自由への道
ラマナ・マハリシの高弟で、覚醒したプンジャジ
(ガンガジの師匠だが悟りを開いた場合は弟子も先生もないと云われている)
の貴重なる本(題名:真理のみ)を入手したので、
此処でその内容を少しだけ紹介したい
以下は抜粋です
質問者:
究極の自由への道をどうか私に示してください
パパジ(プンジャジのこと):
自由への道はない、
“道”とは、どこからか出発して、
他の何処かに到着すると云うことだ、
そして、目的地までの距離がある
しかし、あなたは何処にも行く必要がない。
距離を創り出すのはマインドのごまかしだ
他の場所に走る必要はない
何処にいようと、あなたのいる場所にいなさい。
何億年もの間、探し求めてきたものは、
あなたで“ある”と分かるだろう。
探求は必要ない
探求はなくしたものを探すことだ
何もなくしたものはないのだから
それを探し求めることは意味がない。
ここで、ただ静かにしていなさい。
マインドから思考を起こらせないことだ。
そうするとあなたは本当に誰かを知るだろう。
教師について
自問(久保注:私は誰かということ)を教えない教師は避けるべきだ
自問なしでは、教えなしと同じ事だ
あなた自身の顔を直接に見つめることが唯一の教えだ。
説教師は暗闇だけを話す、暗闇の理解とそれを取り除くことを話す。
しかし、暗闇はないし、理解することもない、在るのは光りだけだ。
グルが“私は悟りを得た”と言うとき
それはエゴが、悟ったという意味であり、近寄らないことだ。
彼らは探求者にもっと無駄を担がせる為に本を書く。
質問者:
確かな覚醒の後でさえ、人々は堕落して、迷いに落ちるとはどうしてですか?
パパジ:
真に目覚めた人は迷いに落ちることはない。
迷いと堕落の全てはマインドから起きるのだから
迷いが起きたら、高い意識に、セルフ(久保注:真の私)に、降伏しなさい。
すると堕落はあなたの近くにやって来ることは出来ない。
あなたは「私はそれだ」の経験をしたのだから、「それ」を信じているなら、
疑い、つまり、「私」という思考は現れないだろう。
疑いはマインドからやってくる。
マインドは過去に過ぎない。
過去はこの現在の瞬間に入ってくる事は出来ない。
全ての人、全ての存在が究極の真理のうえに確立している。
しかし彼らはそれを知らない。
彼らは「それ」を知らないのは
知ろうとしたら、マインドを通じて知ることになるからだ。
自分は究極の覚醒を得た人だと「知る」には
マインドを使わなければならない。
しかし、
このため、マインドを使うと云うということは、それについて疑っていると云うことだ。
マインドそのものが疑い(久保注:非難・批判・判断・善悪)なのだ。
マインドの他の名前が疑い(久保注:非難・批判・判断・善悪)だ。
疑い(久保注:非難・批判・判断・善悪)がないときマインドはない。
マインドがないとき疑い(久保注:非難・批判・判断・善悪)がない。
アウェアネスはマインドを超えたところにある
マインドを遙かに超えている
マインドは疑いと恐れと心配を与えて
マインドを超えた「それ」を気がつかないようにする
マインドの役目は、人を暗闇に、過去に閉じ込めておくことだ
マインドのないところには時間も過去もない。
これが究極の真理だ
サットグルは教えることも与えるべき方法も持たない。
彼は直接、内なるセルフ(真の私)を明らかにする。
立派な言葉がほしいのなら、大学の教授は聖人や賢人よりもうまく表現することが出来る。
大きい、美しいアシュラムに騙されないことだ
本当の教師はいつも木の下で教えたものだ
真の教師はあなたから何も要求しない。
彼はあなたが既に平和で、美で、愛だとみている。
あなたから得る私の報酬はあなたが幸福であるのを見る喜びだ。それが全てだ。
授業料なし、
寄付なし
これが私の忠告だ。
宗教の仕事は恐れと死だ!
宗教は恐怖と偽善だ!
恐怖が宗教のまさに基盤だ
宗教は自由の妨げになる。
あなたは“自由”なのだから、それから去ってしまいなさい
あなたは完全に「いま」「ここ」にいる!!
