一分一秒の狂いなく


心臓は一分一秒の狂いなく正確に機動し鼓動している。

何百億という肉体の細胞は一分一秒の狂いなく、そしてさらに驚くべく一糸乱れずに完璧に機能している。

太陽・惑星・地球はこの広大な宇宙空間の中を一分一秒の狂いなく正確に運行している。

何時何分何秒に右足の爪先がどの歩道のどこに触れるのかも一分一秒の狂いなく行われている。

どの喫茶店でどこに座り、どこを向き、誰とちらっと視線が合うのか、そしてどういう想念が起こるのか

これも一分一秒の狂いなく行われている。

テレビを見ているとき、人と話しているとき、食事をしているとき、便座に座っているときにフト頭をよぎる想い

観念と思考と感情、記憶の反応・・これも一分一秒の狂いなく生起している。


嫉妬心と競争心、将来の不安、「自分の為にする全託と観照という偽善」、自分の為にする捨行・・・これらも

一分一秒の狂いなく起こっている。憎しみも、怒りも、増上慢も、イライラも、自己欺瞞も正確に狂いなく起こっている。

誰と誰がどこで出会い、そしてどのように心惹かれ、どの様な思いになるのかも正確に一分一秒の狂いなく起こる。

誰と誰が結婚し、そして何時妊娠し、どのようなカルマとサムスカーラを持った子どもが何時誕生するのか・・これも

一分一秒の狂いなく正確に行われている。生と死も同様である。全ては私という観念の中であるからだ。

全ては私という観念の中で私とあなたは分離していると見られている・・自分が生きているとのこの錯覚の中にある。


事業の失敗と成功、家族の健康と病気、幸福と不幸、これらを思う事も思わないことも、一分一秒の狂いなく起きている。

私という観念、そしてこの現在のパーソナリティー、感情や思考と共に起こる「私という実感」これも一分一秒の狂いなく起こる。


全ては一分一秒の狂いなく起きており、完璧に生起している。起こることは一分一秒の狂いなく起こるのである。

そしてこの私自身、私という自己意識とその内面、その記憶とその反応も一分一秒の狂いなく起こっていることだ。

輪廻しているコーザル体も現在のパーソナリティーもサイコノエティック体もそしてこの肉体も起きている。

全ては、すべてを起こしている完璧なる「絶対なるもの」の内部である。全ては神のマーヤの中なのだ。


全ての全てが「絶対なるもの」のものであり、「絶対なるもの」のものでないものは何一つない。

「絶対なるもの」を離れては何もない。この私の内と外は「絶対なるもの」の内部なのだ。


という観念が今朝は起こった。

(ここに記載していることは理解や実感ではなく、あくまで思考なのでご勘弁下さい)