外界は中にある


外界は内界であり、外界が(認識の対象とおもっているものが)内部にでなく外部に在ると思うのは錯覚である、
外部は内部にある
そしてその内部にあるものはすべて私ではない、
真我ではない
とニサルガダッタ・マハラジは繰り返し言う


外部が外部にあると思うのは錯覚であると
外部は、外界は、世界は、宇宙は内部にあると
二元性と分離性は錯覚であると
ニサルガダッタ・マハラジは言う

良く覚者の方々は上江洲義秀先生も含めて、「世界は私の中にある」
「私が世界である」と言われている
私の中に世界があり、全ての方々の状態が自分そのものとして感じられると、
その個人個人の悲しみと苦しみが自分の感覚で感じられると言われる

認識する対象の世界、
そして宇宙は内側にある
外にあると思っているのは錯覚である
そのように覚者達は言われる

この内面の中に世界はあり、人々もあり、社会もあり、宇宙もある

世界の出来事、宇宙の出来事はこの内部に起きている、

そして世界の人々、世界のあらゆる動物植物も全てが内部にあると
世界は私である
宇宙は私である
宇宙は内部に在ると


そして
その内部は
私ではない
真我ではない


認識できること、知覚できることが、その知覚できると言うことで、それは私でないことを示していると

私は在ると
私はありて在る者である、と

とそのように覚者はいう上江洲義秀先生も言う

分離性は二元性は錯覚である

世界が自分の外部にあると思っていることは錯覚であるとニサルガダッタ・マハラジはいう

従って
いま私は錯覚の中で生きているのだ

今私は、この個人的な自分があると錯覚している

今私は、この肉体が自分であると錯覚しており

そして健康になろうとか、
運気が良くなろうとか、
お金が入るようになりたいとか、
欲望が叶えられることを望んだり等々、
全く以て見当はずれの錯覚に陥っている
この肉体を運営し、それを動かしているのは、自我ではない、根源である
自我は自分の肉体だと錯覚しているだけだ、自分が行為者であると思っているだけだ
実は、自我という偽我は自分の肉体、自分の人生、自分の輪廻転生と思っているのだ、それは根源のものだ
この映画に出演していると錯覚しているのだ、私達は劇中の出演者ではない、それを見ている観客なのだ、俳優ではない


俳優は根源だ

この肉体に起こること、
この肉体にやってくる
感動、
喜び
快楽、
不幸、
病気、
肉体の感覚、
衝動、
出来事、
人との出会い、
そして別れ、
家族、
環境
仕事
全てのことあらゆることは根源が行っている、
自我ではない、

この肉体にやってくることは決まったように決まったことがやってくる
そのとき心の中で思うように、考えるようにマインドと感情はきちんと設計図通りにやってくる
そして頭脳の条件付けによって、それの通りに寸部違わず行われる

どこかに出かけ、そして誰と出会い、何をするのかと言うこと
何を思い、何が起こるのかと言うこと
それらは
マインドとして
眉間の中枢に設計図通りに入ってくる


それは既にある設計図に従って起こってくると言われている
寸分違わずに

私達は行為者ではない、肉体の行為は根源がしている、私達には全く自由はない、
何故なら完璧が完璧に行われ、
起きていることの中にこそ自由があるからだと覚者は言う

知り合うことも、
結婚することも、
分かれることも、
病気になることも、
そして良くなることも、
悪くなることも
不幸な出来事も、
幸せになる出来事も、
成功も、
失敗も
この肉体に起きている、自我はそれを自分が生きていると錯覚している

肉体に生きていることは根源が生きているのであって自我が生きているのではない

それは起こる

それは設計図通りに進んでいく

寸部、違わず

焦ることはない

起こるように起こるのだ


それなのに
自分が生きている、自分の肉体と錯覚して

肉体のことを心配して
サプリメントを摂取したり
病気が不活性酸素が原因で起こるから
その不活性酸素が体内に出来ないように、
否定的な想念を抱かず、何事も有り難く肯定的に捉えて、
その不活性酸素を消すように活性酸素を生み出したところで

根源の設計図はその自我の動きを上回り必ず、この肉体にやってくる、実現する
そしてこの根源の設計図を受けて守護霊や守護神は病気が必要であれれば、この肉体に病気を作り出すであろう

それは、この肉体を自分であると錯覚して、
肉体の延命と、
肉体の健康を願っている自我にとっては、
全く以てこの肉体は自我のものではなく、
自我のコントロール下に無いことを知るだろう


肉体の病気も健康も、
肉体の病気が不活性酸素で起こるとしても、その不活性酸素をコントロールしているのが根源である

それは
この遺伝子や頭脳の配線をコントロールし、今の人類にはこの頭脳の1割しか機能させていないのと同じようにである
これも根源が行っている

私達の焦点を
肉体が自分であるとの錯覚に合わせてはならない
肉体の健康や、自我の願う願望の成就に合わせてはならない

その健康を願うもの、願望の成就を願うもの

錯覚を起こすもの

自分が肉体であると錯覚しているもの

肉体を自分だと、自分のものだと錯覚している、想念の塊、凝縮物

輪廻転生を続けているもの、又は輪廻転生をしている実体があると思っているもの

その錯覚の主体

又は
その錯覚の主体と思っているものすら錯覚なのかも知れない

ニサルガダッタ・マハラジは言う
ラマナ・マハルシは言う

真我はこの錯覚に関与していないと
真我は内部ではないと
この三界という現象界を超えていると





戻る