内なる道には伝統はない、伝統は全く必要ない
伝統は外側で、物質的で、観念的だ
内側ではただ、静かに座るだけだ
真理を見つけると云うことは教会や寺院(組織)に行くこととは何の関係もない、
そこに神を見つけることはないだろう
神は唯一あなたのうちに存在するからだ
質問者:
マスターのまわりでは階級(階位を付けること)と力の闘争が当たり前のように起こっているようです
パパジ:
あなたは自由を経験した、しかし今、又の人々を監視し、何がよい行いで、何が悪いと判断し始めたのだ
自由の経験と一緒にいなさい
他人の不適正なる振る舞いを見ないことだ
さもないとあなたの機会を失うことになる
彼らがやりたいことをやらせておきなさい、
それがなんであろうとも彼らのカルマの中でやっている事なのだ
ただ静かにしていなさい
ここ、あそこと見回わさないことだ
ただ静かにしていなさい
他人は「するように」運命づけられた事をやっているのだ
この過程に指を突っ込むことは出来ない
それは、人々を自由に導く方法を知っている非常に賢い人の仕事だ
本を読むことがあなたの役に立つとは思わない
静かに座っていることが、最も重要だ
一体性に顔を向けなさい
全ては一つだと見る事がノーマインドだ
これが純粋な状態であり、セルフ(真の私)である。
あなたが全てと一つであるなら、何も所有しないことだ。
そのようであると「それ」が現れるであろう
他人への悪口(批判・判断)は自分への悪口と同じだ
質問者:
どのようにして肉体との同一化から抜け出せますか
パパジ:
あなたが病気の時は肉体との同一化から抜け出すことは出来ない。
だから良くなって、肉体的問題を解決してから他のことについて話しなさい。
人が病気にかかっているときはいつも苦痛と同一化してるものだ。
彼のマインドはいつも苦痛の上にある。
あなたの肉体が強丈でマインドが平静でない限りはそれは不可能だ。
肉体とマインドの両方が健康なとき、真理の実現について話すことが出来る。
さもないとそれは不可能だ。
あなたの肉体の面倒をまず見なさい
死と死ぬこと
全てはいつかは去っていく。
死がそれ(身体)に対して決定的だと知ったら、物事をどのように取り扱ったら良いかが分かるはずだ
死を避ける唯一の方法がある。それはあなた自身を知ることだ。今!!
現れて消えるもの(身体)は夢であるに違いない
現れもしないし、消えもしないものが真理である、
それは何であるかをあなた自身の中に見つけ出しなさい。今、見つけ出しなさい。
死は肉体(身体)に起こっていて、あなたは決して死なない「それ」だと云うことを知らねばならない
死は名前と形有るものに対して存在する
形のないもの、名前のないものは決して死なない
それが肉体、マインド、エコ、感覚、対象に執着しない人だ
質問者:
私は今すぐ死ぬだろうと恐れています
パパジ:
この死の恐れは本物だ。
それはマインドの死を暗示しているからだ。
マインドの死をあなたが死ぬと勘違いしないことだ。
マインドが死ぬとあなたは生きるのだ。
あなたは自由だ。
マインドがあなたに恐怖を与えて逃げ出すように仕向けているのだ。
何故なら、それは永遠のマインドの死であるからだ。
サットサンでは死への欲望が起こるが、これはマインドだけに起こる事だ。
恐れないことだ。強くなりなさい。此処にいてマインドを死なせなさい
マインドと一緒にいないことだ。死をやってこさせなさい
あなたは永遠だ
今、誰が苦しんでいるのか?誰が束縛されているのか?見つけなさい
あなたは誰か見つけ出しなさい
あなたはエゴでも、マインドでも、感覚でもない、これら全てを一瞬に拒絶して何が残っているかね?
現れたり、消えたりするこれらのもの全てはあなたではない、としたらあなたは何なのだ?何が残っているね?
質問者者:
ただの「私」
パパジ:
「私」は残るだろう。そしてこの「私」は死なない
「私は肉体、マインド、自我、感覚、私はこうだなど」これら全ては概念だ。
眠りの状態で誰が目覚めているか見つけ出しなさい
「それ」があなたである。
目覚め、眠り、夢みの状態でさえ「それ」に触れることは出来ない
死や死ぬことや天国地獄はほっておきなさい。
「それ」は決して死なない。
「それ」があなただ。
たとえ、あなたが私は「それ」でないと云っても、あなたはそれでないと知って気がついているものは誰か?
無知と疑いを意識しているものは誰か?
苦しみと幸福に気がついているのは誰か?
「それ」こそが、あなたであるのだから真理から逃げ出すことは出来ない。
静かにして全ての概念、意図を切り捨てなさい。
悟るとは、あなたの真の本質を知ることだ
沈黙を知ることだ。
「これ」を知ることは、全てを知ることだ。
自由とは「これ」といつも一緒にいるということだ。
解放は沈黙
この沈黙は平和を伝える言葉だ
自由とは人であること
一体性であること
二元性は存在しない
意識に対象が存在しないとき
静寂があり、これが自由だ
世界は実在すると考える限りは自由はない
私とあなたが存在する限りは自由はない
自由とは
私の中の「私」は、あなたの中の「私」と同じものだと知ることだ
この私があなた、何の違いもない。