたしである」と教えておられる。