思考があるだけで思考者はいない
思考があるだけで思考している私とはいない。
考えている「私」とは存在していない。
行為と同じように思考が起きているだけであり
行為も同じく、起きているだけであって、行為をしている「私」とはいない
と悟った方はその様に言う
思考が自分が思考していると実感しているのであり
実際には思考が起きているだけだと、思考している私とは思考そのものだと。
思考している私とは存在しておらず、思考している私とは思考そのものの実感なのだと
熟睡時には思考である記憶が休んでいるのであって、夢見時と覚醒時にはその思考が作動している。
けれども熟睡を熟睡として意識しているのは思考の意識ではないと。
通常は実感として「私が思考している」「私は個人である」「私は単独の存在」だと実感されるが
その私という「他と分離している個人」としての実感とは思考であって、思考を超えているものではないという
思考を超えている意識であるなら、思考は思考している私であることに気がついているからだという
私という「他と分離している個人」がいろいろと思考しているように実感しているのは、その思考自身であり
実際には個人や「考えている私」とは存在しておらず、単に思考が生起しているだけだと
行為も、思考も、思考である私も「私という実感」を伴って生起しているだけなのだ。
その生起している思考そのものが思考者(思考する私・個人・自我・分離している私)として実感しているのであって
そこには考える個人や行為する私や他と独立した実体は存在していないのに、
その生起している思考とその記憶が「私は思考している」とその様に「非在の私」を実感しているのだと
この私、この「他人を私ではないあなた」として知覚し、他の苦しみを自己の苦しみとして実感していない私とは、誰か?
この自分が思考していると実感し、自分が生きていて、自分が輪廻していると思っている私とは、誰か?
肉体や諸体と同一化し、肉体や諸体を私だと思っている私とは誰か?
自分が行為していると実感している私とは誰か?
競争心と自尊心と嫉妬心と恐怖と希望と絶望と欲望であり、常に安定と成就を求めてる自我である私とは誰か?
自分は感謝している、自分は愛深い、自分は謙虚だ、自分が経験している、自分は体験したと実感するその私とは誰か?
自分の人生だと思っている私とは誰か
私を特定の、独自の、才能がある又はない、私が成功している又は失敗していると思っている私とは誰か
自分が生きているとそう思っている私とは誰か?
この私とは世界の万人で共通の思考であり、マインドであり、思考の記憶の反応であり、同一のものだ。
私やあなたとは同じ思考のプロセスの結果そのもの。
悪い私がいるのでも、良いあなたがいるのでもなく、
罪人や善人、悪人や聖人がいるのではなく
私やあなたという個人がいるのではない。
その私やあなたを実感している、人類同一の同じ思考がその単体で起こっているのだと
私はあなたは同じ思考のプロセスの結果なのだと