思考によって被われていた意識が顕れると同時に


多くの場所から聞くことが可能となり、

遠方から同時に見ることが可能になります

遠く離れたところから見たり聞いたりする

ことが出来る様になり

距離による影響を受けなくなります。

自分のエーテルの手、その他を投射することによって

遠く離れている人を助けることが出来る様になります。

また同時に多くの場所に居ることが出来る様になります。

エレブナ


私の感想
これはエレブナで言う所の現在のパーソナリティーの自己意識・セルフエピ
グノーシスが、ソウルセルエピグノーシス即ち内なる魂の意識と繋がった
段階ではその現在のパーソナリティーはどのような状態になるのかを叙述
しています。実相界と繋がった現在のパーソナリティーが現象界ではどのよ
うに自由を行使できるのかを詳述しています。クリシュナムルティーが
全く殆ど説かなかった「思考なき目」での意識とは?を明かしています。

私達現在のパーソナリティーのセルフエピグノーシスとは神聖なる
マーヤ(無明・二元性・見るものと見られるものの分離)のなかで
生きているので、その段階での教えは当然良き思いと良き行いの
推奨となりますが、その二元分離という現象界を超越して実相界
である魂からの教えとは一般的な顕教に対して秘密の教えインナー
サークルの教えとなります。一般的な教えでは五正行が説かれますが
実相界への教えはこの現象界の超越を目指しているところから
「よりよい生活」「幸せ・健康・繁栄」などには余り力点が置かれ
ずに、ただひたすらに思考からの自由を目指し、二元・分離からの
超越を指示します。禅宗と現世利益の宗教の違いかもしれません。

いずれにせよ、実相という魂のセルフエピグノーシスへと至る
事がこの現在のパーソナリティーが実存している理由ですので
、この現象界からの超越を目指す場合まず最初の必要なる認識は
「私達は思考に染まっており自由ではない」というところからが
出発となるようです。それはホ・オポノポノのヒューレン博士
も説いているとおりだと思います。

ここでエレブナが説いている「思考から解放された意識」は三界という
現象界でどのように自由であるのか(この場合私とは全体となっている)
を垣間見ることが出来ます。このことはその時私達の人格は解消されて
セルフエピグノーシスが魂と直結しており、この魂の目から見た現象界
は夢幻のようであり、非実在であり、行為者や思考者はおらず、他と分
離している私はおらず、「私は万物の中におり、万物の中に私はいる」
の「I AM」が顕現し、全ては一つであることの実相が認識されてい
るのでありましょう。