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選択は思考から起きている



賢者は心が思考と自己同一化してしまっていると言われている。
心が自身ではない肉体や行為や私や喜怒哀楽や頭脳と自己同一化してしまっていると言われる。

選択とは「思考である記憶」から起こっており
心は選択はしていない。選択しているのは思考のほうだ。
本来の心は思考ではなくて大空のように広く透明だからだと。
心である私達はひとつであって大空のように広く透明なのだ。

私達・心が肉体に入り
心が思考である自己・自我・私と同一化しているだけだからだ。
考えや計画や出来事や行為や感情とは脳に起こっている思考のものだ。
その思いは突然やってくる、そして去る。行為も突然に起っている、そして去って行く。

「私が」や「私の」という自我は心ではない。自己・自我それは思考であり私という観念だと。
心が脳に入り脳の働きであるその思考を自分と同一視しているのだと。
心は大空のように広く透明だからだ。心には私はないからだ。
考えや思いや想念や感情とは思考であり、自我とはその思考の実感なのだ。
だがこの頭脳に起こっている思考の能力は計り知れない・・・がそれは心ではなく大空のように広く透明ではない。

心が考えや思いを持つことはない。(が、現在は心は思考によって混濁してしまっている)
意志や選択や私・個人とは心を覆っている思考のものであり
心と言われている個別的霊魂のものではない。
個別的霊魂とは「全体である御霊」と不可分であるからだと。


賢者は思考が心を覆っており、心が思考と一体化していると言っている。
若しくは
心が思考と同一化していると言われる。

「未知なる全体性の霊魂の一部」が脳に入ったことによって、個別的霊魂(が霊魂は個別ではない)となり
脳にて受信している思考や知覚を受けとり、そしてその脳の記憶から発信している思考と同一化し
脳内システムに浸透した結果
自身である個別的霊魂は思考と全く自己同一化してしまっているのではないか。

脳に於いて思考と心が触れ合った為に心が思考によって混濁したのは
脳の機能である覚醒と夢見と熟睡のことを自身である個別的霊魂はそれを自分だと信じてしまったのだ・・と思える。


悲しみと喜び、愛と憎しみ、希望と絶望、過去と未来、不安と安心、進歩と退化、恐怖と喜び、私とあなた・・
これらは脳が受信している思考であり
条件付けられている脳から発信している記憶からの思考に他ならず
それは脳に入った「個別的霊魂そのものである心の意識」ではない。

心は鏡であるから・・。鏡は鏡に映っているものではないのだと。心に映っているものは心ではない。認識は知覚ではない。
本来の心という意識が脳に縛られている為に
個別的霊魂の意識は脳の現在意識部分が眠ってしまうとき、一緒に眠ってしまうのが私達の平均的状態であるのだろう。

現在意識の座である脳が変わらない限りは(脳がその条件付けから解放されない限りは)脳にいる以上、脳が眠るとき
個別的霊魂である心も一緒に眠ってしまうことだろう。起こっている思考と一体化しているからであると。

DNAで深く条件付けられて、且つ決定されているこの脳とその意識や欲望や知覚や思考は
脳によって起こっている「行為」と同じく、私達である個別的霊魂=心のものではないと。


そしてさらに、この心の奥底に(思考なく見ている)気づきがあると教えられているが
今のところ私達・個別的霊魂である心(思考と一体化してしまっている心)にとっては
「自己という実感を伴っている思考の記憶」
即ち「私という観念」との自己同一化をしないことが
まず始めにしなければならないことだろう。


私達である心は、
自己という「私という観念」や「行為」や「思考」や「欲望」や「願望」や「意志」や「選択」によって覆われているのであり
それらの虚偽を虚偽として・・・・思考なく観照しようとすることが、
そしてその中へと入っていくことが肝要なことだと教えられている。それが「虚偽の中に真理を見ること」ではないのか。
そしてさらにその「虚偽の中に真理を見ること」が「真理を真理とみること」へと通じているのかもしれない。

自己(自我)から逃避するのではなく、その自我という「私という観念」である思考とその記憶の中へと入っていくことが肝要だと
思考から逃避したり、起こっている思考を拒否するのではなくて、それらである自分自身の中へと入っていくことが肝要だと

起こっているそれらは去来している
脳に起こっている。

心である私達の前に、
鏡である私達・個別的霊魂の前に
観念、選択、行為、恐怖、知覚、自己・自我、それらは起こっている。
それらは来ては去って行く・・鏡の前を。

その起こっていることから目をそらさずに暖かく見守ることが
それら去来するものからの自由を生じるといわれている。
既知からの自由の可能性があると云われている。

・・・との思考がこの万人共通の有機体の脳に起こっている。